2017 桜3

2017年4月29日 (土)

春の賀茂川を遡る 2017

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

ゴールデンウィークが始まりましたが、今日も桜の写真です。もう少しすると実際の季節に追いつくと思いますので、しばらくお待ちください。上と下は出町の三角州から。

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賀茂川沿いに上賀茂神社の近くの御園橋まで歩きます。最初は右岸(西岸)を歩き、橋の下をくぐっていきます。「出町橋」 出町三角州を横切って、賀茂川に出町橋、高野川に河合橋がかかっています。

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あちこちで花見をしていました。

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葵橋、西から来る河原町通は葵橋からは下鴨本通になります。

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このあたりから比叡山がいつも見えます。対岸は糺の森。

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糺の森にはトンビの巣があるようです。

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賀茂川(鴨川)の河川敷は京都府の「鴨川公園」として整備されています。特に、丸太町橋あたりから柊野にかけては、芝生や運動広場が設けられ整備がすすんだ区域です。

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また、出町橋から北山大橋までの左岸(東岸)には、ジョギングロードや木立に囲まれた散歩道が整っています。

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一方、竹田橋周辺から小枝橋までの下流の河川敷は、地元の方が利用するような緑地の散策の場となっています。振り返ると、将軍塚と青龍殿が見えます。

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「出雲路橋」 西は鞍馬口通、東は東鞍馬口通です。

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ところで、かっての鴨川の河川敷は現在のように広くはなく、川底も浅かったそうです。

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昭和10年(1935)6月29日未明に発生した鴨川水害は、市内で多数の死傷者が出て、広範囲で家屋の全半壊や浸水が起こりました。

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このとき、鴨川にかかる26橋のうち三条大橋など15橋が流失しました。当時コンクリートアーチ橋の四条大橋に上流の流出した橋が引っかかって水をせき止めたため、水があふれだしました。

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あふれた水が先斗町や鴨川と平行して走る京阪本線に路盤流失・駅舎やホーム・琵琶湖疏水の団栗閘門を破損させ、東山区側の宮川町も浸水しました。

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さらに翌朝には団栗橋・松原橋・五条大橋を倒壊させて正面橋をせき止めたため、さらに大きな被害を出しました。

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復旧作業中の8月10-11日にかけて再度の豪雨があり、鴨川にかけた仮橋が流失するなどの被害があり、大規模な河川改修工事が必要と判断されました。「大文字山」

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戦争による中断や京阪線地下化・疏水の暗渠化は中止されましたが、昭和22年(1947)に鴨川の河川改修工事は完成しました。「北大路橋」

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それまで西側に残る水路(みそそぎ川)の高さから2m近く川底が掘り下げられ、五条大橋-塩小路橋間の京阪線の緑地帯を撤去して川幅を広げ、落差数十cmの堰を多く造り川の流速を抑制する現在の姿になりました。ここから向こう岸に渡ります。

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河川改修工事によって、高水敷が整えられ、緑地化して運動広場や芝生地がつくられました。高水敷とは、常に水が流れる水路より高く作られた敷地(河川敷)ですが、大きな洪水のときには水につかることを想定しています。「半木(なからぎ)の道」

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また、堤防上にはサクラやマツ、カエデ、ムク、エノキなどが植えられ、それらは現在、老巨木として残っています。

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昭和37年(1962)に結成された京都鴨川ライオンズクラブは、鴨川の環境保全の活動を数多く行ってきました。

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結成10周年目を記念して72本の紅枝垂桜を植樹したのが「半木の道」の始まりで、以後毎年維持管理及び清掃活動を行っています。

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東にも道があって、ベンチが置いてあります。

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平成19年(2007)のJR「そうだ京都、行こう」キャンペーンに「半木の道」の桜が紹介され、全国的にも知られるようになってきました。

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「北山大橋」から半木の道。

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北山大橋から北の左岸は、桜の大木のトンネルになっています。賀茂街道ほど車で混雑していなくて、まだ穴場といえそうです。

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ここには古い民家も残っています。

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途中で「上賀茂橋」(玄以通)を通り過ぎます。 、


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もう少しで「御園橋」です。

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2017年4月28日 (金)

琵琶湖疏水 桜と十石舟

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、南禅寺を訪れた後、疎水沿いに川端通まで歩きました。歩き始めた頃はすでに陽が傾いていて、途中で暗くなりライトアップが始まりました。最後にGWに特別公開される寺院その他を紹介します。(上は動物園前の南禅寺船溜り。)

下はインクラインの方、花見客でにぎわっています。

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この噴水は、琵琶湖疏水の高低差(蹴上と南禅寺の船溜り)による水圧だけを利用している「ナチュラル噴水」です。右から蹴上発電所を通ってきた水が流れ込みます。

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中央に「白川」の流入口が見えます。琵琶湖疎水の開通によって白川はここで疏水に合流して、神宮道の西で再び分かれて南に流れていきます。ですから、南側の白川の水はほとんど琵琶湖疎水の水です。

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右に「岡崎さくら・わかば回廊 十石舟めぐり」の乗船場があります。丁度船が帰ってきました。このあたりの疎水沿いの道は「六勝寺の桜並木」といわれています。平安時代に建立された「勝」の字が付く六つの寺があった場所です。

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向こうの市立動物園にも桜がいっぱいあります。このあたりには白河天皇が建立した六勝寺のうち最大の「法勝寺」がありました。その南庭には高さ80mに達する巨大な八角九重塔があったそうです。

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途中で岡崎道を過ぎて、向こうは京都市美術館。再整備工事のため4月10日から3年間休館します。命名権の対価で工事を行い、今後「京都市京セラ美術館」という名称になる予定です。

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平安神宮の大鳥居

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神宮道の橋の上から東(今来た方向)を見ると、先ほどの船が新しいお客を乗せてやってきました。

