« 吉田神社 節分祭(追儺式) | トップページ | 聖護院 採燈大護摩供 »

2018年2月 4日 (日)

須賀神社 節分祭と懸想文売り

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnl_2597a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は須賀神社・交通神社の節分祭に行ってきました。鳥居の前の春日北通は丸太町通の一筋北にあり、金戒光明寺の西門に至ります。この日は聖護院でも節分会、大護摩会があり、いつになく通りは賑わっていました。

Jnl_2596a

須賀神社は平安時代初期の869年に建立され、この地域(聖護院)一帯の産土神(うぶすながみ)として信仰されてきました。創祀当時は西天王社とよばれ、現平安神宮の青龍殿あたりの場所に社があり、岡崎の東天王社(岡崎神社)と対をなす神社でした。

Jnl_2588a

当時の祭神は東天王社、祇園社(八坂神宮)とおなじ疫病神・牛頭天王(ごずてんのう)でした。鎌倉時代の1332年には北条高時の反乱により吉田神楽岡に避難し、南北朝時代1336年に社殿が造営されました。(この日は入口付近に茶店が設けられていました。)

Jnl_2589a

その後、江戸時代の慶安元年(1648)には現・山蔭神社(吉田神社摂社)あたり遷座したといいます。(参道の両側にはテントが張られ、お守りやお札、おみくじなどの臨時の授与所となっています。)

Jnl_2523a

明治政府の神仏分離令により、西天王社から須賀神社に改められ、大正13年(1924)にかって御旅所があった現在地に移転しました。昭和39年(1964)交通神社を分祀しました。

Jnl_2527a

右の須賀神社には素戔嗚尊とその妻・櫛稲田比売命(くしいなだひめのみこと)を祀り、縁結び、夫婦和合、厄除けの信仰があります。素戔嗚尊は牛頭天王と同一視されてきた歴史があり、明治時代になってから祇園社を始め多くの神社の祭神が改められました。

Jnl_2541a

左の交通神社には久那斗神(くなどのかみ)、八街比古神(やちまたひこのかみ)、八街比売神(やちまたひめのかみ)が祀られ、交通安全、旅館業守護などのご利益があるとされています。
Jnl_2544a

なお、交通神社の3祭神は、日本書紀や古事記にも現れる日本古来の神で、道祖新の原形で道案内や旅の安全を守護するとされてきました。

Jnl_2568a

交通神社の左にある絵馬所。

Jnl_2558a

本殿の左手前に「白龍大明神」と「稲荷大明神」を祀る摂社があります。白龍大明神は厄除け開運をもたらし、稲荷大明神は五穀豊穣、商売繁盛の神です。

Jnl_2548a

「須賀神社」の名は、八岐大蛇を退治した素戔嗚尊が櫛稲田比売命と住む新居を建てた出雲国須賀の地名に由来するそうです。

Jnl_2570a

参道には、「懸想文(けそうぶみ)売り」が出ています。懸想文とは恋文、ラブレターのことでかっては梅の枝に付けていました。烏帽子に水干、覆面姿はちょっと怪し気ですが訳があります。

Jnl_2533a

平安時代以来、読み書きのできない庶民のために、公家が身分を隠して恋文の代筆、代読を行っていた姿を表しています。公家たちも生活が苦しく懸想文で副収入を得ていました。

Jnl_2537a

この風習は明治以降なくなりましたが、節分の時だけ須賀神社に懸想文売りが現れます。この文を鏡台や箪笥に入れておくと容姿端麗になり、衣装も増え、良縁に恵まれるといわれています。

Jnl_2577a

ちなみに、懸想文の表は梅の花の絵と「むすほれし 霜はうちとけ 咲く梅の 花の香おくる 文召せやめせ 」と和歌が書いてあります。

Jnl_2583a

本文は毎年変わり、昔の貧乏な公家に代わり大学の国文学の先生が書いているそうです。

Jnl_2530a

今日もブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。

  ★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jnl_2564a

|

« 吉田神社 節分祭(追儺式) | トップページ | 聖護院 採燈大護摩供 »

コメント

焚火の温かさは、独特の匂いと音がしていいですよね。
懸想文売り?売り屋がくるって面白いですね。
貴重な文化だと思います。

投稿: munixyu | 2018年2月 4日 (日) 11:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 吉田神社 節分祭(追儺式) | トップページ | 聖護院 採燈大護摩供 »