六地蔵めぐり
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明日から2日間(8月22、23日)「六地蔵めぐり」が行われます。京都の入口である旧街道6ヵ所にあるお地蔵さんを巡拝して、家内安全、無病息災を祈願する行事です。(上は奈良街道にある「大善寺」)
各寺ごとに定められた赤・青・黄・緑・白のお幡(のぼり)を集めて玄関に吊すと、厄病退散、福徳招来の御利益があるとされます。
平安時代の初め、息絶えた小野篁は冥土で生身の地蔵菩薩に拝して蘇ったといわれます。そこで、一本の大木から六体の地蔵菩薩を刻み、大善寺(六地蔵)に祀りました。
その後の保元年間(1156-1159)平清盛が西光法師に命じて、都を往来する旅人たちの路上安全、庶民の疫病退散、福徳招来を願って、都に通じる街道の入り口に地蔵堂を建て祀ったことが六地蔵巡りの風習の始まりといわれます。「伏見六地蔵」
「浄禅寺」 恵光山と号し、浄土宗西山禅林寺派に属します。寺伝によれば、寿永元年(1182)文覚(もんがく)上人の開基、境内に袈裟御前(けさごぜん)の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があることから恋塚浄禅寺の名で知られています。
本堂には、本尊阿弥陀如来立像を安置し、観音堂には、11面観音立像を祀っています。
「鳥羽地蔵」 この地蔵は、保元年間(1156-59)に、都の出入口に当たる上鳥羽の地に祀られたもので、西国街道を守護します。
「地蔵寺」 桂にある浄土宗の寺院です。暦応2年(1339)光厳天皇の勅許により虎関師錬が南禅寺開山無関普門(大明国師)の塔所として建立。慶長7年(1602)細川幽斎が再興しました。
地蔵堂の東には、石造薬師如来坐像(鎌倉初期)を安置する薬師堂があり、境内には、石造宝篋印塔があります。また、かってこのあたりは、桂の渡しに近く、桂大納言源経信や伊勢女等の歌人の住居があったといわれています。
「桂地蔵」 この地蔵尊は、一木の最下部をもって刻まれたもので、世に姉井菩薩と呼ばれています。丹波街道を守護しています。
「源光寺」 臨済宗天龍寺派の尼寺です。昔、このあたりは鳥羽天皇皇女の八條女院の山荘常盤殿があったといい、後深草天皇も一時、この地に隠棲されたといいます。
また、歌人藤原為業が出家して寂念と称して閑居したところと伝えられており、寺の東には常盤御前の墓といわれるものもあります。地蔵堂
「常盤地蔵」 この地蔵は、上善寺の姉子地蔵に対して乙子(おとご)地蔵と呼ばれています。周山街道を守ります。
「徳林庵」 仁明天皇第四之宮人康(しのみやさねやす)親王の末葉、南禅寺第260世雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が1550年に開創。境内には、人康親王、蝉丸供養等(室町時代)、茶所の4体石仏(鎌倉時代)、荷馬の井戸、飛脚の釜があります。
「山科地蔵」 初め伏見六地蔵の地にあったものが、1157年、東街道のここに安置され、以後、山科地蔵は東海道の守護仏となりました。
「上善寺」 千松山遍照院と号するする浄土宗の寺院。寺伝によれば、貞観5年(863)に、僧円仁により天台密教の道場として、千本今出川に創建されたと伝えられています。
その後、文明年間(1469-87)に、春谷盛信(しゅんこくせいしん)によって再興され、後柏原天皇の勅願寺として栄え、文禄3年(1594)、寺域を現在の地に移し、浄土宗に改められました。
地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、当初、小幡の里に祀られていましたが、保元年間(1156-59)に洛北の深泥池の畔に祀られたので「深泥池地蔵」とも呼ばれています。
「鞍馬口地蔵」 顔立ちや姿が女性的で美しく、右手に錫状、左手に宝珠を持っています。江戸時代に極彩色に彩色され、その下にさらに古い彩色痕があります。2016年の調査で、伝承の通り桜材の一木造であることが分かったそうです。
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境内の東にある出雲路橋、鞍馬街道の起点です(鞍馬口)。
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