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今年の十石舟は3月25日(土)~5月7日(日)の期間に運航します。左に白川へ流れる分岐点があります。

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ここから白川は南の方に流れていき、その西側の散策路もきれいに整備されています。

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「京都国立近代美術館」

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琵琶湖疏水が西から北に向きをかえる場所。北の方から十石舟が帰ってきました。この時、桜の下の照明が灯りました。当初のライトアップは3月25日(土)~4月9日(日)の期間でしたが、桜の開花が遅れて4/11(火) まで延長されました。

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ライトアップの期間、十石舟は8時00分発~20時30分発まで運航します。

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ライトアップ以外の期間は、9時30分~16時30分発まで運航し、当日の状況によって17時30分発まで運航する場合もあるとのことです。 こちらは東の方、もう一隻やってきました。舟がすれ違うときは右側通行のようです。

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対岸は「みやこめっせ(京都市勧業館)」で、この辺りには近衛天皇(1139~1155)が建立した「延勝寺」がありました。

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二条通りの橋の上から、右に「ロームシアター京都」(旧京都会館)があります。

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ところで、京都にとって琵琶湖の水を引くことは昔からの夢でした。第3代京都府知事となった北垣国道は、明治維新による東京遷都のため沈滞した京都に活力を呼び戻すため、琵琶湖疏水の建設を計画しました。

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疏水の主な目的は、水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにすることでした。工事途中で、水力(水車)の代わりに水力発電を採用したことにより、新しい産業が興り、路面電車も走るようになりました。(北から西に向きを変える場所から西の方角。)

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水運は、明治23年に大津、藤尾、山科の各運河とこの鴨東運河lが完成し、明治27年に鴨川に沿う鴨川運河が開通し、大津と伏見が水路で結ばれました。高低差がある山科と鴨東運河の間にはインクラインが設けられました。

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水路が開通してから十数年間は、旅客も貨物も大いに利用されました。貨物では、大津からの下りは米・砂利・薪炭・木材・煉瓦など、伏見からの上りは薪炭などが多かったそうです。

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しかしながら、大正元年(1912)に京津電気軌道(現京阪京津線)が開業、大正4年(1915)に京阪本線の五条-三条間が延長され、電車で大津と伏見が直結されるようになると、唯一残っていた渡航船会社の京近曳船は廃業しました。

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戦後の昭和26年(1951)に新会社が屋形船を運航しましたが、同年冬の第1疏水取入口改造工事のため停止しました。

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琵琶湖疏水の水運の利用は無くなりましたが、増大する電力需要と水道水確保のため第2疏水工事が開始され明治45年に完成しました。大正3年(1914)には夷川と墨染にも発電所が建てられました。

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夷川船溜りの北垣国道像は明治35年(1902)に建てられました。

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十石舟はここで折り返し、南禅寺と夷川の船溜り間を25分で往復します。

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夷川発電所の放出口、落差3.4mを利用して常時280kWを出力する無人発電所(関西電力)です。

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川端通から東を振り返って、左に「白川放水路」が平行に設けられています。白川は豪雨になると大変増水するので、こちらの水路にも分流します。

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最後に、GW中に特別公開が行われる(終了する)寺院その他を紹介します。GW以後も公開している場所は省略しています。

現在~5月2日(火) 西本願寺花灯明・夜の参拝・特別拝観
現在~5月5日(金) 得浄明院・戒壇めぐりと一初鑑賞会
現在~5月7日(日) 高台寺・春の特別展、圓徳院・春の特別展、銀閣寺・春の特別公開、正伝永源院・春の特別庭園公開(建仁寺)
4月28日(金)~5月7日(日)青蓮院・夜の特別拝観、将軍塚青龍殿・夜間特別拝観、無鄰菴・新緑ライトアップ
4月28日(金)~5月25日(木)東寺五重塔・初層の特別拝観
4月29日(土)~5月7日(日) 成就院庭園・特別公開(清水寺)
5月1日(月)~5日(金) 神護寺・寺宝の特別公開
5月3日(水)~7日(日) 蹴上浄水場の一般公開、安楽寺・春の特別公開

白川と疏水の鴨川放出口

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琵琶湖疏水は、ここから鴨川と並行して南下して「鴨川運河」と呼ばれました。

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2017年4月27日 (木)

平野神社 夕桜2017

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の退蔵院を出て、桜が満開の平野神社に来ました。もう4月下旬ですが、あと少し桜の記事が続きますのでよろしく。記事の後半にGWに行われる行事を紹介します。

この日は西大路通に面した鳥居から入りました。

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「平野神社」 平安遷都の年(794年)、桓武天皇の命により大和国平城京の田村後宮に祀られていた三神をこの地に遷したのが始まりです。参道の両側には露店や花見の貸席が並んでいます。

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平安時代を通じて朝廷の信仰が厚く、歴代の天皇がたびたび行幸しました。なお、848年には1神が合祀されています。祭神は後ほど紹介します。

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例大祭の平野祭には皇太子が奉幣し、皇族や諸大臣なども参列したそうです。(最初に「桜苑」に入ります。)

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平安時代の後期になると、皇族から臣籍降下した源氏、平氏、高階氏、清原氏、大江氏、菅原氏、秋篠氏などの武家や公家の氏神となりました。

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この桜苑には、ムラサキシキブや酔芙蓉も植えられています。

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室町時代の応仁の乱(1467-77)および、1532年の天文法華の乱により焼失しました。

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江戸時代初めの1626年、後陽成天皇の勅許により、公家の西洞院時慶が社殿の修造を行いました。

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桜苑の東口を出て、正面参道に来ました。

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江戸時代の社殿の修造の際に、伏見稲荷に祈願して浄財が集まり工事が無事に完了したことから、「出世導引稲荷神社」が建立されました。(鳥居をくぐった右にあります。)

