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2018年5月19日 (土)

南禅院 南禅寺発祥の地

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

南禅寺の本坊を出たあと、水路閣の向こうにある南禅院を訪れました。「南禅院」は南禅寺発祥の地とよばれ、塔頭ではなく南禅寺の一部(別院)です。石段を上ると「勅使門」があり、その左に「史跡及名勝 南禅院庭園」の石標があります。

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鎌倉時代の文永元年(1264)、亀山天皇は父・御嵯峨上皇が造営した離宮・禅林寺殿を伝領しました。10歳で即位して15歳となったときです。(拝観入り口を入ると左に「方丈」があります。)

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その後、禅林寺殿の一部が焼失し、その跡地に「上の御所」(松下殿)を建て、住居としました。焼失を免れた部分は「下の御所」と呼ばれるようになります。(方丈は開け放たれています。)

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亀山天皇は文永11年(1274)に25歳で子の後宇多天皇に譲位して院政をしきました。この頃、東アジアの情勢は緊迫しており、2度の蒙古来襲(1274年、1281年)という国難に遭遇しました。(方丈の西庭)

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やがて国難が去った後、亀山上皇と鎌倉幕府の関係が悪化、弘安10年(1287)には後宇多天皇に代わって伏見天皇が即位しました。その父である後深草上皇の院政が開始されて、亀山上皇は総領権を奪われてしまいました。

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方丈の南の庭園は当時のおもかげを残し、鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で、周囲を深い樹林で包まれています。作庭は亀山上皇ともいわれ、早くから、京都の3名勝史跡庭園の一つに指定されています。

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まもなく離宮で奇怪な事件が起きました。『文応皇帝外紀』によると、離宮で妖怪が現れたといいます。かってこの地にあった最勝光院に住んでいた道智上人の霊(物の怪)が夜な夜な出没したのです。(方丈を通して最初に通った北側)

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上皇は、各宗派に妖怪の退治を命じ、西大寺の叡尊が呼ばれましたが祈祷の効果はありませんでした。

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東福寺の無関普門禅師が呼ばれ、20人の比丘とともに離宮で座禅を続けたところ、異変はなくなりました。(茶室「龍淵窟」 昭和の数寄屋大工・岡田永斎作の書院風茶席で、庫裏、方丈と廊下でつながっています。)

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上皇は感心して無関禅師を師と仰ぎ、出家して法皇となりました。さらに、無関禅師に離宮を寄進して開山として迎え、南禅寺(禅林禅寺)を開きました。正応2年(1289)のことです。

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しかしながら、無関禅師はその年に亡くなり、法皇の命により規庵祖円禅師(南院国師) が31歳の若さで第2世の住持となりました。当時離宮には禅寺として機能するものは一つもなく、規庵禅師は伽藍の建立・整備に半生を捧げ、創建開山と呼ばれました。

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伽藍がほぼ完成した嘉元3年(1305)亀山法皇は嵯峨の亀山殿で57歳で亡くなりました。御陵は亀山殿の跡地に建立された天龍寺境内にありますが、遺言によりこの地に分骨埋葬されました。それがこの亀山天皇分骨所で、宮内庁の管轄地です。

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分骨所の隣に「一山国師塔」があります。中国・元は2度の元寇の失敗の後、一山一寧を入貢督促(貢物の催促)の国使として日本に派遣しましたが、鎌倉幕府執権・北条貞時は、一寧らを伊豆の修禅寺に幽閉しまじた。

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鎌倉幕府はそれまでも同様の元使を全て斬ってきましたが、一寧が大師号を持つ高僧であったこと、8年間の滞日経験をもつ子曇を伴っていたことなどから死を免ぜられたと考えられています。(左の斜面に「龍門瀑」があります。)

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修善寺で一寧は禅の修養に日々を送り、また赦免を願い出る者がいたことから、貞時はほどなくして幽閉を解き、鎌倉近くの草庵に身柄を移しました。(滝の水は琵琶湖疏水ですが石組は鎌倉時代の形式といわれています。)

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幽閉を解かれた後、一寧の名望は高まり多くの僧俗が連日のように草庵を訪れました。これを見て貞時もようやく疑念を解き、建長寺を再建して住職に迎えて、自ら帰依しました。(上池は「曹源池」と呼ばれ、中央に竜の形に作られ蓬莱島があります。)

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一寧は正和2年(1313)に後宇多法皇に招かれて上洛し、南禅寺3世住持に任命されました。一寧は、朱子学を日本に伝え、書や文学にも優れ、五山文学の祖といわれています

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一寧は文保元年(1317)南禅寺で病死、花園天皇より一山国師の諡名が与えられました。(下池には小島を「心」の字に配した心字島が造られ、池ではなく島で字を造るのは珍しいそうです。ここからでは字の形が分かりませんが。)

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離宮が南禅寺となってからも、亀山法皇の持仏堂だった南禅院はこの地で引き継がれてきました。池を一周しました。方丈は、元禄16年(1703)徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建され、総桧の入母屋造こけら葺きです。

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方丈の内陣中央には亀山法皇御木造(重文)が安置され、襖絵は狩野養朴とその子如川隋川の水墨画です。

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南禅院の庭園は紅葉の頃も美しく、過去の写真を少し。

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雪景色も1枚。

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コメント

夏の緑は本当に静かなで気持ちよくて
いいですよね。
嬉しい森林浴の季節です。

投稿: munixyu | 2018年5月19日 (土) 15:12

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