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2018年3月10日 (土)

菅大臣神社 道真生誕の邸宅跡

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

西洞院通に面して仏光寺通と高辻通の間に「菅大臣神社」(菅大臣天満宮)の鳥居があります。

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この地はもと菅原道真家の邸宅(白梅殿)や菅家廊下といわれた学問所の跡で、道真生誕の地とされています。京都御苑西の「菅原院天満宮」も菅原家の邸宅(菅原院)の跡地とされていますが、こちらは別の屋敷跡です。

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平安時代の901年右大臣であった道真は大宰府に左遷させられ、旅立つ際に、この地で「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠んだといわれています。(参道はビルに囲まれていますが、奥には広い境内があります。下は社務所。)

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903年道真は無念のうちに大宰府で亡くなりました。

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道真の没後、都では疫病や災害、要人の不慮の死などの異変が続き、道真の怨霊の仕業であると考えられていました。

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詳しい年代は不明ですが、その頃道真の怨霊を鎮めるために、この地にあった道真邸の跡地にその御霊を祀る社が建てられたと考えられています。

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道真が歌に詠んだ梅が、一晩で大宰府の道真の住む屋敷の庭まで飛んだといわれています(飛梅伝説)。こちらの狛犬のそばに「飛梅」があります。

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この日はまだ開花していませんでしたが、蕾がいまにもほころびそうな状態でした。

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当初の社は北にあった邸宅・紅梅殿の跡地にまたがっていましたが、創建以来たびたび兵火にあい、鎌倉時代末には紅梅殿の跡地に住む住人と北野社の間で紛争があったといわれています。下は「本殿」。

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南北朝時代には南北両社に分かれ、南に建つ社は天神御所や白梅殿社(現・菅大臣神社)と呼ばれ、北に建つ社は北社や紅梅殿社(現・北菅大臣神社)と呼ばれました。 (本殿には菅原道真、尼神、大己貴命を祀ります。)

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大己貴命(おおなむちのみこと)は大国主命の若い頃の名で、尼神(あまがみ)は道真の娘・ 菅原衍子(宇多天皇の女御)と考えられています。学業成就、入試合格のご利益があるとされています。

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本殿の前には四つの摂社があります。左手の二つは、老松社(左)と火御子社(右)

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右手には 福部社(左)と白大夫社(右)。いずれも菅原道真ゆかりの人物と道真の悪霊とされる雷の神(火御子社)を祀ります。

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両社は室町時代の応仁の乱(1467-1477)で廃れてしまいましたが、その後曼殊院宮良恕法親王により再興されました。以後、曼殊院が白梅殿社を管轄します。(本殿の右手に摂社や石碑が並んでいます。)

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一番奥に、道真の産湯に使ったとの伝説がある井戸があります。そばに「天満宮誕生水」の石碑が建っています。

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江戸時代には 天明の大火(1788年)と蛤御門の変(1864年)によって焼失しました。もう一度、本殿・の前の鳥居まで来て、右手(北)に行きます。

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明治初年(1868年)の神仏分離令の後、この地の白梅殿社は菅大臣神社と改称されました。翌1869年、現在の本殿が下鴨神社より移築されました。

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「三玉稲荷社、春崎稲荷社」があります。稲荷神の倉稻魂神(うかのみたまのかみ)を祀っていると思われますが、詳しいことは分かりません。

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北の方にも参道があり、西側(右)は民家が並んでいます。

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北の鳥居を外から。左前に「菅家邸址」その後ろに「天満宮降誕之地」の石碑があります。

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北に少し行くと紅梅殿跡に建つ「北菅大臣神社」があり、道真の父是善を祀ります。左右の灯篭は1844年に寄進されたもので、鳥居にかかる扁額には「紅梅殿」と書かれています。

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道真が大宰府に旅立つ際に「東風吹かば」の歌を詠んだのは、この紅梅殿だといわれています。後に清少納言は枕草子でこの屋敷を絶賛したそうです。

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コメント

昔は、怨霊とか結構恐れられていたんですね。
神社とかお寺は、そういうもののためにあったんでしょうね。

投稿: munixyu | 2018年3月10日 (土) 11:53

★munixyuさん こんばんは♪
怨霊の祟りを鎮めるという御霊信仰が、多くの神社を創り出したようですね。

投稿: りせ | 2018年3月12日 (月) 23:47

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