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「東福門」は江戸時代前期の1650年に東福門院が寄進したものです。横の「魁(さきがけ)桜」は平野神社発祥の桜で早咲きの品種であることから この桜が咲き出すと都のお花見が始まるといわれています。

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「拝殿」 東福門と同じ時に東福門院が寄進したもので、釘を用いない接木の工法から「接木の拝殿」とよばれています。

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現在の社殿は江戸時代初めの寛永年間(1624-44)の造営で、平野造とよばれる本殿は重要文化財です。(手前は本殿拝所で、本殿は奥にあります。)

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本殿には、主祭神として今木神(いまきのかみ、源気新生の神)、久度神(くどのかみ、竈の神・衣食住生活安泰の神)、古開神(ふるあきのかみ、邪気を祓う神)の三神と、後で合祀された相殿の比売神(ひめのかみ、生産力の神)を祀っています。(白雲桜)

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平野神社では平安時代から桜が植樹され、現在では約60種400本あるそうです。珍種が多いのは、臣籍降下した氏族の氏神でもあったことから、蘇(よみがえ)り、生産繁栄を願い、各家伝来の桜を奉納したからと伝えられています。

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ここからは、ゴールデンウィーク中に行われる行事を紹介します。

4月29日(土)壬生寺・壬生狂言、城南宮・曲水の宴、春の六齋念仏踊り

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4月30日(日)京都国立博物館「開館120周年記念特別展覧会 海北友松」 (胡蝶)

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5月1日(月)鴨川納涼床・床開き、鴨川をどり、藤森神社・藤森祭、上賀茂神社・競馬会足汰式、千本ゑんま堂・大念仏狂言、松尾大社・山吹まつり

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5月2日(火)大原女まつり

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5月3日(水)狸谷山不動院・狸谷山大般若祈願会、二条城清流園・市民煎茶の会、伏見稲荷・還幸祭、下鴨神社・流鏑馬神事

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5月4日(木)鷺森神社・宵宮、斎王代女人列御禊神事、新熊野神社・新熊野祭、八大神社・例祭(神幸祭)

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5月5日(金)下鴨神社・歩射神事、上賀茂神社・競馬会神事、赤山禅院・泰山府君祭大護摩供、地主神社・地主祭、今宮神社・今宮祭(神幸祭) (平野寝覚)

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5月7日(日)菅大臣天満宮・菅大臣祭と狂言、宝福寺・御本尊御開帳

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5月8日(月)吉田神社・山蔭祭

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2017年4月26日 (水)

真如堂 桜めぐり2017

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の宗忠神社を後に、真如堂を訪れました。この日は、桜を探して境内を散策しました。「真如堂」は正式名称を鈴声山真正極楽寺という天台宗の寺院です。

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比叡の戒算(かいさん)上人が平安時代中頃の永観2年(984)一条天皇の母、東三条院藤原詮子の願いによって神楽岡東の離宮内に堂を建て、慈覚大師の作と伝える阿弥陀如来の像を安置したのが始まりです。(赤門)

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当初の建立地は現寺地の東北に当たり、「元真如堂」といいます。のち何度か寺地を変え、文明17年(1485)足利義政が旧地に再興しました。その後また他に移転し、元禄6年(1693)旧地の西南の現在地に戻りました。(赤門を入って右に塔頭が並んでいます。)

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上は「覚円院」 芭蕉の門人・向井去来は嵯峨に落柿舎を営み、しばしば芭蕉が訪れ「嵯峨日記」を執筆したことでも知られます。この覚円院が去来の菩提寺で、境内に墓があります。

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赤門から左にも塔頭が並んでいます。正面は「地蔵庵」で、「天台宗京都教区宗務所」が置かれています。

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赤門から本堂に至る参道の北の道沿いにも塔頭が並んでいます。「理性院」

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理正院の隣(東)にある「喜運院」

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本堂の前の参道に戻りました。本堂は1705年に再建され、後に本堂の名称の真如堂が寺の別称になりました。

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「三重塔」は、江戸時代の宝暦年間(1751-1764)に建立され、1817年に再建されました(京都府指定文化財)。

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本堂の右手前(南)にある「鐘楼」は1759年に造営、梵鐘は、叩き方や天候で音色が変わる名鐘とされます。戦争中に供出されましたが、潰される前に終戦となり戦後奇跡的に寺に返還されたものです。材質を調べるために開けられた二つの小さな穴があります。

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「たてかわ桜」 縦皮の名のとおり幹に縦に筋が入っています。徳川家光の乳母・春日の局が、父の斉藤内蔵介利三の菩提を弔うために植えたといいます。水上勉の小説『桜守』の題材になっていますが、実際は当寺の貫主が接木に成功したそうです。

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本堂の裏を回りますが、ほとんど桜はありません。

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本堂の北東の廊下を横切ります。

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境内の北東にある寺務所、後ろに大文字が見えます。

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「元三大師堂」 平安時代の天台座主・元三大師(慈恵大師良源)の肖像画を祀ります(京都府指定文化財)。大師は魔除けの符として貼られる角大師(つのだいし)やおみくじ「観音籤」の発案者でも知られています。京洛十八大師めぐりの三番札所です。

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「新長谷寺」 平安時代、中納言・藤原山蔭が亀が二度も子の命を救ったのは観音のご加護であるとして、神楽岡に新長谷寺を建立し、長谷寺十一面観音像を写した像を祀りました。吉田神社の神宮寺となりましたが、明治の廃仏毀釈によって真如堂に遷されました。

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三重塔の南西に大きな枝垂桜があります。

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真如堂の境内には、ソメイヨシノ、枝垂桜、八重桜などが約70本あるそうです。

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赤門の外(左手前)にある「法伝寺」 かっての神仏習合時代には真如堂の稲荷堂でしたが、現在は塔頭寺院となっています。右に「吒枳尼天(だきにてん)」の石標があります。

