醍醐寺・霊宝館 桜と国宝
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一昨日(4月7日)に醍醐寺の霊宝館を訪れました。4月3日に三宝院を訪れたときには霊宝館の桜はまだ満開ではなかったので、改めて出直しました。醍醐寺の総門を入って、三宝院の前から右に入る道沿いに霊宝館の入り口があります。
霊宝館には、醍醐寺が所有する仏像や絵画、工芸品、文書などが管理・保存され、公開・展示を行っています。醍醐寺・塔頭の諸堂の尊像を除いて、ほとんどの寺宝・伝承文化財が霊宝館に安置されています。
これらは、国宝69,419点、重要文化財6,522点、その他未指定を含めると約15万点におよびます。上の建物は本館です。
膨大な寺宝・文化財は、開山以来の歴代の座主や多くの僧侶達によって守り継がれてきたものです。(本館内部の宝物は撮影できませんが、ここ休憩室だけは撮影できます。)
明治維新後に起きたいわゆる「廃仏毀釈」によって、京都や奈良を中心とする多くの寺院は困難な状況に追い込まれました。(大きな枝垂桜は「醍醐深雪桜」と呼ばれています。)
多くの寺院は、廃寺や統合されたり、財源を求めて仏像や什物の譲渡を余儀なくされました。多くの文化財が海外へ流出したのもこの時期です。
本館を出て、その右手に樹齢100年のソメイヨシノの大木があります。
醍醐寺では、三宝院に伝承される二つの法流(三宝院流と恵印法流)が一致して、一山に伝わるすべての宝物を一つも流出させてはならないという立場で、困難な時期を乗り越えたそうです。
明治38年(1905)からは、寺独自に寺宝・文化財の調査・目録作成が始まりました。この事業により、学術資料としての重要性を高く評価され、「醍醐寺文化財研究所」が設立され、現在の文化財管理の基礎となりました。
現在では、伝承されるすべての文化財がデータベース化されて「醍醐寺文化財総合管理システム」が構築され、その積極的管理に努めているそうです。今後、WEBサイトでも伝承された宝物を紹介していく予定だそうです。(左奥は本館の後にある「平成館」。)
寺宝を管理・展示する施設の面でも、醍醐寺は先駆的な役割を果たしてきました。醍醐天皇の没後1100年にあたる昭和5年(1930)から霊宝館の建設が始まり、昭和10年(1935)に最初の施設が公開されました。上と下は先ほど休憩室からみた「醍醐深雪桜」。
私設の展示施設としては早い時期の建設で、当時として最高の設備が備えられていました。(仏像館の前から)
その後、所蔵品の増加に伴って昭和54年(1979)には新たに収蔵庫3棟が新築(後に本館として改築)され、平成13年(2001)に新たに「平成館」が増築されました。
醍醐寺が所有する文化財の中で、明治時代から整理・研究がはじめられた古文書類は総合して「醍醐寺文書聖教(もんじょしょうぎょう)」と呼ばれています。平安時代から明治に至るまでの歴史的な資料として価値が非常に高いものだといわれています。
ところで、国宝の所有数でみた都道府県のランキングは、1位東京都(276件)、2位京都府(230件)、3位奈良県(198件)、4位大阪府(60件)です。一方、国宝0件が2県、1件のみが6県あります。
東京都の国宝が多いのは、博物館・美術館に収蔵されている数が多いからで、国宝の建物は2件しかありません。
ところが、上の数は国宝の”件数”で、最初に紹介した醍醐寺の国宝69,419点は、実際の国宝の数(員数)を表しています。醍醐寺の古文書・醍醐寺文書聖教の69,378点は1件として数えられています。
この醍醐寺の国宝古文書の点数は突出しており、2位の京都府立京都学・歴彩館が保管する東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)24,067通の約2.9倍です。
醍醐寺の古文書は、仏教史料に留まらず、政治、経済、芸能の分野に至るまで、日本史に関わる貴重な史料であることが分かっていて、順次出版されています。
以上の理由で、醍醐寺は日本最大の文化財伝承寺院とよばれています。
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