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2018年1月10日 (水)

松ヶ崎大黒天と七福神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日雪がちらついた日に、高野川を遡って松ヶ崎大黒天を訪れました。ここまで来ると雪は止んでいて青空が見えてきました。北山通から五山送り火の「法」の山が見えますが、その麓に向かいます。

北山通から一筋北に松ヶ崎大黒天の鳥居があります。

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上の鳥居をくぐり参道を進むと、右に鳥居があります。こちらは「白雲稲荷神社」の鳥居で、この神社と松ヶ崎との不思議な関係は昨年の記事で紹介しました。興味がおありの方はこちらへ。正面の道は車が通れる参道です。

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左に昔からの参道があります。「松ヶ崎大黒天」の正式名称は「妙円寺」といい、山号を松崎山という日蓮宗の寺院です。この寺の創建は、松ヶ崎に広まった法華信仰が背景にあります。

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鎌倉時代後期の永仁2年(1294)日蓮聖人の法孫、日像上人によってこの地に法華経が広められました。徳治元年(1306)には松ヶ崎全村が日蓮宗に改宗して、「松ヶ崎法華」といわれるようになり、後世まで日蓮宗が盛んな土地となりました。

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江戸時代初めの大坂夏の陣の翌年、元和2年(1616)本覚院日英上人が本涌寺(現在の涌泉寺)内に隠居所を建立したのが妙円寺の始まりです。涌泉寺はこの寺の西の「妙」の字の麓にある日蓮宗の寺院です。(石段の上は「東門」。)

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その後、承応3年(1654)教蔵院日生上人によって「松ヶ崎檀林」(僧侶の学校)がこの近くに創立され、明治5年(1872)の学制発布まで続きました。現在は尼僧の学校「日蓮宗尼宗学林」が残っています。

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東門を入って西を見ると、右に大黒堂、左に絵馬堂があります。

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手水台に大黒天像があります。大黒天は打ち出の小槌を持ち、米俵の上に立ち、笑みを浮かべる姿から財福の神といわれますが、もともとはヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラという神で、戦闘・財福・冥府という3つの性格を持っていました。

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マハーカーラは大黒天という意味で、インド密教やチベット仏教に取り入れられ、一面二臂から三面六臂など、様々な姿で表現されてきました。「大黒堂」は江戸時代後期の1805年に建立され、大黒天像を祀ります。

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大黒天は日本には密教の伝来とともに、天部と言われる仏教の守護神達の一人として伝えられました。その際、3つの性格のうち、財福を強調して伝えられました。お堂の前に「なで大黒」があり、体の悪ところをなでると、快癒すると信じられています。

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日本に伝えられた大黒天は当初、一面二臂、青黒か黒色で憤怒の形相をしていたそうです。(大黒堂の正面に「絵馬堂」があります。)

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その後、「大黒」が「大国」に通じるとして、大黒天は大国主命と習合して現在のようなにこやかな福徳相をするようになったといわれています。

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大黒堂に祀られている大黒天像は、伝教大師・最澄が一刀三礼して作り、日蓮聖人が開眼したそうです。日英上人が妙円寺を創建した際に、法華経の守護神として別棟に祀ったといわれています。

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ところで、七福神の信仰は室町時代末期ごろに近畿地方を中心に始まりました。それまで、別々に信仰されてきた神々を、まとめてお参りすることによって様々な種類の福徳が得られると考えられました。

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その契機になったのは、当時流行した水墨画に描かれた「七賢人」だったといわれています。銀閣寺に代表される東山文化が華やかな時代、中国文化に影響されて、『竹林七賢図』などが画題となりました。しかし、七福神のメンバーは一定していませんでした。

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大黒堂の左に本堂があり、本尊として大曼荼羅の久遠実成本師釈迦牟尼仏(くおんじつじょうのほんししゃかむにぶつ)を祀っています。、

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江戸時代後期の享和年間(1801-3)には、七福神は恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人と、現在の顔ぶれに落ち着きました。境内の西にあるお茶席(控室)、右に庫裏があります。

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この頃には、浮世絵にも宝船に乗った七福神が描かれ、正月には初詣でを兼ねて七福神詣ちが庶民の間で行われるようになりました。(大黒堂の右には弁財天、大黒天、水子観音などの石像が並んでいます。)

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五山送り火の「妙法」は松ヶ崎村が日蓮宗に改宗したとき、日像上人が杖で松ヶ崎西山に「妙」の字を、後に下鴨大明寺(現在は廃寺)の日良上人が同東山に「法」の字を描いたのが始まりだそうです。大黒堂の右手に「法」の字への山道がありますが、入山禁止です。

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七福神巡りは特定の七福神の霊場(札所)を巡拝することで、京都が発祥の地といわれています。昭和50年代、高度経済成長が終わり先が見えない時代になると、各地で七福神巡りが流行しはじめました。(東門は大文字山が見られる額縁門です。)

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参道ののぼりにあった「都七福神」は、洛北から宇治までの人気社寺によって昭和54年に編成された札所で、お正月に巡拝すれば七難即滅、七福即生が得られるとされます(他の札所は別の機会に)。また毎月7日は都七福神の縁日だそうです。

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松ヶ崎大黒天は、「京の七福神」、「京都七福神」、「京洛七福神」にも含まれ、七福神巡りの大黒天としては欠かせない札所になっています。

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コメント

神様みんな集めて一気にお祈り。
気の短い、いかにも近畿地方らしい発想ですね。

投稿: munixyu | 2018年1月10日 (水) 11:47

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