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2018年4月 7日 (土)

祇園白川 夜桜2018

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の岡崎から四条京阪まで来ました(TOPの写真)。このような移動には市バスの「京都岡崎ループ」が便利です。空にまだ明るさが残っている間に祇園白川の桜を見れそうです。

川端通を少し下がり、白川南通に入ります。

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通りの端に「弁財天社」があり、このあたりの町名も弁財天町です。鎌倉時代前期の1228年、鴨川の洪水に悩まされていた、治水担当、防鴨河師の勢多判官為兼は、ある僧の進言により、川北に弁財天社、川南に禹王廟(なつのうのちょう)を建立しました。

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禹王とは治水事業に功績があった中国・夏王朝の始祖です。僧は目疾(めやみ)地蔵(四条通にあります)に消え、その後洪水はおさまったといわれています。隣には地蔵尊も祀られています。下は料亭「京新山」。

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実は、昨年に引き続いて、今年の「祇園白川宵桜ライトアップ」は中止になっています。ただし、通常の街灯りで十分夜桜を楽しめます。

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中止になったライトアップは、地元住民でつくる「祇園白川ライトアップ実行委員会」が、京都商工会議所と京都仏教会からの助成を得て実施してきたものです。

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ライトアップ(ライト)と同時に、花灯路の設置や舞妓さんの撮影会も中止になっています。

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中止の理由は、会場(白川南通)の安全対策上ということです。観光客が増えすぎて、実行委員会では対処できなくなったそうです。

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「大和大路通(縄手筋)」を渡ります。横断歩道以外でこの通りの渡る人が多く、交通安全が保障できないことがライトアップ中止の原因の一つだそうです。

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ここから先が「伝統的建造物群保存地区」になっていて、桜と背景の昔ながらの町並が風情があります。ここからは街灯だけでも十分明るく夜桜を楽しめます。一筋北の新橋通も同じ保存地区で、合わせて「祇園新橋」とよばれています。

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ライトアップは1990年から京都市が観光事業として白川沿いのソメイヨシノや枝垂桜など約40本をライトで照らし、2006年から実行委員会の主催となり、27年間行われてきました。焼き鳥の「鳥新」。

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「PASS THE BATON(パスダバトン)」 2年前の夏にオープンしたセレクトリサイクルショップで、中にカフェ「たすき」もあります。

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料理旅館「白梅」 静かな雰囲気のところで、この橋の真ん中まで来て写真を撮るカメラマンに迷惑をされているようです。

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それぞれのお店が、お客に桜を見てもらうためにライトを設置していて、通りからでも夜桜が浮き上がります。左は料亭「ぎおん琢磨」。

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鴨川東岸のこの付近は、平安中期頃から八坂神社の門前町として発展して、大和大路沿いに参拝客や芝居客相手の茶屋町が作られるようになったのが始まりで、「祇園外六町」と呼ばれました。(ライトアップがなくても観光客が多く、外国人の方も目立ちます。)

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左は「しぐれ茶屋 侘助」、左は「京都 和硝子」の祇園ギャラリー。

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江戸時代中頃には、幕府から茶屋営業の許可が下りて、新たに元吉町、橋本町、林下町、末吉町、清本町、富永町からなる「祇園内六町」が開発されました。現在の祇園新橋は、このうちの元吉町にあたります。割烹「さか本」。

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江戸時代末期から明治時代初期にかけて最盛期を迎え、500軒もの茶屋が祇園に立ち並んでいたといいます。

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この通りの石畳は、明治28年に日本で初めて開業し、昭和53年に廃止された路面電車(市電)の敷石が使われています。昨年11月から今年の1月まで、長年の車の通行で痛んだ敷石の取り換えと舗装が行われました。西側の3分の1は3年目に完了しました。

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手前は吉井勇の歌碑「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」。この場所は、お茶屋の「大友(だいとも)」があった場所で、白川沿いにはお茶屋が並んでしましたが、第二次世界大戦の戦局の悪化とともにすべて廃業しました

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大友の女将「磯田多佳」は祇園甲部の芸妓でしたが、一方で夏目漱石、谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文学者と交流した歌人でもあり、「文学芸妓」と呼ばれました。そして、大友は、有名作家や画家が集まるサロンのようになっていたそうです。

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戦後になると、祇園一帯は歓楽街として乱開発が進み、多くの茶屋がビルに取って代わられましたが、祇園新橋ではかつての茶屋の町並みが守られてきました。

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一筋北の新橋通と交わるところに「辰巳神社」があります。京都御所の辰巳(南東)の方角を守る神社でしたが、祇園の人々の信仰が厚く、芸舞妓さんが芸事の上達を祈って訪れるようになりました。祭神の辰巳大明神は狸だったといわれています。

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その狸は、すぐ横の巽橋に住み着いていて、橋を渡る人を化かしては白川の中を歩かせていました。困った祇園の人々が、この狸を祀る祠を立てたところいたずらが収まったと伝わっています。巽橋の上から。

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こちらが新橋通で、料亭やレストランが並んでいます。

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ライトアップが中止となったもう一つの原因は、大勢の人が辰巳橋に集中して、橋からの落下や橋が破損する恐れがあることだそうです。橋の上流から。

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コメント

これぐらいの灯りの方が自然でいいような気がします。
自然な中にある少しの灯りに、控えめな桜の風情、
和の心をより感じられるかもしれません。
白川の街景色も際立ちます。

投稿: munixyu | 2018年4月 8日 (日) 18:24

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