春の賀茂川を遡る 2017
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ゴールデンウィークが始まりましたが、今日も桜の写真です。もう少しすると実際の季節に追いつくと思いますので、しばらくお待ちください。上と下は出町の三角州から。
賀茂川沿いに上賀茂神社の近くの御園橋まで歩きます。最初は右岸(西岸)を歩き、橋の下をくぐっていきます。「出町橋」 出町三角州を横切って、賀茂川に出町橋、高野川に河合橋がかかっています。
このあたりから比叡山がいつも見えます。対岸は糺の森。
糺の森にはトンビの巣があるようです。
賀茂川(鴨川)の河川敷は京都府の「鴨川公園」として整備されています。特に、丸太町橋あたりから柊野にかけては、芝生や運動広場が設けられ整備がすすんだ区域です。
また、出町橋から北山大橋までの左岸(東岸)には、ジョギングロードや木立に囲まれた散歩道が整っています。
一方、竹田橋周辺から小枝橋までの下流の河川敷は、地元の方が利用するような緑地の散策の場となっています。振り返ると、将軍塚と青龍殿が見えます。
ところで、かっての鴨川の河川敷は現在のように広くはなく、川底も浅かったそうです。
昭和10年(1935)6月29日未明に発生した鴨川水害は、市内で多数の死傷者が出て、広範囲で家屋の全半壊や浸水が起こりました。
このとき、鴨川にかかる26橋のうち三条大橋など15橋が流失しました。当時コンクリートアーチ橋の四条大橋に上流の流出した橋が引っかかって水をせき止めたため、水があふれだしました。
あふれた水が先斗町や鴨川と平行して走る京阪本線に路盤流失・駅舎やホーム・琵琶湖疏水の団栗閘門を破損させ、東山区側の宮川町も浸水しました。
さらに翌朝には団栗橋・松原橋・五条大橋を倒壊させて正面橋をせき止めたため、さらに大きな被害を出しました。
復旧作業中の8月10-11日にかけて再度の豪雨があり、鴨川にかけた仮橋が流失するなどの被害があり、大規模な河川改修工事が必要と判断されました。「大文字山」
戦争による中断や京阪線地下化・疏水の暗渠化は中止されましたが、昭和22年(1947)に鴨川の河川改修工事は完成しました。「北大路橋」
それまで西側に残る水路(みそそぎ川)の高さから2m近く川底が掘り下げられ、五条大橋-塩小路橋間の京阪線の緑地帯を撤去して川幅を広げ、落差数十cmの堰を多く造り川の流速を抑制する現在の姿になりました。ここから向こう岸に渡ります。
河川改修工事によって、高水敷が整えられ、緑地化して運動広場や芝生地がつくられました。高水敷とは、常に水が流れる水路より高く作られた敷地(河川敷)ですが、大きな洪水のときには水につかることを想定しています。「半木(なからぎ)の道」
また、堤防上にはサクラやマツ、カエデ、ムク、エノキなどが植えられ、それらは現在、老巨木として残っています。
昭和37年(1962)に結成された京都鴨川ライオンズクラブは、鴨川の環境保全の活動を数多く行ってきました。
結成10周年目を記念して72本の紅枝垂桜を植樹したのが「半木の道」の始まりで、以後毎年維持管理及び清掃活動を行っています。
東にも道があって、ベンチが置いてあります。
平成19年(2007)のJR「そうだ京都、行こう」キャンペーンに「半木の道」の桜が紹介され、全国的にも知られるようになってきました。
「北山大橋」から半木の道。
北山大橋から北の左岸は、桜の大木のトンネルになっています。賀茂街道ほど車で混雑していなくて、まだ穴場といえそうです。
もう少しで「御園橋」です。
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