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2018年2月 1日 (木)

寺之内通から堀川通を歩く

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の妙顕寺を後に、門前の寺之内通を堀川通の方に歩くと公園のような一角があります。看板には「小(こ)川と百々(とど)橋の礎石」と書いてあります。応仁の乱(1467-77)の戦場として歴史に名をとどめる百々橋の礎石の一つが置いてあります。

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百々橋は当地を南北に流れていた小川に架かっていた橋(長さ約7.4m、幅約4m)で、橋名は、応仁の乱以前の風景を描いたとされる「中昔京師地図」に当地が「百々ノ辻」と記載されていることに由来すると伝えられています。

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応仁の乱の際、細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)の両軍が、橋を隔てて数度にわたり合戦を行い、この小さな橋に戦国乱世の歴史のひとこまが刻まれました。

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もともと板橋でしたが、近世になって石橋に架け替えられ、昭和38年(1963)に小川が埋め立てられた際に橋も解体されました。しかし、地域の方の尽力によって、橋材は一時室町小学校で保管されました。川の跡地が右の「小川(おがわ)通」になっています。

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その後、橋材の大部分は洛西ニュータウンに移されて竹林公園内に復元されましたが、橋脚を支える4基の礎石のうち1基は室町小学校の校庭に、1基は百々橋をしのぶ貴重な遺構としてこの地に遺されました。礎石の前に和菓子の「俵屋吉富 小川店」があります。

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隣は茶道具の「小西康」です。上の史跡公園の北に表千家と裏千家の家元の本拠地、不審菴と今日庵があり、ここは両千家のお膝元といえます。

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寺之内通をさらに西に行くと「宝鏡寺」があります。「人形の寺」として有名ですが、今回の京の冬の旅では「皇女和宮ゆかりの尼門跡寺院」として特別公開されています。遅いので門が閉まっています。

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門前にある「日吉屋」は、江戸時代後期創業の和傘屋さんで、裏千家、表千家御用達でもあります。

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ときどき宝鏡寺の境内を借りて和傘を干している風景が見られます。下は以前の写真です。

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堀川通に出ると、すぐに「慈受院門跡」 「薄雲御所」と刻まれた門柱があります。「慈受院(じじゅいん)」は、山号を広徳山という臨済系の単立寺院です。かっては、皇室、将軍家、摂関家より女性が入寺する尼門跡寺院で「薄雲御所(うすぐもごしょ)」とも呼ばれました。

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室町時代中期の1428年、日野栄子(法名は慈受院浄賢竹庭)が、亡き夫の室町幕府4代将軍・足利義持と子の菩提を弔うために創建したといわれます。当初は高倉中御門北(現在の京都御苑内宗像神社付近)にあったそうです。

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応仁の乱(1467-77)や江戸時代の宝永の大火(1708)で焼失するなどして、移転を繰り返しましたが、その間も摂関家や皇室からの入寺が続きました。1764年には後桜町天皇より薄雲御所の号を授かりました。(お寺は拝観謝絶です。)

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明治時代の1873年に廃寺となりましたが、大正8年(1919)に西にあった同じく日野栄子が創建した総持院を併合して、現在地に慈受院が再興されました。隣の「毘沙門堂」には、北朝最後の後小松天皇の念持仏で足利氏に贈られたという毘沙門天を祀ります。

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「白蓮弁財天 」 この名の由来は不明ですが、弁財天は福徳・財宝の神であるとともに、水の神として川や池などの守護神としても祀られてきました。白蓮は源氏、赤蓮は平家の旗にちなんでいて、各地の源氏池には白蓮、平家池には赤蓮が植えられてきたそうです。

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日野栄子が嫁いだ足利家は清和源氏の流れを汲んでいることから、池の守り神として白蓮の名が付いたのかも知れません。

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この祠には「大日如来」と「地蔵尊」が祀られていて、左手に小さな庭園があります。

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門跡寺院らしく、塀の定規筋(じょうぎすじ)は最高位の格式を表わす5本です。門前の参道の両側は駐車場になっていますが、多くのスペースが裏千家になっています。

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隣は「裏千家センター」で、ここに昭和54年(1079)「茶道資料館」が設置されました。裏千家歴代が収集してきた茶道に関する図書を収蔵する「今日庵文庫」を併設、茶道美術の展示公開や研究活動、様々なメンバーシップを通じての茶道普及活動などを行っています。

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「茶道文化検定」や様々な講演会も行われています。また、開館日の入館者には季節の和菓子とお抹茶が頂ける呈茶(ていちゃ)があります(団体の場合は要予約)。

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昨晩は皆既月食でしたが、京都では皆既食前に薄雲が広がってしまいました。

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今年最大の大きさに見える(スーパームーン)、月に2回満月になる(ブルームーン)、皆既食中は血のような色に見える(ブラッドムーン)が重なった、スーパ・ブルー・ブラッドムーンだったそうです。

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コメント

表情の豊かな狐ですね。
最近、月の不思議な現象が多いですね。
いいことなのか、わるいことなのかよくわからないですよね。
大昔の人が見たら驚きだったでしょう。

投稿: munixyu | 2018年2月 1日 (木) 11:00

小川で東陣と西陣がにらみ合ってたってことですね~~。そういえば宝鏡寺は百々御所とも言われてますよね。門跡寺院などは土地の名前をつけて呼ばれることが多いから、まさにここの辻の名前、または橋の名前がついたって所でしょうか。。。
妙顕寺に行ったときなどでこのあたりは2~3ど歩いてるのですが、百々広場なるものがあったのに気がついてませんでした(;´д` ) トホホ
また歩く楽しみが増えた!ってことで何とか収めておこうと思いますw

投稿: ばるさろ | 2018年2月 1日 (木) 22:22

★munixyuさん こんばんは♪
宇宙のことは興味があるので期待していた皆既月食ですが、ちょっと残念でした。次のブルー・ブラッドムーンは2037年とのことで、もう見られないかも知れません。

投稿: りせ | 2018年2月 1日 (木) 22:23

★ばるさろさん こんばんは♪
百々あるいは百々ノ辻という地名は平安時代からあったようで、現在でも宝鏡寺のあたりは百々町になっています。応仁の乱ではこの橋の付近で戦闘が始まり、一条戻橋のあたりまで戦線が拡大して、付近一帯が焼け野原になったそうです。

投稿: りせ | 2018年2月 1日 (木) 22:37

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