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2018年5月 7日 (月)

三室戸寺 創建秘話とつつじ・しゃくなげ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

GW(4月末)三室戸寺に行ってきました。今年は桜だけでなく、ツツジやシャクナゲも開花が早いようでした。本堂へ行く途中につつじ苑が見えますが(上の写真)、後で訪れることにします。

「三室戸寺」は、山号を明星山という本山修験宗の別格本山で、西国三十三所観音霊場第10番札所としても知られています。

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奈良時代の宝亀元年(770)、光仁天皇の勅願により、南都大安寺・行表(ぎょうひょう)禅師が御室戸寺(みむろとじ)を創建して観音像を祀ったのが始まりとされます。

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平安時代、光仁天皇の子・桓武天皇は千手観世音菩薩像を自ら造り、その胎内に当初の本尊の観音像を納めて、改めて本尊としました。その後、平安時代を通じて皇室の帰依が続き、堂宇が整備されてきました。「本堂」(府指定文化財)は、江戸時代の1814年の建設。

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本堂には「千手観音立像」、脇侍として釈迦如来像(重文)と毘沙門天像(重文)を安置しています。本尊は霊宝殿に安置されている秘仏の「金銅二臂千手観音立像」ですが、その経緯は後ほど。

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平安時代末には白河法皇の皇子・静証法親王(御室戸宮)が入寺しました。(「阿弥陀堂」(府指定文化財)は、江戸時代の1747年に建立され府指定文化財、親鸞の娘覚信尼が祖父の有範の墓上に阿弥陀堂を建てて菩提を忌ったと伝えられています。)

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この頃には、創建以来、光仁、花山、白河の三天皇の離宮(御室)になってきたので、「三室戸寺」と称するようになったといわれています。(「鐘楼」は江戸時代の1689年の建造で府指定文化財。)

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鐘楼の横に「浮舟古跡」の碑が立っています。江戸時代には浮舟古跡社が祀られ、仏像が安置されていて、後に石碑に改められたといいます。『源氏物語』の『宇治十帖』では、三角関係の恋に苦しんだ浮舟は宇治川に身を投げますが死にきれず、

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阿闍梨に助けられ、尼になることを決意します。この阿闍梨の山寺は三室戸寺がモデルだといわれています。

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「三重塔」(府指定文化財)は1704年の建立です。ここからつつじ苑に向かいます。

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「三室戸寺庭園」は石庭、池泉回遊式庭園、つつじ苑、しゃくなげ苑、あじさい苑などからなります。

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上の入口を入ると左に石庭があり、草木は緑一色でした。

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石庭の前から少し下ると、池泉回遊式庭園を通ります。この水が小川となり下の茶店の横を流れていきます。

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石庭とこの池泉回遊式庭園は、作庭家・中根金作により平成元年に造られました。秋には紅葉が美しいところです。

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散策路の周囲にはしゃくなげが咲いていて、丘の斜面につつじが見えます。つつじ苑には、平戸ツツジを中心に、霧島ツツジ、久留米ツツジ、ミツバツツジなど2万株が植えられています。

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ところで、寺伝によると寺の創建と本尊に関して次のような伝承があります。(小川に沿って下ります。)

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天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の光の正体を知りたいと願っていました。即位して光仁天皇となったとき、右少弁(右少史とも)の藤原犬養という者に命じて、その光の元を探らせました。

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犬養がその光を求めて宇治川の支流・志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身のたけ二丈(6m)ばかりの千手観音像を見ました。(「花の茶屋」はつつじ、しゃくなげ、あじさい苑が開く4月中旬から7月中旬まで営業、寺で唯一食事できる場所です。この橋を渡ります。)

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犬養が滝壺へ飛び込んで千手観音像を抱き上げると、一尺二寸(36㎝)の二臂の観世音菩薩像に変わってしまったといいます。(丘の下の散策路から。ここには枝垂桜もあります。)

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犬養は都に帰って事の始終を天皇に奏上すると、天皇は心を動かされ、早速宮中にその像を祀りました。後に、その像を本尊として御室戸寺を創建したのです。(丘を登ります。)

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御室戸寺の創建以来、その観世音菩薩像は勅封されてきました。勅封とは天皇の勅命によって封印することです。しかし、光仁天皇の子・桓武天皇は、この観世音菩薩像が都を守る霊力があると考えました。

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そして、桓武天皇は延暦24年(805)に観世音菩薩像を開扉して大供養を営なみ、最初に出現した二丈一尺の千手観世音菩薩像を自ら彫刻して、観世音菩薩像を胎内に納めて、大悲閣を造立して、御室戸寺を帝都鎮護の御寺としました。

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高さ二丈の観音像は寛正年間(1460 - 1466年)の火災で失われましたが、胎内に納められていた一尺二寸の二臂の観音像は無事だったといいます。(下に山門が見えます。)

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焼け残った本尊は金銅像ですが、厳重な秘仏で写真も公表されていないので、文化財の指定もありません。また、二臂なのに千手観音像と称しているのは、上で説明した経緯からだと考えられています。

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秘仏の本尊を模して造られた「お前立ち」像は、大ぶりの宝冠を戴き、両手は胸前で組み、天衣の表現は図式的で、体側に左右対称に鰭(ひれ)状に広がっています。

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この姿は奈良・法隆寺夢殿の救世観音像など、飛鳥時代の仏像にみられるものだそうです。お前立は、小さな本尊を忠実に拡大したため細部が省略されて、かえってモダンな雰囲気がするそうです。

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本尊の千手観音像は平成21年(2009)10月1日 - 11月30日に84年ぶりに開扉されました。西国巡礼の中興者・花山法皇の一千年忌に際して、西国三十三所各札所が札所本尊の「結縁開帳」を行うこととなったためです。(本堂の屋根が見えます。)

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鑑定すれば国宝級の価値があるとされる本尊ですが、三室戸寺は今後も創建時の言い伝えを守っていくようです。

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コメント

満開ですね。
緑は静かに、花は鮮やかに。
初夏満喫ですね。

投稿: munixyu | 2018年5月 7日 (月) 19:19

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