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2018年1月 7日 (日)

護王神社 初詣2018

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の下御霊神社を出て、護王神社の初詣に行きました。下は京都御苑の蛤御門の前から、例年正面に干支の大絵馬が掲げられます。

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「護王神社」は平安京の建都に貢献した和気清麻呂(わけのきよまろ)とその姉・和気広虫(わけのひろむし)を祀っています。広虫は戦乱で身寄りを亡くした多くの孤児達を養育したことで知られ、時代祭の列にも子供たちを連れて登場します。

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護王神社の確かな創建年は伝えられていませんが、高雄山神護寺の境内に清麻呂を霊社として祀り、古くから「護法善神」と称されていたのが始まりとされます。下は境内の北にある「護王会館」、結婚式などが行われます。

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幕末の1851年、孝明天皇は清麻呂の歴史的功績を讃え、正一位の神階と護王大明神の神号を授けました。明治7年(1874)霊社は「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。(会館の玄関に、仏師・今村宗園氏作・寄贈の広虫像と清麻呂像が飾ってあります。)

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「和気清麻呂公銅像」 平成10年、和気清麻呂公千二百年祭を記念して造形作家の松本繁来氏の手によって制作されました。御所の方を眺めています。

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明治19年(1866)、明治天皇の勅命により華族中院家邸宅跡地であった現在地に社殿を造営し、神護寺境内から遷座しました。後に姉君の広虫に「子育明神」の神階を授け、主祭神として合わせ祀りました。(猪の手水舎)

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護王神社は狛犬ならぬ狛猪が守り、境内のあちこちに猪の像があり、猪のお守りやお札があります。また、信者から奉納された無数の猪像がいくつかの建物に飾られています。猪と神社の関係は、和気清麻呂の故事に所縁があります。(授与所)

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奈良時代の称徳天皇の時代、権勢を振るっていた弓削道鏡は宇佐八幡から「自分を皇位につかせれば天下が太平になる」とご神託があったと告げました。(この建物には猪像のコレクションが陳列してあります。)

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天皇からご神託が本当か確かめるように命を受けた清麻呂は九州の宇佐八幡に出かけて神前に訊ねると、宇佐大神が現れ「天皇の後継者には必ず皇族の者を立て、無道のものは早く追放せよ」とのご神託を受けます。(祈祷殿)

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清麻呂は天皇にご神託を報告して道鏡の野望を暴きましたが、その怒りをかい大隅国(鹿児島県)に流されることになりました。旅の途中で道鏡の放った刺客に足の筋を切られてしまいました。

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それでも清麻呂は皇室の安泰が守られたことを感謝するため宇佐八幡に立ち寄ることにしました。するとどこからともなく300頭もの猪が現れ、輿の周りを警護しながら宇佐八幡まで案内したそうです。猪にまたがって行ったともいわれています。

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清麻呂が宇佐八幡に着くと猪は消えてしまいましたが、不思議にも足の痛みが無くなり歩けるようになりました。このため、猪は足腰を守護する神の使い(霊猪)として崇められるようになりました。(拝殿)

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清麻呂の護王大明神には「足腰の健康・病気怪我回復」、「厄除け・災難除け」や「亥年生まれの御守護」の御神徳、広虫の子育明神には「子育て・子供の成長の守護」の御神徳があるとされます。(本殿)

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本殿右の招魂樹(おがたまのき)のそばに「足萎難儀回復の碑」があり、足腰の病気やけがの回復を願う参拝者は、足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願します。

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一年後に称徳天皇が亡くなり道鏡が失脚、清麻呂は都に呼び戻されました。その後、桓武天皇により摂津職の長官に任じられ、中宮大夫、民部大輔も兼ねました。そして、794年平安京遷都を桓武天皇に上奏し平安京造宮大夫となりました。(伊勢神宮遥拝所)

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清麻呂は遷都後の796年に従三位に叙せられ、公卿の地位に昇りましたが、799年に死去。没後、和気氏ゆかりの神護寺に葬られ霊社が建てられました。(下は手芸・和裁・洋裁などで使っている針に感謝を表す石碑で、毎年2月8日に針供養祭が行われます。)

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幕末に朝廷の発言力が増すと、道鏡の野望から皇孫を守った恩人として、清麻呂に神格が与えられました。(吉井勇の歌碑、「風なきに 榠りんの實また ほろと落つ かくて極まる 庭のしづけさ」)

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明治の東京遷都後の京都復興のため、御苑に「平安神宮」建立が計画され、それを東西から守る梨木神社と護王神社が先に創建されました。(樹齢100年以上のご神木のカリンの木は京都の巨樹名木百選で、実を用いたカリン酒はぜんそくに効くといわれています。)

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しかし、様々な事情により平安神宮が当時郊外だった岡崎に縮小されて建てられることになり、二つの神社は現在地に残されました。結果的に、梨木神社と護王神社は御苑と御所を東西から守る形になりました。

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