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吒枳尼天は、もとはインドの魔女でダーキニーと呼ばれていました。中国に伝わり密教では胎蔵界曼陀羅外院にあって、大黒天に所属する夜叉神とされました。自在の通力をもって6か月前に人の死を知り、その心臓を食うといわれています。

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参道の正面に舞殿のような奉納舞台を改造した休憩所があります。その内部には三十六歌仙の額が掲げられています。向こうに糸桜が咲いていました。

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日本では、古来から狐が吒枳尼天のような霊力を持つと考えられていました。そして、真言密教とともに吒枳尼天が日本に伝わると、やがて狐の精とされて稲荷(いなり)信仰と結びつきました。荼枳尼天あるいは茶枳尼天とも漢字表記されます。

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正面のお堂に、空海が刻んだという白狐に天女が乗った吒枳尼天像が祀られています。戦国時代には吒枳尼天は武運の神とされましたが、やがて病気平癒、開運出世の神として庶民にも信仰されるようになりました。

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明治政府の神仏分離政策を受けて、(仏教の神である)吒枳尼天を祀っていた伏見稲荷本願所(愛染寺)は廃寺となり、全国の稲荷社の多くは(神道の神である)宇迦之御魂神などを祭神とする稲荷神社に改められました。

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しかしながら、京都では真如堂以外に、鞍馬寺、建仁寺、相国寺(塔頭の金閣寺も)、知恩院などに吒枳尼天を祀る塔頭が残っています。

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2017年4月25日 (火)

妙心寺塔頭・退蔵院 名勝庭園と枝垂桜

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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先日龍安寺を出た後、妙心寺まで歩きました。お目当ては枝垂桜が見頃の塔頭・退蔵院です。山門のあたりがかすんでいるのは、お隣の塔頭からの煙です。

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「退蔵院」は、室町時代の応永11年(1404)に越前(福井県)の豪族・波多野重通が、妙心寺3世の無因(むいん)禅師を開山として創建したのが始まりです。

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当初は、波多野家の下屋敷(千本松原)に建てられましたが、その後移転や応仁の乱による焼失などがありました。(いつもは非公開でしたが、この日は方丈に上がることができました。)

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現在の方丈(重文)は、慶長年間(1596-1615)の建築です。伝承として、織田信長が足利義昭のために建立した将軍邸を移築したともいわれています。この日はすべての戸が開いていました。(6間ある中で一番西の「鞘の間」。)

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この部屋は江戸時代中期に改造されたといわれています。

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鞘の間の西の窓から「元信の庭」が見えます。室町時代の絵師・狩野元信(もとのぶ、1476-1559)の作庭とされ、国の史跡・名勝に指定されています。

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50坪ほどの広さの石組主体の枯山水庭園です。一見無造作に石や橋が配置されているようにみえますが、全体としてみごとに絵画的な調和を保っている名園とされています。

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回遊式庭園ですが、この鞘の間から見る鑑賞式にもなっています。

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左は、寺宝の瓢鮎図(ひょうねんず)(国宝)。瓢箪でなまずを押えるという禅の公案(こうあん)を絵にあらわしたもので、如拙(じょせつ)が足利将軍のために描いたものです。如拙は相国寺の僧でしたが、中国水墨画の新様式を学び、我国水墨画の先駆者となりました。

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鮎の漢字は本来なまずの意味だそうです。ただでさえ滑りやすいなまずを、滑りやすい瓢箪で捕まえるという公案は、この寺を訪れた宮本武蔵も興味をもったようで、刀の鍔(つば)に瓢鮎の意匠を施したそうです。瓢鮎図は国立博物館に寄託していて、下は複製。

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方丈から庭に下りて、南にある余香苑に向かいます。「余香苑」は造園家の中根金作が1961年に作庭した池泉回遊式庭園です。

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中門(薬医門)を入った正面にある大きな枝垂桜が満開でした。左右に二つの枯山水があります。

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左の「陽の庭」、砂地の奥に曲線を描いて苔地が造られ、いくつかの石が配置されています。それぞれの石を中心として砂紋が描かれています。

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白川砂を用いて明るい「陽」を表現しています。

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こちらは右の「陰の庭」

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黒っぽい安曇川の砂を用いて「陰」を表現しています。

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枝垂桜の左右に道が分かれ、その左(南)の道沿いに「羅漢石」があります。

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二つの道が再び合流するあたりに六角形の東屋があります。

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ここから西の視界が開けます。余香苑は東から西への傾斜地に作られ、途中の滝口から水が西に流れていきます。西の端には茶室、藤棚、待合などがあります。

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江戸時代に造られた水琴窟。

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右手に売店と休憩所があり、正面は非公開の茶室です。売店では、なまずをモチーフにした様々なお土産や、桜や紅葉の「余香」という線香を販売しています。

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「大休庵」 売店で受付をしていて、ここで抹茶と茶菓子をいただけます。

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茶菓子の「もちどら」は、丹波大納言小豆の粒あんを、はちみつともち粉でもっちりと焼いた生地で包んだ、退蔵院オリジナルの半生菓子だそうです。

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西の端にある藤棚から東の風景は、空が借景だといわれています。右の方から水が池に流れ込みます。

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近畿各地からの集められた石の配置は洗練されていて、様々な樹木や草花が四季折々に彩りを添え、「昭和の名園」ともいわれています。さつきや楓の紅葉の頃の眺めも見事です。

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石組みの滝からはかなりの流量の水が流れてきます。

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この後の夕方は平野神社、夜は二条城を訪れました。

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2017年4月24日 (月)

宗忠神社と竹中稲荷 桜の競演

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

桜が見ごろの吉田山に行ってきました。神楽坂通りから宗忠神社の参道を上ります。この参道は桜のトンネルで知られていますが、見頃の時期に訪れるのは久しぶりです。

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「宗忠神社」は黒住教の教祖・黒住宗忠を祀る神社です。

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宗忠は、江戸時代の安永9年(1780)備前国(岡山県)の今村宮の神主の家に生まれ、文化11年(1814)の冬至の日、朝の太陽を拝しているうちに神人一体の霊感を受け、黒住教を創始したとされます。

