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2018年4月 6日 (金)

蹴上疏水公園とインクライン 2018春

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の南禅寺を出て、インクラインの上部にある蹴上疏水公園に向かいました。南禅寺の参道の途中にある金地院の門をくぐります。

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金地院の前を通りしばらく行くと、インクラインとその下をくぐるトンネル「ねじりまんぽ」が見えてきます。アーチ部分の煉瓦がねじるように積まれていて、縦方向にもアーチ構造になっています。

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インクラインの横の道を上っていきます。

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インクラインが下に見えます。このあたりから上が「蹴上疏水公園」で、南禅院から疏水分線沿いに来ることもできます。

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琵琶湖疏水の工事を担当した主任技師「田邉朔郎」の像と記念碑があります。明治2年に東京へ都が移り、人口も急減、産業が衰退していく京都を復興させるため、当時の京都府知事北垣国道は疏水事業を計画しました。 

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琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き、同時に動力(水車)、かんがい、防火などに利用して、京都の産業を振興するのが当初の目的でした。舟運以外の目的のためには、琵琶湖からの水をできるだけ水位を下げずに高い位置に導く必要があります。(蹴上浄水場)

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そこで、大津市三保ヶ崎と蹴上をトンネルと水路で結び、疏水の水がこのトンネル(疏水合流トンネル北口)から出てきます。寺社の扁額のように「洞門石額」が掲げられています。田邊朔郎の筆による「藉水利資人口」(すいりをかりてじんこうをたすく)は、

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「自然の水を利用して、人間の仕事に役立てる」という意味だそうです。トンネルから出てきた水はこの堰から下に流れ発電所の取水口に行きます。残りは疏水分線となって、南禅寺水路閣や哲学の道の方に流れていきます。

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疏水工事の途中でアメリカを視察した田邊らは、水力発電が開発されつつあることを知り、急遽、動力として水車ではなく発電所を建設することになりました。大規模な計画変更でしたが疏水自体は変更せずに済み、工事費用はそれほど増加しなかったといいます。

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明治24年(1891)蹴上に日本最初の商業用水力発電所が稼働し、市内各所に電力を供給することにより、その後の京都の発展に大きく寄与しました。下の送水管から発電所に疏水の水が流れていきます。

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インクラインの上部に来ました。舟運のためには落差のある蹴上と伏見の2カ所に台車に船を載せて上下させる「インクライン」(傾斜鉄道)が採用され、明治24年に開通しました。ケーブルカーのように2台の台車を上部で滑車でつなぎ、同時に上下させます。

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この石像の前に、田邊朔郎が私費で建てた第1疏水工事の殉職者17名の慰霊碑があります。

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インクラインの動力にも電力が採用され、昭和になるまで疏水による舟運がおこなわれました。しかし、戦後になると鉄道などの陸運が発達して、昭和23年(1948)にインクラインの運用が休止、昭和48年(1973)には残っていたレールも撤去されました。

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台車の横にある枝垂桜は今年3月に「琵琶湖疏水通船就航記念」として植樹されたものです。下は、日向大神宮の参道の「大神宮橋」から。琵琶湖と蹴上間の舟運は明治27年(1894)に初めて運航され、ピーク時には150隻が資材を運搬し、遊覧船も運航されました。

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昭和26年(1951)に琵琶湖と蹴上の運搬船は姿を消しました。しかし、近年になって新たな観光資源として、琵琶湖と京都の間の疏水に船を運行する要望が高まり、様々な団体によって運動が行われてきました。

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平成25年(2013)に京都、大津市長が参加した船下り試乗会を契機に、民間企業や、両市の観光協会や商工会議所などによって「琵琶湖疏水船下り実行委員会」が結成され、今年の春からは正式に上下便の運行が開始されました。

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「びわ湖疏水船」としてJTB西日本京都支店内に受付がありますが、既に春の運行は予約終了だそうです。奥のトンネルが第1疏水出口で、ここから大津までの7.8㎞が運行区間です。右には蹴上浄水場の取水施設があります。

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インクラインの上端に来ましたが、ここまで来る人は多くはありません。広い間隔のレールが左右に二組あり、昭和52年(1977)産業遺産として復元されたものです。

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上の蹴上船溜から下の南禅寺船溜までの高低差は36mだそうです。桜が密な場所には大勢の方がいます。

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インクラインは水力発電による電力で動き、それ以外の電力は主として工業動力に振り向けられました。紡績、伸銅、機械、タバコ等の新しい産業の振興に大きな効果をもたらし、京都の発展の一大原動力となりました。下は三条通で、地下鉄の蹴上駅あたりです。

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明治28年には我が国最初の路面電車が京都駅と伏見の間に開通しました。南禅寺船溜にある琵琶湖疏水記念館に明治24年の発電開始当時に使われた発電機のペルトン水車(国産品)が展示されています。

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インクラインおよび水路閣は、西欧技術が導入されて間もなく、日本人のみで設計、施工されたもので、土木技術史上極めて貴重なものとして昭和58年京都市の史跡に指定されました。下は南禅寺からの道で「ねじりまんぽ」が真下を通っています。

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ところで、疏水の動力として水力発電を採用したことは、このあたりのその後の景観に大きな影響を及ぼしました。当初の水車による動力は、水路を張り巡らせ、工場の横に設置した水車から動力を得る方式です。

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そのため、工場を疏水沿いに配置する必要があり、蹴上から南禅寺、哲学の道あたりまで一大工業地帯になる予定でした。一方、水力発電による電力は遠方に送ることが可能なので、このあたり一帯が別荘地として売り出されました。

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蹴上の水力発電所は、昭和17年(1942)に京都市から現在の関西電力の前身である関西配電株式会社に引き継がれました。運転開始から百年以上経った今なお、現役の発電所として市内に電気を送り続けています。道路の向こうに関西電力蹴上発電所があります。

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このあたりは、もともとは南禅寺の敷地を召し上げた地域で、現在でも15の広大な別荘が残っていて「南禅寺界隈別荘群」とよばれています。インクラインの途中に台車と木造船が復元されています。

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別荘の多くの庭を小川治兵衛が手掛け、疏水から水を引き、東山を借景とし、数寄屋建築を配した名庭園が生まれました。南禅寺橋の向こうが「南禅寺船溜」で、噴水は蹴上船溜との水位差を利用しています。

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南禅寺船溜から夷川ダムまでの約3㎞は「桜回廊」とよばれ、十石船が運行しています(この日は既に終了していました)。こちらは3月24日から5月6日まで毎日運行し、3月30日から4月10日の期間はライトアップもあります。15分間隔で往復25分、ここが発着場です。

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この後、祇園四条に夜桜を見にいきました。

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コメント

疎水の辺りは、水が豊富だからか
桜が元気そうですね。
川の辺り、水の多いところの桜、水の少ないところの桜の風情の違いがまたいいですよね。

投稿: munixyu | 2018年4月 6日 (金) 11:58

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