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2018年3月 8日 (木)

膏薬辻子と神田神宮

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

四条通の新町と西洞院の間から南に抜ける細い道があり、両側には町家が並んでいます。右は祇園祭の郭巨山の町会所です。この通りがなぜ膏薬辻子(こうやくのずし)と呼ばれるのかは後ほど。

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この地域は、皇后を何代も輩出した権大納言藤原公任(きんとう)の邸宅・四条宮のあった場所です。旬肴屋「秀」

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藤原公任(966-1041)は藤原氏の全盛時代、祖父・父ともに関白・太政大臣を務めましたが、実権が同じ藤原氏の九条流に移ったため権大納言までしか昇進できませんでした。下は、「てくてく京都」、レンタル着物屋さんです。


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しかし、和歌では『拾遺抄』の編纂や『拾遺和歌集』以後の勅撰和歌集に88首も選ばれるなど第一人者として、この時代の和歌の興隆に寄与しました。小倉百人一首では、大納言公任として「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」

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藤原公任の時代の少し前の938年、踊念仏で知られ、後に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を創建した空也上人が、この地に道場を設けて念仏修行を始めました。上と下はホテル「ゆにぞ」。

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940年東国で起こった天慶の乱により、平将門は藤原秀郷と平貞盛に討たれ、その首は京都に送られ、このあたりの都大路で晒されました。「神田神宮」(京都神田明神)

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それ以後、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨念の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれました。

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京都でも、空也上人が道場の一角に塚を建てて供養したので「空也供養の道場」と呼ばれました。これが、現在の神田神宮の始まりです。

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そして、空也供養の発音が訛り、細い道を意味する辻子と合わせて、膏薬辻子と呼ばれるようになったとされています。その後、この地に関白・藤原頼忠が屋敷を構え、その子公任が引き継いだのです。下はご神体の石。

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その後このあたりには町家が建てられましたが、格子で囲まれた厨子にご神体が祀られてきました。江戸時代の『拾遺都名所図会』の「平将門社の条」にも、通りの名の由緒とともに三尺ほどの爪のような石をご神体として祀ったと書かれています。

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2010年になって現在のように町家の1階が神社となりました。将門の首が京から飛んで「帰った」ことから、左遷、誘拐、行方不明の人が帰ることを祈願して、「蛙」を奉納する信仰があるそうです。

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左隣の家の前にちょっと大きな石があります。『拾遺都名所図会』には石塔の台石が隣家の下にあると書いてありますが、その石かも知れません。

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明治時代初めの1869年、南北の膏薬辻子を合わせて新釜座町となりました。祇園祭では北は郭巨山、南は伯牙山の寄町となっています。北の方を振り返って。

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「膏薬辻子式目」というお触書。新釜座町・町内会の規則のことで、基本姿勢、日常の暮らし(防火・防犯、辻子の保全、店舗について)、まちなみの保全(建物の外観、土地・家屋の売買・賃貸)の各項目について詳しく書いてあります。

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こちらの社名の元となった東京の神田神社では、明治7年に天皇が行幸する際に平将門は逆臣として祭神から外され、摂社に遷されました。(通りは一旦西に曲がります。)

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昭和59年(1984)になってようやく将門は祭神として本殿に復帰したそうです。(角にある「イロドリキョウト」 むかしキモノレンタルだそうです。)

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左は木版画の「竹笹堂」。

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突き当りは喫茶「?多西」

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なべ焼きうどん、カレーセット、手作りチーズケーキ・・・、一服したかったのですが時間がありませんでした。ここで通りは再び南に向かいます。

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酒房「菜々」 膏薬辻子は向うの通りまでです。

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ところで、今日(3月8日)は「町家の日」だそうですが、その理由のヒントは教えられません。綾小路通に出ると、通りの北側にも町家が並んでいます。

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上の並びに「杉本家住宅」(国の重要文化財、京都市指定有形文化財)があります。庭は「杉本氏庭園」として国の名勝に指定されています。建物は杉本千代子さんを代表とする財団法人奈良屋記念杉本家保存会が管理しています。

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建物は築150年近くたち、米蔵に重大な損傷が見つかり現在解体工事中だそうです。国の補助金がありますが、財団は多額の負担をしなければいけなく、皆様のご支援をお願いしますと書いてあります。(下は昨年の宵山で、前に伯牙山があります。)

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もう一度四条通に戻りました。何軒かお店がありましたが、静かな京町家の通りでした。

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コメント

平将門は結構怖い怨霊みたいになっていたのですね。
裏切りか何かで、死んでしまったのかもしれませんね。
教科書にない、何かがありそうです。

投稿: munixyu | 2018年3月 8日 (木) 12:56

★munixyuさん こんばんは♪
昔の人は、ひどい仕打ちを受けて死んだ人の怨霊を信じたようですね。どこかに、このようなことをしてはいけないという道徳心が怨霊を作り出したのかも知れませんね。

投稿: りせ | 2018年3月12日 (月) 23:44

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