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以後宗忠は布教を重ねましたが、嘉永3年(1850)に亡くなりました。高弟の赤木忠春は美作(岡山県)の出身で眼病のため失明しましたが、宗忠の教えによって視力を回復したといわれています。(参道石段を上った左にある「神楽岡中教会所。)

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宗忠の死後、忠春は京都で黒住教の布教に努め、文久2年(1862)に吉田神社からこの地を譲渡され、宗忠を祀ったのが宗忠神社です。幕末の安永3年(1866)には、朝廷から「宗忠大明神」の神号を与えられました。(社務所には人懐っこいワンちゃんがいます。)

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宗忠神社は、幕末には宗忠神社は朝廷の勅願所となり、皇室や二条家、九条家などの公家からも信仰されました。

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手前の拝殿は昭和12年(1937)、奥の二つの本殿は明治46年(1912)に改築されたものです。左に宗忠大明神、右に二条家より遷した天照大神を祀っています。

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幕末の動乱期に忠春は尊王攘夷に傾倒し、「皇祖神・天照大神」を前面に出して大元(岡山市の本部)から破門されました。(拝殿の右にある摂社「白山社」は、石川県の白山を神体とする白山比咩神(しらやまひめのかみ)を祀り、この地の鎮守です。)

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しかし,黒住教が明治以降いち早く「別派独立の許可」を得たのは,忠春の築いた人脈によるところが大きいといわれています。拝殿の左の摂社「忠春社」は忠春を祀っています。

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「別派独立の許可」とは、明治政府が祭祀を司る国家神道と宗教機能を持つ教派神道を分離して、一定の条件を満たした教派を独立教派として公認したことを指します。

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手水舎の「神井戸」  水は出ないといわれていた土地に忠春が掘り当てた井戸。神社に御神慮に適わぬことが起こると水が濁るといわれています。

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こちらは北の鳥居

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向こうの吉田山を越える道は宗忠神社の車参道でもあります。向かいには竹中稲荷神社があります。

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「竹中稲荷神社」は吉田神社の末社ですが、かっては独立した神社でした。

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創建時期などの詳細は不明ですが、平安時代初期にはこの地に社殿があったことが分かっています。

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『暁筆記』や『山城名勝志』には、在原業平(825-880)の住まいが神楽岡稲荷の傍らにあったと書かれています。神楽岡は吉田山のことで、かっては神座(かむくら)として信仰の対象でした。

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創建時期は吉田神社よりも古いといわれています。

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江戸時代後期の天保年間((1830-1844)には数千の鳥居が並び、雪雨でも傘が必要なかったといわれています。

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明治5年に吉田神社の末杜に定められましたが、現在でも竹中稲荷講杜が組織され多数の崇敬者があります。吉田神社の節分祭では、竹中稲荷神社から鬼をはじめとした祭列が出発して、神事の後再び戻ってきます。

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11月3日の竹中稲荷神社の秋季大祭では、神事と護摩木のお火焚きの後に、舞殿で詩吟や舞楽の奉納が行われます。

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本殿には、祭神として宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)、猿田彦神(さるたひこのかみ)、天鈿女神(あめのうずめのかみ)を祀り、商売繁盛のご利益があるとされます。

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本殿の左に竹中稲荷神社の末社「天満宮」があります。江戸時代末期の1852年に智福院より勧請された菅原道真を祀ります。

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本殿の裏の斜面に奥之院の「竹鉋稲荷神社」があり、そこまでの間に多数の「お塚」が並んでいます。伏見稲荷大社のお山よりも薄暗く、ちょっと近寄りがたい雰囲気です。在原業平の塚もあります。

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ここからは、大文字が間近に見えます。

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この後、宗忠神社に戻り、参道を下りて真如堂に向かいました。

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2017年4月23日 (日)

南禅寺 春の伽藍と3人の開山

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

南禅寺の春景色です。この日は三門に上がってから桜を求めて境内を一回りしました。

「南禅寺」は鎌倉時代中期の正応4年(1291)に、亀山法皇がこの地にあった離宮を無関普門禅師(大明国師)に下賜し、開山として迎えて開創したのが始まりです。

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無関禅師はその年に亡くなり、法皇の命により規庵祖円禅師(南院国師) が31歳の若さで南禅寺第2世の住持となり、一宇もなかった伽藍の建立・整備に半生を捧げました。

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三門とは、仏道修行で悟りに至るために透過しなければならない三つの関門、空、無相、無作の三解脱門を略した呼び名です。当初の三門は永仁3年(1295)西園寺実兼の寄進によって創立され、応安年間(1368-75)に新三門へと改築されました。

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しかし文安4年(1447)の火災で焼失してしまいました。現在の三門(重文)は寛永5年(1628)藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものです。(2層目に上り、外縁を一回りします。)

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最初に来た正面の参道、正面の向こうに市内中央部で一番高い「京都ホテルオークラ」が見えます。

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「勅使門」(重文)は、慶長年間(1596-1615)に建立された内裏の「日の御門」を江戸時代の1641年に明正天皇が移築したものです。

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ところで、亀山法皇が無関禅師を開山として迎えたのには逸話があります。(西の方に日が差しています。)

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「文応皇帝外紀」によれば、亀山上皇が法皇になった直後、その離宮に奇怪な事が起こりました。(「左大文字」、ふもとに金閣寺があります。)

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毎夜のように怨霊が現れて、法皇が各宗派の高僧に退治を命じましたが効果がありません。「船形」

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一方、無関普門禅師は40歳の時、更に向上の道を求めて宋に渡り10年余、禅の深興に達し、1262年に帰国しました。そして新潟県の正円寺に帰り、静かに坐禅三昧の時を過していました。(吉田山の南斜面に「金戒光明寺」の山門と本堂の屋根が見えます。)

