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2018年4月12日 (木)

金戒光明寺 桜めぐり2018

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の真如堂を出て、金戒光明寺の北門を入り御影堂(大殿)の西に来ました。今日は桜を求めて、境内の伽藍や塔頭を見て回ります。

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右が北門からの道で、ここから向う(西)に二つの塔頭があります。

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「永運院」 安土桃山時代の天正19年(1591)阿闍梨永継により創建。後に、浄専院と妙蓮院を合併、吸収して現在に至ります。本堂(方丈)は江戸初期に宮城豊盛が妙蓮院として建立(府登録文化財)(表門も)、宮城豊盛宛ての書状などが市指定文化財です。

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「西翁院(さいおういん)」 安土桃山時代の天正4年(1576)茶人・藤村庸軒の祖父、源兵衛が創建。茶室「澱看席(よどみのせき)」は、窓から遠く淀川や山崎方面が見えたので「淀見の茶席」とも呼ばれ、国の重要文化財。

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御影堂の方に戻り、山門を見に行きます。

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「阿弥陀堂」 江戸時代の慶長10年(1605)豊臣秀頼によって再建された寺内で最も古い建物。恵心僧都最終の作の阿弥陀如来が祀られています。 その腹中に彫刻器具が納められているので、「ノミおさめ如来」と称されています。

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「納骨堂」 元禄2年(1689)に経蔵として建立され、黄檗版一切経が納められていましたが、現在は収蔵庫に遷されました。平成23年(2011)の法然上人八百年遠忌の記念事業で納骨堂として改修され、本尊は納骨された骨で造立された阿弥陀如来像(骨仏)。

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堂内には、法然上人二十五霊場のお砂踏みが置かれ、右回りに一巡すれば二十五霊場を巡拝したのと同じ功徳が得られるといいます。山門の前まで下ります。

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石段の途中から京都タワーが見えます。

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山門の西に塔頭が並んでいます。

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「西住院」 谷崎潤一郎が大正14年7月~9月ここで過ごし、病気の濱本浩を見舞い、鹿ヶ谷の和辻哲郎を訪ねました。またこの時期執筆した『阪神見聞録』では、阪急電車内で母親が子供にXXをさせているのを目撃した話が出てきます。

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「東京人には恐縮であるが、此方の人はこんなことを何とも思ってゐないらしい」などと書き、偏見があったので周囲の人の表情や感情が見えなかった(無視した)と批判されました(擁護・同調する意見もありましたが)。

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山門の横から、青蓮院の青龍殿が間近に見えます。

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下は山門から見た「御影堂」。法然75歳時の肖像を安置、昭和9年に焼失、昭和19年に再建されました。奈良時代の学者・吉備真備が中国から持ち帰った栴檀香木で行基が彫ったという木造千手観音菩薩立像は「吉備観音」と呼ばれ、国の重要文化財。

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「山門」は江戸時代の万延元年(1860)に完成、楼上内には十六羅鑑像が安置され、正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があります。天井に龍の図があるのは珍しいそうです。左に西門からの参道があり、ここから右手にある三重塔に向かいます。

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「常光院」 安土桃山時代の1577年に創建され、当初は明寿院という名でしたが1644年に常光院と改められました。江戸時代初期の近世筝(琴)曲の祖といわれれた八橋検校の菩提寺です。検校の墓への参拝者のために作られたのが、「八ッ橋」の始まりといわれます。

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「極楽橋」、向うに三重塔(文殊塔)が見えます。

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「兜之池」 一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実が、殺生の無常を悟り、出家を決意して兜を置いた場所とされています。直実の法名は蓮生(れんせい)といい、この池には蓮が咲きますが、この日は桜の花びらで覆われていました。

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アフロヘアーの「五劫思惟阿弥陀仏像」。一劫は、四十里立方の大岩に天女が三年に一度舞い降りて羽衣で撫で、岩が無くなるまでの時間。その5倍の時間、思惟をこらし修行した結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪が積み重なったとされます。

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左の道の奥に「西雲寺」 朝鮮から連れてこられ、滝川雄利の息女に仕えていた宗厳が、その死を機に出家、11年の修行の後黒谷に戻り、金戒光明寺の寺宝・紫雲石を授かり開山を許されました。寺には会津藩士の墓地があります。

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もう一度石段に戻り、西の方には知恩院の御影堂(左)や中央には祇園閣も見えます。

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「三重塔(文殊塔)」 二代将軍徳川秀忠の菩提のために建立された三重塔で、本尊の文殊菩薩は、脇士の像とともに運慶の作。本尊は、大和阿部文殊、丹後天橋立の切戸文殊とともに日本三文殊とされています(他の説もあります)。

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西山に陽が沈みかかっています。暗くならないうちに真如堂の前に戻り、吉田山を越えるつもりです。

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コメント

池にできる花筏も、期間限定の情緒があっていいですよね。
桜のころは全てが儚くて、綺麗だと思います。

投稿: munixyu | 2018年4月12日 (木) 13:24

★munixyuさん こんばんは♪
池の写真は桜が満開のときですが、そのときにはもう散り始めるのですね。

投稿: りせ | 2018年4月18日 (水) 23:47

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