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2018年2月16日 (金)

天龍寺 塔頭と七福神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日までの記事で、渡月橋から大堰川北岸を遡って、宝厳院・嵐山羅漢まできました。その前の道を北に行くと直ぐに天龍寺の境内に入ります。

「友雲庵」 ここでは、毎月第2日曜日に午前9時から坐禅会と午前10時から禅の講義である提唱が行なわれ、一般に開放され予約不要、無料で体験することができます。

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「法堂」 その名は説法堂という意味で、仏に代って住持が人々に説法する場所だそうです。幕末の元治元年(1864)の兵火で焼失、その後明治になり江戸後期建立の雲居庵禅堂(選佛場)を移築、禅宗七堂伽藍の一つです。

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向うは拝観入り口がある庫裡。既に拝観時間を過ぎているので、この参道北に並んでいる塔頭を巡りながら総門の方に向かいます。

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「八幡社」 八幡大菩薩を祀り、天龍寺の総鎮守社です。本殿の横に「慰霊碑」があります。
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シベリア・フカチヤーチヤ収容所から帰還した人々が 昭和44年に同収容所で永眠した千余人を始めとして ソ連での抑留死没者、帰還後死没者の合同葬儀を天龍寺で行いました。それらの戦没者の霊を慰め、世界の永遠の平和を念じるために建立されました。

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鳥居の横に「飛雲観音」があります。全世界の航空安全祈願、戦没搭乗員と航空殉難者の慰霊供養のために建立されました。国籍や宗教の区別なく回向するために、手には十字架を持っています。「とつくにの空を旅するもろ人を飛雲に乗りて守る観音」

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「松厳寺」 松巌寺は室町時代初めの1353年、公家で和学者だった四辻善成(よつつじよしなり)が臨済宗の僧・晦谷祖曇(まいこくそどん)を開山に招き開基しました。善成は順徳天皇の曾孫で、左大臣などを歴任しました。

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この参道に並んでいる塔頭寺院は通常拝観していませんが、人々に信仰されている神々(仏たち)を祀るお堂だけはお参りできます。

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山門を入って左の奥に「福禄寿天」を祀るお堂があります。この福禄寿は四辻善成の念持仏だったといわれ、開運、不老長寿のご利益があるとか。

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中央に福禄寿天、右に大聖歓喜尊天、左に稲荷明神を祀ります。この塔頭を始め、天龍寺の塔頭には「七福神」が祀られていて、2月3日の節分の日に七福神巡りが行われます。

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隣の「慈済院」は、1363年に天龍寺第2世・無極志玄(むごくしげん)が創建しました。無極志玄は順徳天皇の曾孫で、南洲宏海の元で出家して東福寺・無為昭元に学び、夢窓疏石の法を嗣ぎました。この参道沿いの塀は瓦塀となっています。

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慈済院の山門は閉まっていましたが、こちらの中国風の「来福門」は開いています。

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天龍寺を開いた夢窓国師が一刀三礼して彫ったといわれる弁財天を祀り、学徳成就、諸芸上達、福徳施与のご利益があるとされます。

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毎年、巳成金(みなるかね)の大祭の日に、墨の代りに香水によって刷った弁財天像を
授与していたことから、「水摺福寿弁財尊天」とも呼ばれています。

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巳成金とは、弁財天と習合した蛇姿の宇賀神にちなんで十二支の「巳」、十二直の「成」、そして二十八宿の「金」に当たる日で、「実の成る金」として金持ちになれる日だとか。天井に日本画家の里見米菴(べいあん)による雲龍図があります。

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「弘源寺」 室町時代の1429年幕府の管領だった細川持之が、夢窓国師の法孫にあたる玉岫(ぎょくしゅう)禅師を開山に迎えて創建。当時は広大な寺領をもっていましたが、幾度かの火災に遭遇し、明治になって維北軒と合併して現在の規模になりました。

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枯山水の「虎嘯の庭」、竹内栖鳳とその一門(上村松園・西山翠嶂・徳岡神泉・小野竹喬ほか)の作品を所蔵。また小倉山にある境外墓地には向井去来の墓と西行法師ゆかりの井戸などがあります。昨日の嵐山羅漢にも弘源寺檀家からの多くの奉納がありました。

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「毘沙門堂」 毘沙門天(重文)を祀り、武道成就、降魔厄除、家内安全のご利益があるとされます。

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この毘沙門天はインドの仏師・毘首羯磨(びしゅかつま)作で、インド、中国を経由して伝わった三国伝来で当初は比叡山の無動寺にあったといわれています。

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厨子は閉じていますが、前に毘沙門天の写真がありました。

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毘沙門堂の前には獅子に乗った文殊菩薩の銅像があります。

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「三秀院」 1363年に臨済宗の僧・不遷法序(ふせんほうじょ)が創建しました。不遷法序は相模の生まれ、夢窓疏石の法を嗣ぎ、天龍寺の住持などを歴任しました。一度は焼失して荒廃しますが、江戸時代前期の寛文年間(1661-1673)に後水尾天皇が中興しました。

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蛤御門の変(1864年)で天龍寺が被災したとき、三秀院も焼失してしまいました。明治時代になって1876年に塔頭・養静軒を合併して現在の地に再建されました。

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ここに祀られている大黒天は、後水尾天皇の念持仏とされ、「東向き大黒天」とも呼ばれます。確かに、お堂は東を向いています。大黒天は五穀豊穣、出世開運、商売繁盛の信仰があります。、

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お堂の中を覗いてみると、大黒天の足だけが見えます。以上で、七福神のうちの四つを巡りました。残りは、南の参道沿いに北から永明(ようめい)院(恵比寿)、寿寧院(不動明王)、妙智院(宝徳稲荷)です。宝徳稲荷は布袋、不動明王は寿老人の代わりだそうです。

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総門の横にもう一つの塔頭「南芳院」があります。ここには七福神はありませんが、数奇な人生を送った日系アメリカ人禅僧「ヘンリ・ミトワ」さんの終の棲家です。現在はアメリカ人禅僧「トーマス・カーシュナー」さんがここに住んでいますが、二人の話は別の機会に。

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2月3日の七福神巡りは、総門で受け取った福笹を持って、三秀院の大黒天から始まり、左回りに妙智院の宝徳稲荷までお参りしてお札を受け取り、一年の幸福を祈願します。

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コメント

凄い色の龍ですね。
光沢でしょうか。
ぼわっとした不思議な輝きに、魅了させられます。

投稿: munixyu | 2018年2月16日 (金) 20:51

★munixyuさん こんばんは♪
写真の龍の色は、照明と雲竜図を囲む金属製の枠の反射によるのだと思いますが、本当の色がどうなのか分かりません。

投稿: りせ | 2018年2月20日 (火) 23:40

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