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弘安3年(1280)、師の東福寺円爾禅師が病気であることを知り、無関普門禅師は70歳の老躯をいとわず、はるばるお見舞いに上洛しました。(北東の方角には「南禅僧堂」、三門を通る参道に並行した北の道沿いにあります。)

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しかし、同年円爾禅師は亡くなり、その後継の第2代住持が数ヶ月で退任したあと、周囲の願いによって東福寺第3代住持に迎えられました。(東の正面は「法堂」)

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70歳までの生涯をもっぱら修行に終始した無関禅師は、初めて住持に就任しました。(こちらの南の道沿いには塔頭が並んでいます。中央にウェスティン都ホテル京都)。

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無関禅師が東福寺住職として約10年務めた79歳のときに、亀山法皇に妖怪退治を命じられました。(三門の横の「天授庵」、紅枝垂桜が一本あります。)

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無関禅師は雲衲(修行僧)と共に離宮に留まり、坐禅・掃除・勤行と、禅堂そのままの生活を送っただけで、怨霊は現れなくなりました。(天授庵の山門、ここが拝観入口になります。)

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南の山の斜面には「蹴上浄水場」、先日、産業遺産に指定されている煉瓦造りの建物を曳家工事で移動したことが話題となりました。建物をいったん移設して、内部の改装や新規の施設を設置した後、元の位置に戻しました。

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三門から降りて法堂(仏殿)に向かいます。法堂は、江戸時代の1606年に豊臣秀頼の寄進によって再建されましたが、明治時代の1895年に焼失し、1909年に再々建されました。

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亀山法皇は無関禅師の徳をたたえて深く帰依し、正応4年(1291)に離宮を禅寺として、禅師を開山として迎えたのです。しかし、高齢の無関禅師はその年の暮れに亡くなり、先ほど三門の上から見た天授庵に葬られまた。(三門の方を振り返って。)

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第2世となった規庵祖円禅師は南禅寺の堂宇の建設に努めて53歳で亡くなり、帰雲院に葬られ、創建開山(実質的な開山)と呼ばれています。法堂の北にある「南禅僧堂」

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法堂(右)と方丈は廊下でつながっています。

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石段を上った正面は方丈、その左の「龍淵閣」では座禅体験が行われています。

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南禅寺は室町時代の応仁の乱(1467年)ですべての伽藍を焼失して、その後再建は思うにまかせませんでした。

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南禅寺の本格的な復興が進んだのは、江戸時代になって慶長10年(1605)以心崇伝が第270世住持となってからです。(方丈の玄関)

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その後、崇伝は江戸幕府を開いた徳川家康に招かれて駿府へ赴き、キリスト教の禁止、寺院諸法度、武家諸法度、朝廷権威に制限を加える禁中並公家諸法度の制定など、幕府の宗教、武家、朝廷政策に深くかかわりました。(「庫裏」 方丈庭園への拝観入口です。)

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崇伝は江戸と南禅寺の金地院を往復しながら、南禅寺や建仁寺の復興にも力を尽くし、南禅寺の中興開山とも呼ばれています。法堂の南にきました。

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水路閣に沿って左に行くと最勝院、向こうの石段を上ると南禅院があります。南禅院は亀山法皇の離宮を禅寺にした発祥地で法皇の分骨が納められ、最勝院は、離宮に怨霊となって表れた駒僧正ゆかりの寺です。

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2017年4月22日 (土)

大河内山荘 2017春

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の天龍寺の北門を出て、竹林の道を大河内山荘に向かいました。

「大河内山荘」は映画俳優・大河内傳次郎(でんじろう)が別荘として造営して、現在その回遊式庭園が「大河内山荘庭園」として公開されています。

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竹林の道の突き当りに大河内山荘の入り口があります。竹林では混雑していても、ここに入る人は多くありません。拝観受付を過ぎると、散策路と反対方向に「大河内資料館」があります。

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四角く囲った塀の内側に、大河内傳次郎の年表や映画のポスターなどの資料が展示されています。サイレント期では、『忠次旅日記』や『新版大岡政談』などの名作に主演し、昭和3年の『新版大岡政談』で初めて丹下左膳を演じました。

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その丹下左膳が当たり役となり、その後のトーキー時代を含めて題名に丹下左膳がつく主演映画は生涯で17本を数えました。戦後も数々の有名作品に出演しましたが、敵役や脇役を演じることも多くなり、昭和37年に64歳で亡くなりました。

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通常の拝観順路に戻ると、斜面に上る回遊路の右手にお茶席があります。拝観券にはお茶券もついているのですが、後で寄ることにします。

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昭和6年(1931)、傳次郎34歳のときに、当時長期保存が難しかったフィルムに対し永く消えることのない美を追究するため自身で山荘の設計・造営を始めました。上の石段を上ったところにある「中門」は登録有形文化財です。

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中門をくぐると広場になっていて、奥に休憩席が設けられています。そこからは見晴らしがよく、比叡山が正面に見えます(TOPの写真)。

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休憩席の前に「大乗閣」(登録有形文化財)があります。寝殿造、書院造、数寄屋造など日本住宅の伝統的様式を合わせ入れた建物です。他の建物も含めて、傳次郎の構想に基づいて数寄屋師の笛吹嘉一郎が施工しました。

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大乗閣は、建設当初あまり評判がよくなかったそうjです。山の斜面を上る回遊路に沿って、建物がある平地が3段になっています。1段目が大乗閣で、上ると見晴らしが開けてきます。

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この地は小倉百人一首でも知られる小倉山の南東面と、嵐山公園(亀山公園)に挟まれた約2万平方メートルの荒地でした。傅次郎は映画出演料の大半を注ぎ込み亡くなるまで30年の歳月をかけてこつこつと山荘を作り上げました。

