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2018年2月 7日 (水)

歴史的町並みの小川通を歩く

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日寺之内通から堀川通を歩いたときに、応仁の乱(1467-77)の戦場となった百々(とど)橋の礎石がある公園を通りました。そこに流れていた「小川(こかわ)」は、天下人となった豊臣秀吉の都市改造により埋め立てられ、小川(おがわ)通になりました。

この通りは風雅な歴史的町並みが残る通りとして、平成24年度から京都市による整備事業が行われ、昨年(平成29年)4月に完成しました。景観や防災性の向上等のために、通りから電柱・電線類を無くす「無電柱化」が行われました。

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通りの東に表千家家元の茶室「不審庵」があります。利休の切腹後、その養子・千少庵(しょうじゅん)が千家の再興を許され、かつて大徳寺門前にあった利休の遺跡、茶室「不審庵」と「残月亭」をこの地に再建しました。

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その後、少庵は子・元伯宗旦(げんぱくそうたん、1578-1658)に不審庵を譲り、江戸時代の1646年に宗旦は三男・江岑宗左(こうしんそうさ)に不審庵を譲り隠居しました。自らは不審庵の北裏に「今日庵」を営み、不審庵は「表千家」、今日庵は「裏千家」と呼ばれました。石標には「千利休居士遺跡 不審庵」とあります。

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両茶室は焼失して、不審庵は1913年、残月亭は1909年に再建。明治末から大正にかけて作庭された「露地」は、国名勝の庭園です。利休の坐像を祀る「祖堂」(重文)は江戸時代の1788年の建立、隣接する茶室「点雪堂」は1789年の建立で邸内最古の建物だそうです。

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不審庵の名は、大徳寺117世・古渓宗陳(こけいそうちん)禅師の漢詩「不審花開今日春」にちなんでいます。禅師は千利休の参禅の師で、禅師は利休から茶道を学びました。現在では不審庵は屋敷全体、あるいは表千家を意味する場合もあります。、

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京呉服の「山春」

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「清昌堂やました」 弘化4年(1847)創業の新古茶道具の老舗です。創業以来、表・裏千家の家元歴代宗匠の御書付品を中心に新古茶道美術品を扱い、

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手軽な稽古用茶道具も豊富に取り揃えています。京都・東京・札幌に直営店を展開、友の会や展示会を開催するなど茶道具の楽しさに触れていただく活動もしているそうでうす。

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「今日庵」 宗旦は三男・宗左に不審庵を譲り、自らは北隣に建てた「今日庵」に四男・仙叟宗室(せんそうそうしつ)を伴い隠居しました。後に宗室が今日庵を継ぎました。現在の茶室「今日庵」(重文)は1789年の再建。

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当初今日庵には門がなく、不審庵の門から北裏にある今日庵に入っていたそうです。こちらの石標には「千宗旦居士遺跡 今日庵」とあります。今日庵の名は、大徳寺170世・清巖宗渭(せいがんそうい)の偈(げ、詩句)「懈怠比丘不期明日」によるそうです。

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邸内には複数の茶室が点在し、国名勝の庭園があります。現在の「表門」は兜門とも呼ばれ、江戸時代の天保年間(1830-1844)に玄々斎が大徳寺・竜光院の門を写して造らせたといわれています。

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なお、宗旦の二男・一翁宗守(いちおう そうしゅ)は讃岐・高松藩に仕えていましたが、松平家茶堂を辞して武者小路通小川東入に「官休庵」を結び武者小路千家の祖となりました。「官休」とは、仕官を辞しすという意味だそうです。

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現在の「官休庵」は1881年の再建です(下は以前の写真で、石碑は「千宗守居士遺蹟 官休庵」)。宗旦の長男は家を継がず、二、三、四男の武者小路千家、表千家、裏千家は「三千家」と呼ばれ、ともに上京にあったので、「上流(かみりゅう)」ともいわれました。

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ところで、かってここを流れていた小川は北山を源として西賀茂の正伝寺の傍を流れ、一条あたりで堀川に合流する細い川だったそうです。それでも地下には良質の水脈が流れていたようで、埋め立てられてからは名水が湧き出たといわれています。

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千家一族が小川通に茶室を営んだのは、その名水を求めたものと考えられています。この通りは観光客は見当たらず、和服の方が行き来していました。

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「裏千家 茶道会館」 庭園の中に建つ茶室風の和建築で様々な催しを行います。先日紹介した(堀川通に面する)裏千家センターの東にあります。

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「本法寺」 長谷川等伯、本阿弥光悦ゆかりの寺で日蓮宗大本山の一つです。かっての小川が門前を流れていました。

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本法寺は後日記事にします。

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「裏千家学園 茶道専門学校」 修学期間3年の本科「茶道科」は、実技・講義・実習を合わせ基礎から総合的に学び、茶道教授者として必要な知識や技能の修得を目指します。「別科」として、「1年コース」と「研究科」、「外国人研修コース」を設置しています。

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「京雅堂」 平成21年に開店の茶道具専門店です。1階には家元書付品を始め、千家十職、人間国宝、有名作家等の作品が並び、

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2階には茶碗・茶杓・花入・水指・棗・茶入・釜・棚物等の厳選されたお稽古用御道具を最安値の大特価で展示・販売しているそうです。

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上御霊前通に来ました。「無電柱化」の整備が行われたのはここまでです。ここから左に行くと、先日記事にした天神公園と水火天満宮があります。交差点の角は茶道具の「三石席(みついしせき)」で東京にもお店があるそうです。

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店の隅に江戸時代中期に建てられた「是より洛中荷馬口付のもの乗べからず」の石碑があります。水火天満宮にあったものと同じで、交通安全のために荷馬から下りて口綱を持って歩けという意味だそうです。

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かっての小川にはここに上御霊前通のために扇橋がかかっていました。天神公園の正式名称は扇町児童公園で、交差点の角にも新しく整備された小さな公園があります。

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コメント

応仁の乱と聞くと、
やっぱり京都は日本の中心なんだったんだなぁと思います。

投稿: munixyu | 2018年2月 7日 (水) 13:53

なるほど!昨年4月に完成だったんですね~~。どうりで見覚えが無いと思ったw昨年はこの通りは歩いてなかったので。。。その前は工事中だったのかなぁ・・・
そして、少庵がしょうじゅんって読みだと知りませんでした。。てっきり”しょうあん”だとw
養子ってことで、利休の血筋は絶えたのかと思ってましたが、どうやら少庵は血縁者を養子に迎えたらしいですね。三石席の東京店は信濃町駅と四谷三丁目駅のちょうど間で、新宿なのに繁華街ではない、なかなか行きにくい所にあるようです。周りにお寺が一杯あるけど特に関係があるようには思えません~。

投稿: ばるさろ | 2018年2月 8日 (木) 21:48

★munixyuさん こんばんは♪
応仁の乱は市内のほとんどの寺社が被害にあっています。それも山の中で辺りに民家がないような寺も燃えたのは、兵たちが火を付けてまわったのだと思われます。

投稿: りせ | 2018年2月 8日 (木) 23:22

★ばるさろさん こんばんは♪
寺之内通から上御霊前通までの小川通は、京都の中でも独特の雰囲気です。歴史的な建物や老舗が並んでいますが、観光客目当てのお店が一軒もなく、ちょっと近寄りがたい雰囲気もします。

投稿: りせ | 2018年2月 8日 (木) 23:30

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