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2018年1月 6日 (土)

下御霊神社 祭神の物語と名水

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

下鴨神社の蹴鞠はじめを見た後、御所の南にある下御霊神社を訪れました。「下御霊神社」は古くから御所の鎮守として信仰されてきました。上の表門は仮御所の建礼門を移築したものです。

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平安時代は貴族文化が隆盛した時代でしたが、一方で災害や疫病が繰り返し起こった不安な時代でもありました。人々はその原因が貴人の怨霊がもたらすものと考えました。怨霊となった貴人とは、政治抗争の中で冤罪を被り非業の死を遂げた位の高い人々です。

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そこで、御霊(ごりょう)として祀り慰めることにより、災禍から守っていただこうと御霊会(ごりょうえ)を行うようになりました。初めは京の郊外でそれぞれの御霊が祀られましたが、後にまとめてお祀りすることで神徳が高まると考え当社が鎮座したと考えられています。

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『日本三代実録』によると、863年5月20日神泉苑で最初の御霊会が行われました。勅命により藤原基経らが監修し、皇族や公家らがみな列席、六つの霊前に祭壇を設けて花果を供え、高僧が読経し、新作の歌舞音曲を舞い、この日は神泉苑が庶民に開放されました。

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これらの御霊(六所御霊)とは、崇道天皇、伊豫親王、藤原夫人、藤原廣嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂です。やがて御霊信仰は地方まで広がり、各地で御霊会が夏天秋節に行われることが恒例となりました。これらが祇園祭や各地の夏祭りの始まりと考えられています。

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本殿には祭神として上の六座に、吉備聖霊(きびのしょうりょう)と火雷天神(からいのてんじん)を加えた八所御霊を祀っています。吉備聖霊は吉備真備との説がありますが、不慮の死を遂げずに成功しているので、当社では六座の御霊の和魂と解釈しているそうです。

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また、火雷天神はしばしば菅原道真と解釈されますが、道真が天神として祀られるのは当社の鎮座より後世になるので、当社では六座の御霊の荒魂と解釈しているそうです。

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和魂(にきたま/にぎみたま)は平和、調和などを司り、徳を備えている神霊で、荒魂(あらたま/あらみたま)は、荒々しく、戦闘的な神霊、あるいは、たたりの可能性がある新霊ともいわれています。

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六所御霊のうち、崇道天皇 (早良親王)は先日の崇道神社の記事で説明しました。藤原夫人と伊豫親王は、桓武天皇夫人・藤原吉子(きっし)とその皇子です。桓武天皇の没後、藤原宗成が親王に謀反を勧めますが、親王は固く拒み従いませんでした。

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やがて宗成は捕えら首謀者は親王だと告白し、平城天皇はこれを信じて親王号を剥奪し母の藤原夫人とともに河原寺に幽閉します。二人は飲食をさせてもらえず、ついに毒を仰いで亡くなりました。

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藤原廣嗣は、頭に肉角があって恐ろしげな姿でしたが、典籍に通じ武芸絶倫、天文陰陽や管弦歌舞にも精通した才能ある人物といわれていました。しかしながら激しい性格も災いしてか、太宰少弐に左遷され筑紫に赴きます。

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廣嗣は政事や世の災いの元凶は僧・玄昉らであると朝廷に上奏し、聖武天皇からは召喚命令が下ります。しかし、これを拒絶し740年災いの臣下を除こうとして筑前国で挙兵します。しかし、朝廷は大野東人らに討伐を命じ、廣嗣は捕らえられて処刑されました。

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橘逸勢は書の才能に長じ、嵯峨天皇、空海とともに三筆に数えられました。遣唐使で入唐し際には唐人から橘秀才と称賛されました。但馬権守に任ぜられますが、842年健岑とともに皇太子恒貞親王を奉じて東国で謀反を企てていると密告がありました。

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逸勢は逮捕され、拷問を受けたのち、伊豆へ配流される途中の遠江国で亡くなりました。藤原良房が娘の生んだ道康親王を皇太子にするための陰謀と考えられています。親王は文徳天皇となり良房は人臣で初めて摂政となり、藤原摂関政治の基礎を築きました。

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文屋宮田麻呂は840年に筑前守に任ぜられますが、後に官を辞して京に住んでいました。843年に突然謀反の疑いがあるとの訴えにより左衛門府に拘禁され、遂には伊豆へ配流となりました。その後の記録はありませんが、配流先で没したと考えられています。以上の貴人たちは、いずれも後に無実であると判明して御霊として祀られることになりました。

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上の写真は、本殿の右にある「神輿庫」で、天明の大火の類焼を免れ、この神社で最古の建物です。この神社は皇室や公家との関係が深く、社殿の新造や改修には常にかなりの額の寄進がありました。

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下御霊神社には庶民信仰の歴史を示す多数の摂社がありますが、昨年それらの全て紹介したので省略します。表門を入った右手にお札・御朱印の授与所があります。

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授与所の前の「手洗舎」 江戸時代の明和7年(1770)の干ばつの際、当時の神主が夢のお告げにより境内の一か所を掘らせたところ、清らかな水が沸き出て皆に汲ませることができたそうです。それは、「感応水」と名づけられました。

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当時の井戸は現存しませんが、再堀された現在の井戸も同じ水脈と考えられ、美味しいと評判になり、水を汲みに来る人が絶えません。

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京の3名水の一つ、梨木神社の「染井の水」はこの真北にあり、それらを結んだ線は鴨川と並行なので、両者は同じ水脈と考えられています。

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コメント

南天でしょうか。
綺麗な赤で、いいですね。

投稿: munixyu | 2018年1月 6日 (土) 14:05

下御霊神社は去年の今頃に始めて行きました~
このあたりの寺町通りはちょいとおしゃれな感じもしていい雰囲気ですよね!
去年は神輿蔵は開いてなかったかも。。。
神社の昔の写真があったら提供してくださいと神社の説明をしてある掲示板に書いてあったのですが、その後集まったんでしょうかね。人でいっぱいってことはあまりなさそうですが、いつでも誰かしらいる感じで革堂とともに町の大切な場所ですね~。
次は上御霊神社に行こうと思ってます~

投稿: ばるさろ | 2018年1月 6日 (土) 20:08

★munixyuさん こんばんは♪
南天かどうか私に聞かれても、です。境内のいたるところに植えてありました。

投稿: りせ | 2018年1月 7日 (日) 00:36

★ばるさろさん こんばんは♪
下御霊神社も上御霊神社も、還幸祭などの祭になるとびっくりするほと大勢の氏子?が集まります。上御霊神社の方はずっと大きくて、見どころもいっぱいあります。あらかじめ調べてから行くことをお勧めします。

投稿: りせ | 2018年1月 7日 (日) 00:59

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