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ちょっとした窪地に高床式の「持仏堂」(登録有形文化財)が建っています。昭和6年に二尊院、九条家の位牌堂を写して一番最初に建てられた建物です。熱心な仏教徒だった傅次郎は、このお堂で座禅をしました。

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この石仏のことかわかりませんが、傅次郎が常盤で転がっている野仏を見かねて山荘に持ち帰りました。それを子供が見ていて、村人たちが野仏を返せと裁判沙汰になりかけました。話し合いの末、野仏は山荘に寄贈されたそうです。、

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持仏堂の横の石段を上ると、2段目の平地になります。

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ここには茶室があり、きれいな苔地の露地庭に石段がついています。

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「滴水庵」 1937年に移築され、木造平屋建で、2室の広間の茶室と土間のある数寄屋造りの水屋です。この地に山荘を造営したとき、建物で一番苦労したのが井戸だったそうです。

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高い山頂近くだったので、地下水脈に至るまで相当深く掘らなければならず、出来上がった井戸は石を投げ込んで七、八ツを数えなければ音がしないほどの深さだったといいます。

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すべての庭も傅次郎の着想にもとづき、傅次郎と庭師・広瀬利兵衛が一緒に造営したといわれています。

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茶室の横の回遊路をさらに上ると尾根に出ます。

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保津川を挟んで正面に嵐山があります。すぐ下には、亀山公園の展望台から尾根伝いの道が通っています。

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上流は保津峡、右は小倉山の斜面です。

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大悲閣が間近に見えます。

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尾根伝いに少し北に行くと、開けた場所に茶室「月下亭」があります。ここが一番高い3段目になります。

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傅次郎はこの山荘に住み、自ら木を植え石を据えて庭園を造り続け、最期は大乗閣で亡くなったそうです。(ここからは市内の大部分が見渡せます。)

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回遊路は月下亭から直接茶席まで下り、途中に瓦を敷き詰めた場所があります。

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傅次郎の死後、妻をはじめとする遺族が山荘を維持してきました。(お茶席に戻ってきました。)

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傅次郎が亡くなってから40年後の2002年、山荘は国の登録有形文化財に指定されました。現在この山荘は大河内家kら京都市に寄贈され、「大河内山荘庭園」として京都市が管理しています。

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抹茶に茶菓子(最中)がついています。

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2017年4月21日 (金)

龍安寺 春の石庭と鏡容池

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事は嵐山の天龍寺でしたが、今日は別の日に訪れた龍安寺にしました。現在では石庭が有名ですが、昔から池を中心とした池泉回遊式庭園も名所として知られています。

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「龍安寺」は、山号を大雲山という臨済宗妙心寺派の寺院です。石庭に行く途中に池の横を通りますが、後で回ることにします。

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このあたりは、平安時代中期の永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺・円融寺の寺域でした。

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後に円融寺は衰退し、平安時代末に藤原北家の流れをくむ徳大寺実能(さねよし)の山荘が建てられました。

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方丈の前庭(石庭)は室町時代に寺が再興された際に作庭されたといわれていますが、詳細は不明です。左から、石が5、2、3、2、3個ずつかたまっていて、様々な解釈がされています。

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室町時代に、徳大寺家からこの山荘を幕府管領の武将・細川勝元が譲り受け、寺院とするため初代住職として妙心寺8世住持・義天玄承(玄詔)を迎えました。塀の向こうのソメイヨシノは満開、その左の枝垂桜は開花したばかりでした。

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玄承は、尊敬する師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは寺を開く実務にあたりました(そのような僧侶は創建開山といわれます)。

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細川勝元らと守護大名・山名宗全らが争った応仁の乱(1467-1477年)で龍安寺は焼失しましたが、勝元の子・細川政元と4世・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興されました。

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安土桃山時代に豊臣秀吉は、蒲生氏郷と前田利家を連れて龍安寺を訪れ、方丈の西庭の糸桜の花見をして和歌の会を催しました。その後秀吉は3度にわたり寺領を寄進しました。現在の西庭は、龍安寺特有の「びろうど苔」でおおわれています。

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江戸時代の初めには板倉勝重と金地院崇伝によって朱印722石が寄進され、最盛期には塔頭が23院もありました。方丈の北庭に水戸光圀が寄進した「吾唯足知」と刻まれた手水鉢(蹲踞)があります。

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東庭の右手に豊臣秀吉が賞賛したという侘助椿が植えられています。その後ろは龍安寺垣とよばれ、透かしの部分にひし形に組まれた割り竹が張られた背の低い垣です。

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明治初年の神仏分離令後の廃仏毀釈により塔頭は3院だけになり、上知令によって寺領の大部分は没収されて国有地となり、障壁画などの寺宝も散逸してしまいました。

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1924年に石庭を含む庭園が国の史跡・名勝に指定され、1954年には特別名勝となりました。1994年には龍安寺は「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録されました。境内に出て池泉回遊式庭園をめぐります。、

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最初に中の島の「弁天島」に渡ります。

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「大弁財天尊」 弘法大師が刻んだとの伝承がある弁財天、毘沙門天、大黒天を祀り、豊臣秀吉が信仰したといわれています。

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「鏡容池(きょうようち)」 国の名勝「龍安寺庭園」の中心にあり、かっては石庭よりも有名でした。石庭が人気となったのは、欧米諸国における禅ブームと1975年にエリザベス2世が龍安寺を公式訪問して石庭を称賛したことがきっかけといわれています。

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この池は平安時代に円融天皇が建立した円融寺の園池で、その跡地に山荘を建てた徳大寺実能と孫・実定が庭園を作庭しました。

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池の周囲の道を西に行くと、石段の上に第二次大戦中にビルマで戦死した兵士を供養する「バゴダ」と「涅槃堂」があります。それらは1970年に58世住職・松倉招英と野戦自動車廠戦友会によって建立されました。

