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2018年2月14日 (水)

大堰川北岸を歩く

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続き、渡月橋を北に渡って少し西(大堰川上流)の方に歩きます。かって大堰川にかかっていた橋は、平家を恐れて嵐山に隠れ住んだ小督を源仲国が琴の音をたよりに探し当てた故事にちなんで「琴きき橋」とよばれました。

そのたもとの茶屋の名も「琴きき茶屋」、本家桜餅のお店だそうです。隣の車折神社頓宮の前に小さな「琴きき橋」が造られています。(以下の小督の話は平家物語や謡曲の創作も混じっています。)

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小督は高倉天皇の中宮徳子(平清盛の娘)に仕えた女房で、徳子は高倉天皇を慰めようと小督に琴を弾かせたのですが、天皇は小督に夢中になってしまいます。さらに、小督は藤原隆房(清盛の五女の婿)の恋人でもあったのです。

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自分の二人の娘の婿を奪った小督に清盛の怒りはすさまじいものでした。高倉天皇の命を受けて小督を探していたを源仲国は横笛の名手でした。小督と合奏したこともあったので、霧の中から聞こえてくる「想夫恋」が小督の琴の音だとすぐに分かったのです。

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「嵐山保勝会水力発電所」 渡月橋は照明設備を義務づける法令施行前に架設され、その後も景観のため照明の設置が見送られてきました。一方、この橋は右京区と西京区を結ぶ生活橋で、交通事故や防犯面からも地元では照明設備の設置を望んでいました。

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嵐山保勝会によって、川の流れを利用した小水力発電による自然エネルギーを利用することで、ようやく照明の設置が認められました。僅か1.5m足らずの落差ですが、最大5.5kwを発電して、橋に設置された60基のLED照明を灯しています。

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一昨年にオープンしたコーヒー専門店「アラビカ京都 嵐山」、アラビカは海外ではよく知られたブランドで、会長はラテアートの世界チャンピオンだそうです。最近ではインスタ映えする眺めが評判で、いつも行列ができています。

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上の横道を入ったところに「小督塚」があります。高倉天皇のもとに連れ戻された小督は、天皇の寵愛を受けて女の子を産みました。しかし、それも清盛の知るところとなり、小督は無理矢理出家されられてしまいました。

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小督は再び嵯峨野に戻ってきて、このあたりに隠棲したとされます。五輪の塔は琴の名手であった小督の供養塔で、かってはここに古い琴を置くと供養してくれたそうです。

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清水寺の山奥にある清閑寺の境内には、高倉天皇陵を見守るように小督の墓とされる宝篋印塔があります。もう一度、大堰川北岸の道に戻ります。

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小督塚の後ろにも見えましたが、2000㎡の敷地に美術館「ay-museum project(仮称)」が建設中です。消費者金融大手アイフル(下京区)創業者の福田吉孝氏が私財を投じて建設し、収集した円山応挙や竹久夢二の作品を含む日本画数百点を展示する予定だとか。

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既に「嵯峨嵐山日本美術研究所」を立ち上げ専門の学芸員も確保しており、来年夏にオープンした後は、付近にある時雨殿との連携も図る考えだそうです。

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「亀山離宮跡公園」の石標、この地に後嵯峨天皇とその皇子だった亀山天皇は離宮を営み「亀山殿」と称しました。「亀山」は小倉山の一部で、山の姿が亀の甲に似ていることからこの名でも呼ばれました。現在では「嵐山公園 亀岡地区」と呼ばれています。

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「法輪寺道昌遺業大堰川址」 道昌(798-875)は讃岐出身で(出家前の)俗姓は秦氏。神護寺で空海の教えを受け、秦氏が創立した広隆寺を復興させました。また、秦氏が建設した葛野大堰を修復して、大堰近くに創立された葛井寺を整備して法輪寺としました。

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このあたりは屋形船の乗船場です。

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こちらの石碑には「嵐山公園 亀岡地区」とあります。背後の坂道を上ると百人一首の歌碑や様々な遺跡があり、さらに上ると保津峡の展望台に行けます。

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「後嵯峨天皇 亀山天皇 後伏見天皇 御火葬塚 北一町」、整備された参道を行くと宮内庁管轄の火葬塚があります。後嵯峨天皇と亀山天皇の陵墓は天龍寺にあります。一方、後伏見天皇は鎌倉時代後期の持明院・大覚寺両統による皇位争いに巻き込まれました。

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元弘の乱の六波羅攻略で捕らえられ、出家してまもなくこの近くで没したとされます。陵墓は伏見区の深草北陵にあります。対岸には昨日の記事で上りかけた「蔵王大権現」の鳥居が見えます。

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川沿いの道を引き返し、先ほどの亀山離宮跡公園の石標があったところから右に行きます。

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「嵐山 ご清遊の宿 らんざん」 広い敷地に宿泊、レストラン、会議・宴会場などがあります。この通りには、他に「嵐山よしむら」、「松ノ枝」、「嵐山 熊彦」、「いこい」、「嵐月」、「辨慶」、「吉兆」など、料亭や宿が並んでいますが、今日は紹介できません。

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左の「時雨殿」は小倉百人一首をテーマとした施設です。技術面や財政面で任天堂が支援、開館当初はハイテク機器を使用したテーマパークとして話題を呼びました。2012年の改修後は任天堂の手を離れ、文化・学術的な要素を前面に出した博物館となりました。

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右の「らんざん」の塀に「大堰の邸(やかた)候補地」の説明板があります。『源氏物語』に登場する明石の君が上京後に、六條院冬の町に移住するまでを過ごした邸宅がこのあたりにあったと想定されています。

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1988年に行われた発掘調査で、平安時代前期の建物に伴う園池跡が見つかり、桓武天皇が度々行幸した「大堰離宮跡」の可能性が高いとされました。大堰の邸はこの離宮をモデルにしたものと考えられています。

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コメント

小督局の話は切ないですねぇ。。。キーワードとして清閑寺がゆかりのお寺。。ぐらいの知識しかなかったので、平家物語もちゃんと読まないといけないなぁ。。と思いました。それにしてもインスタ映えする所、新しい所、テレビで紹介された所には人だかりができて、歴史の1ページの周りには人がいないってのも寂しいもんですね~。海外からの人は景観だけで満足してもいいですが、やはり日本の人は歴史の話にも心を傾けるようにしなくては!

投稿: ばるさろ | 2018年2月14日 (水) 22:18

★ばるさろさん こんばんは♪
最近の旅行者には、その場所で自撮りすることが目的のような方も多いですね。常時携帯などで周囲の人とつながっているので、旅行するにもそれなりのプレッシャーがあるのかも知れません。
嵯峨野は、祗王、小督、横笛など悲しい女性の物語の舞台でもありますね。

投稿: りせ | 2018年2月14日 (水) 23:49

川を見ると寒さがよく伝わってきますよね。
まだまだ春は遠いようです。

投稿: munixyu | 2018年2月15日 (木) 18:32

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