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2018年4月15日 (日)

京都御所 後編 「宮廷文化の紹介」

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事に続き、京都御所の特別公開「宮廷文化の紹介」の後編です。紫宸殿の左手にある門をくぐると、清涼殿があります。下に参観順路が描かれています。

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「清涼殿」 平安時代中期から天皇の日常生活の居所として使用されました。紫宸殿が儀式を行う殿舎であるのに対し、日常の政務の他に四方拝(しほうはい)・叙位・除目などの行事も行われました。やがて、清涼殿も次第に儀式の場としての色彩を強めました。

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内裏は鎌倉時代に火災にあってからは再建されませんでしたが、清涼殿は里内裏において再建され、幕末の1855年には古式に則って再建されました。右に「呉竹(くれたけ)」、左に「漢竹(かわたけ)」が植えられています(現在はよく似た日本産)。前の庭は「東庭」。

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呉竹が手前(東)に植えられているのは、平安京では清涼殿の東にあった仁寿殿の前に植えられていたからです。正面の間の中央に天皇の居所「昼御座(ひのおまし)」があり、白絹の帳の奥に天皇の休憩所「御帳台(みちょうだい)」があります。

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清涼殿北の渡廊下は「滝口」と呼ばれます。角に水の落ち口があり、東庭に巡らされている「御溝水(みかわみず)」に流れていました。ここは20人の警護武士「滝口の武士」の控え所にもなっていました。『平家物語』で横笛の悲恋の相手、滝口入道はここの武士でした。

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清涼殿から紫宸殿へ行く廊下にある衝立「年中行事障子」 片面が半年分で200近く書かれていて、ほぼ毎日のように行事があります。この奥が「殿上の間」で、蔵人や公卿などが控えて奉仕しました。

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東庭を抜けると門があり、順路は北に向かいます。

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「小御所」 平安京の内裏にはなく、鎌倉時代に建てられました。室町時代には将軍参内の際の休息所、江戸時代には幕府の使者や所司代の謁見所、幕末には藩士・公卿の謀議所として用いられました。 幕末(1868年)に「小御所会議」が行われた場所です。

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1月3日に行われた小御所会議は、同日に発せられた王政復古の大号令で新たに設置された総裁・議定(ぎじょう)・参与の三職が行った最初の国政会議です。倒幕派の計画通り、大政奉還した徳川慶喜の官職(内大臣)辞職、徳川家領の削封が決定されました。

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「御池庭(おいけにわ)」 平安京の内裏にはありませんでしたが、江戸初期に里内裏が拡張された際に作庭されました。その後火災。改修を繰り返し、現在の御池庭は延宝年間(1673-1681)に完成したといわれています。

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かっては東山の借景を取り入れた池泉回遊式庭園になっていて、池には南北に3つの中の島、手前には大きな州浜があります。北と南の中の島には橋がかかり、中央の中の島は蓬莱島で御舟宿があり、雪見燈籠が建っています。

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「蹴鞠の庭」 小御所の北にあり、蹴鞠や砂立舞楽が行われた場所です。現在でも国賓に蹴鞠が披露されることがあるそうです。

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この日(4月8日)は、午前中に「蹴鞠保存会」による蹴鞠の披露があったそうです。ただし場所は春興殿前の広場(紫宸殿の回廊の東)です。下は看板にあった写真です。

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「御学問所(おんがくもんしょ)」 もともと清涼殿内にありましたが、慶長年間に徳川家康が行った造営で別棟に建てられました。皇太子が学問をする場所で、歌会や対面などにも使われました。大政奉還の大号令が出された場所でもあります。

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部屋には有職御人形司・12世伊東久重が製作した人形が展示してありました。下は公卿で、隣の部屋には親王の人形がありました。天皇の人形もあるはずですが、どこかに移されていました。

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さらに北に行きます。

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「御常御殿(おつねごてん)」 天皇の日常の生活の場は、平安京内裏では今は無き仁寿殿が使用されました。その後、清涼殿内に造られ、室町時代以降は御常御殿が建てられ御座所となりました。現在の建物は安土・桃山時代の1590年に別棟として建立されました。

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下は東北にある二の間で、鶴沢探真筆の四季花鳥図があります。この部屋は天皇の居室の内、食事をとられた場所でもあり、また正月の御鏡開、御内祝御膳をはじめ、中元や八朔、ごく近親の方々とのご対面にも用いられたそうです。

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御常御殿のそれぞれの間には障壁画の他に、杉戸絵もあります。

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「御内庭(ごないてい)」 幕末から明治にかけて整備された庭で、遣り水が北から南に流れて「流れの庭」ともいわれます。以前は琵琶湖疏水の水を引いていましたが、現在は井戸水を汲み上げているそうです。水は南の御池庭に流れ込みます。

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「迎春(こうしゅん)」 安政の造営の後の1857年に建てられ、孝明天皇の書見の間になりました。順路はここまでで、迎春の近くには行けませんでした。

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向こうにあるのは茶室「聴雪」 このあたりは京都御所の中央部になります。さらに北部には、皇后宮常御殿、若宮御殿、姫宮御殿など、皇后、皇子、皇女が生活した建物がありますが、参観順路には入っていません。

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順路は少し戻って、御常御殿の南側に行きます。

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右から上段、中段、下段の間は奥での参賀などの対面の場として用いられました。上段の間の後方には、三種の神器のうちの剣璽(けんじ)を奉安した「剣璽の間」があります。

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上段の間には狩野永岳の「尭任賢図治(ぎょうにんけんとち)図」があります。堯王は、古代中国(三皇五帝時代)の伝説の聖王で、賢人を任用して国を治め、理想的な政治を行ったといわれています。

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「御三間(おみま)」 宝永6年(1709)御常御殿の一部が独立したもので、かつて南に能舞台があり能見所としても使われたそうです。その後、内々の対面所になり、涅槃会、茅輪(夏越祓)、七夕、盂蘭盆会などがが行われたそうです。

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祐宮(さちのみや、後の明治天皇)が8歳のとき、その成長を願う「深曽木(ふかそぎ)」がここで行われたました。

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この特別公開は4月8日まででしたが、現在は予約なして参観することができる通年公開を行っています。部屋の内部がどこまで見られるかは分かりませんが、参観順路も(紫宸殿の前を除いて)特別公開とほぼ同じです。

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コメント

時間の流れが違う感じが、不思議です。
空気が違うといいましょうか。
異世界みたいですよね。

投稿: munixyu | 2018年4月15日 (日) 17:35

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