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涅槃堂の横に「桜苑」と「梅林」があります。このあたりは高台となっていて、中の道は鏡容池のほとりの散策路と並行に南に向かいます。

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ここの枝垂桜は背が高いことが特徴です。

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桜苑を抜けると池の西に出ます。ここには、塔頭の一つの「西源院」が経営する湯豆腐屋さんがあります。精進料理に豆腐を加えた「七草湯豆腐」が名物で、野菜を散りばめて目にも美しいそうです。

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塔頭の「大珠院」も池のほとりにあります。その前に無名の中の島があり、そこに建つ五輪塔は真田幸村の墓といわれています。大珠院から石橋で島に渡れます。

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池の向こうに「霊光祖堂」が見えます。安土桃山時代の1583年に月航玄津によって塔頭の霊光院が創建され、織田信長の妹「お犬の方」が祀られました。霊光院は「お犬の方」の法名で、現在ではこのお堂だけが残っています。

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大弁財天尊がある中の島。

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「水分石(みくまりいし)」 池の水がこの位置を境に南東と南西に分かれたとされます。また、この石が水沈すると水門を開くなど、池の水かさを調整するのにも使われたたそうです。かっての徳大寺の遺構といわれます。

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池の東には「伏虎(ふしこ)島」があります。今までに紹介した三つの中の島はほぼ一直線に並んでいます。

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天龍寺を訪れた後、枝垂桜が見頃を迎えた妙心寺の塔頭まで歩きました。

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2017年4月20日 (木)

天龍寺 春の花咲く2017

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

渡月橋を渡り、天龍寺にきました。総門には、枝垂れ桜と三つ葉つつじが見頃の看板が出ていました。向こうに見える中門は工事中です。

「天龍寺」は、室町時代の暦応2年(1339)足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として創建したのが始まりです。

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春は山内に様々な花が咲き華やかになります。総門の左にある「勅使門」の前から。勅使門、放生池(蓮池)、向こうに見える法堂、唐門、大方丈が、東から西に一直線に並んでいます。。

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創建以後の歴史は別の機会に紹介するとして、今日は今咲いている花を見て歩きます。南側の参道横には塔頭が並んでいます。

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池の西から振り返って、勅使門。

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北の参道に来ました。総門がらまっすぐ庫裏に向かう道で、やはり塔頭が並んでいます。
正面の庫裏にはお堂の拝観受付がありますが、この日は庭園だけを見て回ります。

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庫裏の左手にある庭園の拝観受付を過ぎると、大方丈とその前庭があります。

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中央に唐門、手前に白砂、塀際に苔地と松が植えられているシンプルな枯山水庭園です。

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庭園の端に一本だけ三つ葉つつじが咲いていました。

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大方丈の裏(西)にある「曹源池庭園」。中央から右手は亀山が借景となっていて、右手に小方丈が見えます。
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夢窓国師が作庭した池泉廻遊式庭園で、国の史跡・特別名勝の第一号です。向こう岸の中央に石組からなる滝(龍門瀑)があります。


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この地は、かって亀山上皇が離宮「亀山殿」を建てた場所で、後の後醍醐天皇も学問所として幼少期を過ごしました。(小方丈の前から、池の左(南)は嵐山が借景です。)

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小方丈の横の石段を上ると「多宝殿」があり、小方丈とは回廊で結ばれています。多宝殿には後醍醐天皇の尊像が祀られています。現在の建物は昭和初期に建立されたものですが、後醍醐天皇の吉野行宮(あんぐう)時代の紫宸殿の様式を伝えています。

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多宝殿の前を通って左に行くと、道が分かれていて一方は池の裏(西)を通って大方丈の南に戻ります。もう一つは斜面に上る道で北門の方に行けます。

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道が一番高いところは「望京の丘」といい、展望台になっています。先ほど通った多宝殿が下に見えます。

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斜面の枝垂桜を通して見る景色は王朝絵巻のようです。

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この枝垂桜は、吉野で亡くなった後醍醐天皇の霊を慰めるために、夢窓国師が吉野から取り寄せて移植した桜の子孫だといわれています。庫裏の屋根についた煙出が見えます。

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比叡山

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多宝殿の横からも北門の方に行けます。

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斜面から下りたところに、「愛の泉」と「平和観音」があります。夢想国師の母親は、観音菩薩を信仰していて、その夢を見て国師を生んだそうです。夢想国師が南北両朝の和平に尽力したことにちなみ、この像を平和観音と名付けたそうです。

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多宝殿から北門までは「百花苑」とよばれる庭園となっていて、様々な植物が四季を通じて花を咲かせます。「木瓜(ぼけ)」、この木の花びらは紅と白です。

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これから後は、目についた花を見て歩きます。「黒光木瓜(こっこうぼけ)」

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百花苑は、昭和58年(1983)に北門が開設されたときに整備された庭園です。「雪柳」

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北門に向かって緩やかに上る斜面に苑路が東西に作られ、その間の苔地に同じ種類の植物がかたまらないように植えられています。(三つ葉つつじはあちこちで咲いています。)

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春に花が一斉に咲くと、様々な色がまじりあって美しい色模様になります。「山茱萸(さんしゅゆ)」

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よく手入れがされていて、それぞれの植物には英語、中国語、ハングルで名札がたてられています。「木瓜」 この木には紅、白、斑の花が咲いています。

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あちこちに点在する同じ種類の花それぞれに名札がついているので、歩いていると自然に名前を覚えてしまいます。「連翹(れんぎょう)」

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「白妙(しろたえ)桜」、純白のぽっちゃりした花びらでした。

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昨日は大原に行ってきました。ちょっと肌寒く感じられ桜や菜の花が見ごろの状態で、山里の遅い春を楽しむことができます。

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「日陰躑躅(つつじ)」

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この後北門から竹林の小径に出て、大河内山荘に向かいました。

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