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2018年5月13日 (日)

吉祥院天満宮 菅原家の氏寺から天満宮へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

西大路通の南端近くにある吉祥院天満宮に行ってきました。西大路通と十条通の交差点から西に行き西高瀬川を渡ると参道の入口があります。

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平安京への遷都(794年)の際に、菅原道真の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)は、桓武天皇から所領としてこの地を与えられ本邸を構えたといわれています。(参道をしばらく歩くとTOPの鳥居があり、その手前に弁財天社があります。)

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弁財天社の横に「鑑(かがみ)の井」があります。道真が参朝(朝廷に参内)するさいに顔を写したといわれる井戸(復元)です。

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一方、鳥居の左には「菅公御誕生之地」の石碑と「産湯の井跡」があります。社伝に基づいて井桁が復元されています。産湯の井は、他にも菅原院天満宮と菅大臣神社にもあります。いずれも菅原家の屋敷があった場所ですが、生誕の地には諸説あります。

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道真の祖父・清公(きよきみ、菅原に改姓、770-842)、父・是善(これよし、812-880)もこの屋敷に住み、道真はこの地で誕生、成育したとされています。境内は広場になっていて、その周辺に社殿があります。「菅原公胞衣塚(えなづか)」

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この胞衣塚は、道真のへその緒を埋めたとわれ、子供の知恵や発声、健康や成長を祈願します。初宮参りには本殿の後に参り、赤ん坊の鼻をつまんで元気な声で泣かせて無事成長を祈るそうです。

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「吉祥天女社」 安置されている吉祥天女像には伝承があります。清公が遣唐使判官として唐へ向かう途上(もしくは帰国時)に、嵐に遭遇しながらも吉祥天女の霊験により難を逃れました。帰国後、自ら吉祥天女像を刻み、邸内に建立した吉祥院に安置しました。

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以来、菅原家は吉祥院を氏寺として国家鎮護を祈願しました。建物は江戸時代中期に再建され、左から孔子、最澄、是善、薬師如来、吉祥天、観世音菩薩、清公が祀られています。

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901年道真は、大宰府へ左遷されるとき、天神川沿いに古川まで来て乗船したといわれます。『大鏡』によると、その際にこの地を望み「君が住む宿の梢をゆくゆくと隠るるまでもかへり見しはや」と詠んだとされます。広場の西に拝殿が見えます。

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903年道真は大宰府で無念の死を遂げましたが、その後関係者の急死や、疫病・災害など天変地異が続き道真の怨霊のしわざと噂されました。923年道真は復権して、正一位、太政大臣が追贈されましたが、異変は続きました。

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934年、道真を尊崇していた朱雀天皇は、日蔵上人のお告げを授かり、自ら道真の幼少像を刻みました。そして、この地に社殿を築いて像を安置して道真の霊を祀りました。

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それが吉祥院天満宮と呼ばれ、最初の天満宮です。天皇から神領2000石、加賀に2庄、御朱印料・祭料1000石が寄進されました。拝殿の奥にある本殿には主祭神として菅原道真を祀ります。道真は幼少の頃この地で過ごしたので、幼少像があります。

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知恵、能力開発、受験合格などの学問向上、開運招福、旅行安全、交通安全などの信仰を集めています。神馬の横にキティちゃんがいます。

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1109年の菅公200年忌に、鳥羽天皇によって勅祭が盛大に行わ、以後歴代の天皇により勅祭が行われてきました。また、毎年2月25日には法華八講料を賜りました。(社務所・授与所には、たくさんの種類のお守りがあります。キティちゃんのお守りも。)

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法華八講とは、法華経8巻を順に8回に分けて講義する法会だそうです。拝殿・本殿の左手に稲荷社があり、「春房稲荷大明神」を祀っています。

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社務所の南に「文章(もんじょう)院」という建物と、その前に「文章院聖堂御跡」の石碑があります。遣唐使として唐に渡った清公が唐の昭文館・崇文館を参考にして、平安時代の834年頃、文章道を学ぶ学生のための施設として文章院を設立しました。Jnn_6114a

清公は文章博士、文章頭(学長)を務め、文章院には講堂や寄宿舎にあたる西曹、東曹がありましたが、1177年の治承の大火で焼失した後廃絶しました。上の建物は、かっての文章院にちなんだ用途の建物だと思われます。

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拝殿の右手前に「硯之水(すずりのみず)」があります。は、道真が幼少の頃に勉学や手習いに用い、学問が向上、書道が上達したといわれます。近年まで清水が湧き出していて、飲み水としても広く利用されていたそうです。 

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安土・桃山時代には衰退して、豊臣秀吉によって神領や法華八講料などが没収され、以後勅祭も廃止になりました。拝殿の右に五社があります。左から「白太夫社」、「松梅社」、「吉野社」、「金毘羅社」、「秋葉山」。

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江戸時代中期に勧進相撲が許され、社殿が再建されました。(広場の北東に「吉祥院保育園」があり、境内でも子供が遊んでいます。)

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明治35年(1902)の菅公千年祭以後、境内の拡張と社殿の修復・整備が行われ現在に至っています。「舞楽殿」

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また、この地は、古くから六斎念仏が盛んに行われていたところで、今も「吉祥院六斎念仏踊」として継承されており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。毎年4月25日の春祭と8月25日の夏祭には、上の舞楽殿で六斎念仏が奉納されます。

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「菅公聖蹟二十五拝」は、京都から太宰府へ至る道真の遺蹟伝承地を順に拝礼する習わしです。第1番の菅原院天満宮、錦天満宮、菅大臣神社についで4番目が吉祥院天満宮で、その後京都を離れ長岡天満宮になります。

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南の道路を隔てて宮司さんの社家があります。石原定祥(さだよし)氏は65代目の宮司で、六斎念仏の継承など伝統を守りながらも、お守りの考案や「硯の水」復活など、現代を見据えた活動を続けているそうです。

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コメント

キティーちゃんって、
どこにいても絵になるね。
不思議なキャラクターですよね。

投稿: munixyu | 2018年5月13日 (日) 18:10

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