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2018年4月17日 (火)

夕暮れの吉田山と幽斎桜

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の金戒光明寺を後に、神楽岡通にある宗忠神社の一の鳥居まで来ました。もう陽が沈んでいましたが、何とか明るさが残っているうちに吉田山を越そうと思います。この石段の参道は桜のトンネルになっています。

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「宗忠神社」は黒住教の教祖・黒住宗忠を祀る神社です。宗忠は、江戸時代の安永9年(1780)備前国(岡山県)の今村宮の神主の家に生まれました。(振り返ると、真如堂の三重塔と本堂が見えます。)

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文化11年(1814)の冬至の日、朝の太陽を拝しているうちに神人一体の霊感を受け、黒住教を創始したとされます。以後宗忠は布教を重ね嘉永3年(1850)に亡くなり、幕末の安政3年(1856)朝廷から「宗忠大明神」の神号を与えられました。(上に二の鳥居があります。)

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文久2年(1862)高弟の赤木忠春が吉田神社からこの地を譲渡され、宗忠大明神を勧請して建立したのが宗忠神社です。(左に社務所と神楽岡中教会所があります。)

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幕末には朝廷の勅願所となり、二条家や九条家などの公家も信仰しました。(向うは拝殿で、奥の本殿には宗忠大明神と天照大御神、八百萬神を祀ります。)

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手水舎の「神井戸」 水は出ないといわれていた吉田山頂で忠春が掘り当てた井戸。神社に御神慮に適わぬことが起こると水が濁るといわれています。他に忠春を祀る摂社などいくつか見どころがありますが、先を急ぎます。

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こちらは山越えの道(宗忠神社車参道)に面した鳥居。*記事の最後にある「お願い」をよろしく。

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山越えの道を挟んで、向かいに神社があります。「竹中稲荷神社」の創建時期などの詳細は不明ですが、平安時代初期にはこの地に社殿があったことが分かっています。

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『暁筆記』や『山城名勝志』には、在原業平(825-880)の住まいが神楽岡稲荷の傍らにあったと書かれています。神楽岡は吉田山のことで、神楽岡稲荷が竹中稲荷だと考えられています。この参道も桜のトンネルです。

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江戸時代後期の天保年間((1830-1844)には数千の鳥居が並び、雪雨でも傘が必要なかったといわれています。

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明治5年に吉田神社の末杜に定められましたが、現在でも竹中稲荷講杜が組織され多数の信者があるそうです。

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本殿には、祭神として宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)、猿田彦神(さるたひこのかみ)、天鈿女神(あめのうずめのかみ)を祀り、商売繁盛のご利益があるとされます。

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大文字山が間近に見えます。

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山越えの道に戻り、少し下ると竹中稲荷神社の鳥居があります。山越えの道のこちら側は竹中稲荷神社の参道のようです。

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「斎場所 大元宮」 室町時代中頃の1484年、吉田兼倶(かねとも)は将軍・足利義政夫人の日野富子などによる寄進をもとに、唯一神道(吉田神道)を唱え、この場所に根元殿堂の太元宮を造営しました。

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右の柵の中に、今回のお目当ての「幽斎桜」があります。この桜は武将の細川幽斎に所縁があるのですが、数年前に枯れてしまいました。昨年秋に訪れた時に若木が植えられていて、今年の春に花が咲くのか気になっていました。

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細川幽斎は、その子・忠興が細川ガラシャの夫ということで有名ですが、歌道や古典、学問にも秀で吉田家と血縁関係にありました。また、公家との交流も多く、1590年公家の中院通勝が丹後に左遷された折、吉田山より桜を丹後へ移植して慰めました。

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その桜は今も舞鶴市瑠璃寺にあり、天然記念物になっているそうです。平成16年、吉田氏子講社設立50周年記念に、桜の苗木をいただき400年ぶりに里帰りが実現しました。その桜が枯れてしまい、接木された桜が再び植えられました。(上は同21年春、下は昨年秋。)

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かってあった説明板も取り除かれていますが、今回見みると少しだけ花が咲いていて一安心しました。もともと背の低い可憐な枝垂桜なので、来年以降が楽しみです。

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大元宮から少し下ると、中納言・藤原山蔭と恵比須神を祀る「山蔭神社」があります。藤原山陰が平安時代の貞観元年(859)に平安京の鎮守神として、大和の春日社の四神を勧請したのが、吉田神社の前身です。吉田氏はその神社の社家でした。

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山陰は調理・調味付けに秀でたといわれ、料理飲食の祖神として業界の信仰をあつめています。吉田神社御鎮座1100年を記念して、昭和34年(1959)に全国料理関係者が上の摂社を創建しました。このあたりか少し開けて、市内の見晴らしがあります。

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さらに下ると吉田神社の社殿がある境内に来ます。

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摂社「若宮社」 天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀ります。本宮に祀られている天之子八根命と比売神の子の水徳の神です。もともと本宮に無社殿で祀られていましたが、昭和23年(1648)この場所に遷座して、後に摂社に定められました。

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安土桃山時代から江戸時代にかけて、吉田神社は将軍や朝廷から厚遇されました。特に、神祇官八神殿が宮中から大元宮に遷され、神祇官作法は大元宮で行うこととなり、吉田家は全国の神職に許状を発行する立場になりました。

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神祇官とは、律令制で太政官と並ぶ最高官庁で、朝廷の祭祀をつかさどり、諸国の官社を総轄しました。

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「本宮(本殿)」には、健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)を祀ります。

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明治4年(1871)吉田神社の特権的な権限はなくなり、官幣中社に列せられました。神祇官八神殿は皇居へ再遷座され、太元宮にはその跡が残っているだけです。下は「社務所・授与所」

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この坂(吉田山の西斜面)は活断層の花折断層だそうです。すっかり暗くなったので、急いで帰りました。

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京大の正門から

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コメント

夕暮れの少し暗い感じの中に浮かぶ桜もまたいいですよね。
曇っているような曇っていないような、
こういう時間も春らしいですね。

投稿: munixyu | 2018年4月17日 (火) 12:36

吉田神社には昨年9月ごろに初めていけたのですが、この桜には。。。気がついていなかったようですw
そこそこ写真は撮ったんだけど、この黒い柵は端っこにちょっと入ってるぐらい。。。次回は気にしてみて見ることにします~~。京大の食堂がなかなかいけるという話を聞いたりするので、ふらっと入ってみたりしたいのですが、行きなれていないのでちょいと気後れしてしまいますw

投稿: ばるさろ | 2018年4月17日 (火) 23:17

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