« 若一神社 平清盛と熊野信仰 | トップページ | 葵祭2018 本列 御所を出発する »

2018年5月15日 (火)

南禅寺 三門から方丈庭園へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnn_6652a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は南禅寺に行ってきました。今年の桜の頃にも訪れ三門に上ったのですが、今回は方丈庭園の拝観をしました。先日の異臭騒ぎについては後ほど。

三門と逆の方を見ると、勅使門があります。江戸時代の寛永18年(1641)に明正天皇より、御所にあった「日の御門」を拝領したものです。かっては天皇や勅使のときに限って開かれましたが、現在では住持の晋山(新しい住職の就任)に限って開かれるそうです。

Jnn_7681a

中央の参道横に、杉洞の句碑「この門を入れば涼風おのづから」 杉洞は伊万里市にある南禅寺派圓通寺の森永湛堂老師の俳号で、熊本県の白髪岳から運ばれ15トンの石に自筆。老師はホトトギス派の同人・選者で、門弟三千人といわれます。

Jnn_6657a

南禅寺開創当時の三門は永仁3年(1295)に西園寺実兼の寄進によって建立されました。その後、改築と焼失を経て、現在の三門は寛永5年(1628)に藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建しました。


Jnn_6662a

三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称です。主として禅宗寺院では、本堂を涅槃(悟りの境地)として、そこに至る門を三門と呼びました。

Jnn_6666a

「法堂」は、法式行事や公式の法要が行われる場所で、南禅寺の中心となる建物です。創建当時のものは、応仁の乱で焼失、その後復興されました。慶長11年(1606)豊臣秀頼の寄進により大改築されましたが、明治26年(1893)の火災によって焼失しました。

Jnn_6674a

現在の法堂は明治42年(1909)に再建されたものです。、内部の須弥壇上中央に本尊の釈迦如来、右に獅子に騎る文殊菩薩、左に象に騎る普賢菩薩の三尊像が安置されています。庭園を拝観するために本坊に向かいます。

Jnn_6681a

ところで先日の異臭騒ぎですが、5月2日の午前方丈庭園付近にいた観光客ら20数人がのどの痛みや頭痛などの体調不良を訴え、南禅寺職員を含む女性4人が病院に搬送されました。この日は拝観中止となりましたが、境内から不審物などは見つかりませんでした。

Jnn_6683a

5月7日京都市は現場周辺で当時、市の委託業者が動物撃退用のスプレーをまいたことを明らかにしました。市は獣害対策として、南禅寺周辺に防護柵やカメラを設置、4月下旬にイノシシが写っていたため、委託業者が2日に現場を確認しました。

Jnn_6688a

イノシシが柵の下に掘った穴を見つけ、業者の判断でスプレーを使ったとのことです。辛み成分のカプサイシンが含まれ、市街地近くでの使用は不適切なので、京都府警は業務上過失傷害容疑を視野に捜査を進めているそうです。「滝の間」はお茶席になっています。

Jnn_6693a

「南禅寺」は、鎌倉時代の正応4年(1291)に亀山法皇がこの地にあった離宮を無関普門禅師(大明国師)に下賜し、開山として迎えて開創したのが始まりです。「龍虎の間」 

Jnn_6710a

その後、南禅寺は五山の別格第一位となり壮大な伽藍が整備されて隆盛を極めましたが、応仁の乱(1467-77)で全てを消失してしまいました。(向かいの部屋の衝立の「瑞龍」は南禅寺の山号で、南禅寺第八代管長、嶋田菊僊の書です。)

Jnn_6700a

慶長10年(1605)に以心崇伝禅師(本光国師) が南禅寺第270世住持となり、寺を復興します。慶長16年(1611)に朝廷から女院御所の御対面所を拝領して方丈として移築し、その際小堀遠州の作庭で方丈庭園が造営されました。向うが方丈、その前が方丈庭園。

Jnn_6716a

崇伝禅師は南禅寺金地院と江戸の金地院を往還しながら江戸幕府の寺社行政に深くかかわり、黒衣の宰相と呼ばれたほどの実力者でした。(向うの建物は法堂です。)

Jnn_6719a

「寒山拾得像」 寒山と拾得は共に唐代の僧で風狂に徹し、ユーモラスな二人は人々に親しまれたと伝えられています。本坊の「寒山拾得之間」にあります。

Jnn_6734b

東西に長い地形に石組が左奥だけに置かれていて、遠近法で庭が広く見えます。方丈はこちら側の大方丈と背後に接続された小方丈からなります。方丈の部屋の内部は撮影できませんでした。

Jnn_6740a

築地塀の向こうにかっては借景として東山(大日山)が見えたそうです。白砂の広い空間を残し、巨大な石を横に寝かして配置する手法は江戸時代初期の代表的な禅院式枯山水式庭園だそうです。左の大きな石は近江富士を表しているとされます。

Jnn_6748a

須弥山・蓬莱山などの仏教的世界観を表現した庭園とは異なり、水墨画の世界を表したともいわれ、俗に「虎の子渡し」の庭とも呼ばれています。

Jnn_6752a

方丈庭園は、昭和26年に国の名勝に指定されました。築地塀は5本の定規線を持つ筋塀で、南禅寺の格式の高さを表しています。

Jnn_6760a

大方丈は、内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間、広縁より成る入母屋造で、狩野派絵師筆による障壁画(重文)が飾られています(現在はデジタル複製画)。

Jnn_6762a

方丈の西に回ると「小方丈庭園」が現れます。別名「如心庭」と呼ばれ、昭和41年に当時の管長・柴山全慶老師が「心を表現せよ」と自ら熱心に指示指導して作庭させたそうです。

Jnn_6772a

その名のとおり「心」字形に庭石を配した枯山水の石庭で、解脱した心のように落ち着いた雰囲気の禅庭園となっています。

Jnn_6779a

大方丈・小方丈は合わせて昭和28年国宝に指定されました。

Jnn_6789a

この後、方丈の裏手にあるいくつかの禅宗庭園を巡ります。

Jnn_6724a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

  ★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jnn_7047a

|

« 若一神社 平清盛と熊野信仰 | トップページ | 葵祭2018 本列 御所を出発する »

コメント

動物撃退用スプレー、こういうことは
気をつけないといけないですよね。
人工呼吸器付けてたり、いろんな疾患のある人もいる
わけで、危険ですよね。
スプレー散布中の看板がいると思います。

投稿: munixyu | 2018年5月15日 (火) 14:44

★munixyuさん こんばんは♪
当初は原因が分からず何人もの人が倒れて、大混乱だったようです。京都の東山の麓には寺社や民家が建ち並んでいて、山から動物が入り込めないように柵をめぐらしています。でも、長い距離なので完全に防ぐのは難しいようで、街中で鹿や猪、狸などが目撃されています。野生動物と共存するのは難しいですね。

投稿: りせ | 2018年5月19日 (土) 00:03

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 若一神社 平清盛と熊野信仰 | トップページ | 葵祭2018 本列 御所を出発する »