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2018年2月 2日 (金)

水火天満宮 最初の天満宮

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、堀川通をすこし北に行くと「水火(すいか)天満宮」ののぼりと鳥居が見えてきます。平安時代の923年醍醐天皇の勅願により、都の水害・火災を鎮めるために、延暦寺の法性坊尊意僧正によって菅原道真の神霊を勧請したのが始まりです。

尊意僧正は天台座主で道真の師でもあり、当初は西陣下り松の地の僧正の別邸に祀られました。僧正が下山の際に滞在し、道真と会見したゆかりの場所でした。

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菅原道真(845-903)は、学者の家系に生まれ右大臣にまで昇りつめた公卿・歌人です。しかし、反感を抱く左大臣・藤原時平らの画策によって、醍醐天皇は道真を大宰府へ左遷し、道真は失意の中で亡くなりました。道真の4人の子供らもそれぞれ流刑になりました。

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道真の死後、都には大雨、鴨川の氾濫、落雷や火災、疫病などの災害や異変が相次ぎました。清涼殿に落雷があり、多くの死傷者が出て、左遷に動いた藤原菅根が変死、藤原時平も急逝、天皇家にも不幸が続きました。(社務所の前から本殿の方を)

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都の人々は道真の祟りと恐れ、没後20年目に朝廷は道真の左遷を撤回して官位を戻して正二位を贈り、道真の罪を赦し子供らの流罪も解きました。この年、後醍醐天皇から「水火の社天満自在天神宮」という神号を授かり創建されたのがこの神社です。「手水舎」

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その19年後に文子天満宮、さらに5年後(947年)に北野天満宮が創建されたので、水火天満宮が日本最初の天満宮といわれています。下は「出世石」で、大願成就、出世する神石として信仰されているそうです。

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「登天石」 醍醐天皇から祈祷の勅命を受けた尊意が急ぎ山を下りて宮中へ向かう途中、鴨川が突如増水し町へと流れ込みました。しかし尊意が手にした数珠をひともみして、天に向かい神剣をかざして祈ると、たちまち水位が下り、真っ二つ分かれた水流の間から一つの石が現れました。

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その上に道真の神霊が現れ、やがて昇天し雲の中へ消え、雷雨も止みました。その石を持ち帰り供養して、登天石と名付けたといわれます。この石に祈ると、「迷子が無事に戻る」とされています。後ろは「菅公 影向松」、影向(ようごう)とは、神仏が一時姿を現すことで、松に降りることが多く各地にあります。この松は、数代目の松だそうです。

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「是より洛中 荷馬口付のもの乗べからず」と刻まれた石柱は、荷を載せた馬は、馬の口取り(馬子)が手綱を引いて歩くようにという交通標識です。1695年に市街地の交通安全のために都への出入り口30ヵ所に木杭で作られ、1717年に石標に作り変えられた一つと思われます。

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「金龍水」という銘がある都名水の一つがあります。鎮座以来、どんな旱(ひでり)の際も渇水したことがなく、濁ることもなく水質良好の清水であったそうです。また「眼疾を煩う人、この清水の奇篤によって平癒した人多くあり」と伝わる井戸水です。

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応仁の乱の最中の1472年、雨乞大賽の当日に後土御門天皇の御幸があり、和歌会の際に神殿で天神名号御震筆を賜り、神主・石見守正景は菊の紋章の御翠簾等を拝領しました。現在例祭が10月10日なのはこの御幸にちなんでいるそうです。「拝殿」

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「本殿」には菅原道真を祀り、水難・火難・災禍除け、合格祈願、旅行安全などの信仰があります。本殿・拝殿の前から右手に摂社が並んでいます。

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「六玉稲荷大明神社」 六玉稲荷大明神、玉光稲荷大明神と生島稲荷大明神を合祀し、開運除災・就職祈願 ・ 人材確保 ・ 商売繁盛のご利益があるとか。六玉稲荷は、東本願寺・枳毅邸にあったものが、明治以前に移され、西陣の地廻守護神となったとされます。

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「秋葉大神社」 祭神の秋葉大神は火伏せ、火難除けの神様です。

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「白太夫社」 道真の2人の兄は早く亡くなり、父は伊勢神宮宮司・渡会春彦に祈願をしてもらい道真が生まれました。その後渡会は道真に仕え大宰府で最期をみとりました。そのため、天満宮には摂社として祀られていることが多く、子授けのご利益があるそうです。白太夫とは渡会が若くして白髪だったからです。

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「弁才天社」 弁才天はは芸能の神様ですが、婦人病にも御利益があるとされています。合わせて祀られている金玉龍王は雨請、福寿稲荷大明神は商売繁盛の神です。

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「玉子神石」 もともと道真の愛石で、家族の出産の際に玉子石に安産を祈願したと伝わります。妊娠5ヵ月目以後にこの石に祈ると御利益があるといわれています。また、この石に祈願を込めると、良き子宝を得るともいわれています。

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出産の際に卵のようにツルりと産まれてくることから、玉子石と呼ばれます。初産や年齢に関わらず、2時間以内に無事産まれた等の例もあるそうです。

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堀川通の鳥居の横に「孝学堂跡」の石標があります。孝学堂は、江戸時代に宮司・孝道が境内に開いた学問塾のことです。天明の大火(1788年)で神社は焼失し、様々な記録が失われてしまいました。石標は昭和2年(1927)に孝学堂協賛会が建てたものです。

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昭和25年(1950)堀川通を重要幹線道路とする拡張工事の際に、堀川通りを挟んだ西側の上天神町から現在の扇町に移転しました。南の鳥居を出ると児童公園の「天神公園」で、このあたり一帯は「悲田院」の跡地です。

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悲田院は仏教思想に基づいて、身寄りの無い老人や貧民、孤児等を救済する収容施設で、聖徳太子が四天王寺に造らせたのがその始まりとされ、奈良時代の光明皇后によって作られたのが有名です。その後、ここには檀林皇后が悲田院を建てました。

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その後悲田院は、精神的な救いを施す寺院となりましたました。水火天満宮はこの地の悲田院の鎮守社でもあったといわれています。

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コメント

金龍水?
涸れない水って凄いですね。
大干ばつになったら殺到しそう。

投稿: munixyu | 2018年2月 2日 (金) 12:10

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