« 周山街道を栂尾へ 2017秋 | トップページ | 落柿舎と去来の墓 »

2017年12月 3日 (日)

栂尾・高山寺 2017秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnj_4368a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて高山寺を訪れました。下は周山街道に面した表参道の入口。

Jnj_4330a

「高山寺」は山号を栂尾山(とがのおさん)という、真言宗の単立寺院です。

Jnj_4337a

高山寺の歴史は古く、奈良時代後期の774年、光仁天皇の勅願により、慶俊らを開創として創建されました。当初は、神願寺都賀尾(じんがんじとがのお)坊と称し華厳宗の寺院でした。平安時代初めには都賀尾寺と呼ばれていたようです。

Jnj_4342a

平安時代初期の814年に天台宗の都賀尾十無尽院(じゅうむじんいん)と改められましたが、その後衰退しました。平安時代後期に、文覚(もんがく)により度賀尾寺が復興され、神護寺別院となりました。

Jnj_4543a

鎌倉時代初めの1206年、後鳥羽上皇の帰依を得た明恵上人(1173-1232)が神護寺別院を贈られ、華厳宗の根本道場として再興し、寺名を高山寺と改めました。(金堂の屋根が見えてきました。)

Jnj_4534a

1219年に金堂が建立されて釈迦如来が安置されました。現在の金堂は江戸時代の1634年に仁和寺古御所の御堂を移築したもので、本尊として室町時代作の釈迦如来坐像を安置しています。(金堂の周辺にはカエデがありますがほとんど紅葉していません。)

Jnj_4509a

平安時代中期に全盛期を迎え絶大な権力をもった藤原氏でしたが、鎌倉時代になり武家が台頭したあともその嫡流の五摂家が摂政・関白を独占し明治に至ります。

Jnj_4525a

金堂の隣にある「春日明神社」 明恵上人が春日大社から藤原氏の氏神・春日明神を勧請し、当時の藤原氏の家督を継いだ者は最初にここに参詣する習わしがあったそうです。

Jnj_4520a

本堂の前の道を右に行くと一段高い場所に「旧石水院跡」があります。1216年に僧坊の石水院がこの場所に建立されましたが、1228年に洪水により流出して、禅堂院に移されました。ここから参拝路は右に曲がり下り坂になります。

Jnj_4496a

一段低い場所に仏足石のお堂があります。明恵上人の遺跡の一つで、江戸時代の文政年間(1818-1830)に復元されたものです。

Jnj_4483a

明恵上人は武士・平重国の子でしたが8歳で孤児となり神護寺の叔父・上覚の下に預けられました。上覚の下で出家、東大寺戒壇院で具足戒を受け東大寺に出仕しました。その間、華厳、真言、律、禅宗などを体得しました。坂道の上に「御廟」があります。

Jnj_4464a

明恵上人は22歳で紀州白上峰に隠遁しましたが、1198年文覚より高雄に戻され神護寺別院の再興を託されました。1207年には院宣により東大寺尊勝院学頭となりましたが、後に栂尾に戻り1232年に禅堂院で亡し、この地に葬られました。

Jnj_4469a

坂道を下っていくと開けた場所があります。ここは明恵上人終焉の地です。

Jnj_4462a

「開山堂」 明恵上人が晩年を過ごした禅河庵(禅堂院)で、明恵没後に御影堂、その後、開山堂と呼ばれました。室町時代の兵火で焼失し、江戸時代の享保年間(1716-1736)に再建されました。

Jnj_4446a_2

「聖観音像」 彫刻家の赤堀信平(1899-1992)の作品です。この観音像がきっかけとなり、各地の寺院や施設から観音像の制作依頼があったそうです。確かに人間と仏の間にたって悩みを聞いてくれそうな優しくて美人の観音像です。

Jnj_4443a

1969年に建設された「法鼓台道場」

Jnj_4431a

「日本最古之茶園」 明恵上人は建仁寺に栄西禅師を訪ねたとき、栄西が宋から持ち帰った茶の種3粒をもらい、この地に植え、栂尾茶として栽培したといいます。しかし、傾斜地で畑地が狭いという難点があり、後に宇治に移植され全国に広まリました。

Jnj_4415a

当初の栂尾茶は朝廷にも献上され修行の道具でした。鎌倉から室町時代初期には、お茶の産地を当てる「闘茶」が催され、最初は栂尾茶を「本茶(ほんちゃ)」その他を「非茶(ひちゃ)」として、「本非茶勝負」ともよばれたそうです。

Jnj_4420a

坂道の下に「石水院」(国宝)があります。下は山門。

Jnj_4355a

鎌倉時代初期の寝殿風住宅建築で、後鳥羽院の賀茂別院を移築したものといわれています。寺宝として、鳥獣人物戯画(国宝)をはじめ、数多くの貴重な文化財を蔵しています。(拝観受付の横に「撮影禁止」の張り紙がありますが、個人の撮影はOKとのことです。)

Jnj_4358a

「善哉童子像」 西村虚空作の一木造で、童子はインドの長者の子に生まれ、仏教に目覚め文殊菩薩の勧めにより、53人のさまざまな人々を訪ね教えを請いました。修行を積んで最後に普賢菩薩の所で悟りを開いたといわれています。

Jnj_4365a

鳥獣人物戯画4巻は、乙・丙巻が京都国立博物館、甲・丁巻が東京国立博物館に寄託されていて、石水院には複製が置いてあります。

Jnj_4371b

Jnj_4380a

帰りは石水院の横から裏参道を下りました。

Jnj_4569a

栂ノ尾のバス停が見えてきました。

Jnj_4573a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

  ★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jnj_4359a

|

« 周山街道を栂尾へ 2017秋 | トップページ | 落柿舎と去来の墓 »

コメント

終わりかけ寸前の、最後の最後まで
楽しませてくれる紅葉。
最後の1枚まで嬉しいものですよね。

投稿: munixyu | 2017年12月 3日 (日) 11:52

★munixyuさん こんばんは♪
京都の紅葉もほとんど終わりかかっています。まだ一部残っているのは北野天満宮の御土居や下鴨神社参道など、他の木も茂っていて日当たりが悪い場所です。でも写真をいっぱい撮ったので、ブログでではしばらく紅葉が続きますm(__)m

投稿: りせ | 2017年12月 4日 (月) 00:13

結構な山深さだなぁ。。と思いつつ見ていたのですが、バス停は案外近いんですね。。地図で確認したら、神護寺よりもむしろアップダウンが少ないかも!?石水院はもっと古めかしいイメージでしたが、修復したんでしょうか。。。なんかすっくりして新しく見えます。。善哉童子というと快慶の像が有名ですね。立ち姿の動きのある感じが仏像の中では特にかわいらしいというか。。。w
マンガのように吹き出しを付けて、色々セリフを入れてみたくなってしまいますw

投稿: ばるさろ | 2017年12月 4日 (月) 22:03

★ばるさろさん こんばんは♪
高山寺の表参道は、神護寺参道の最初の茶店までよりも高低差がなく、緩やかです。金堂は山門からちょっと上にありますが、大したことはありません。
石水院は鎌倉時代の建物を何度も移築、改造していて最終的に明治22年に現在地に移されたそうです。それでも国宝ということは、歴史的な価値があるということなのでしょうね。ここの善哉童子は西村虚空の作で、確かにかわいらしくて躍動感があります。正面から写真を撮ろうとすると、通路が狭くて他の参拝者の邪魔になるので、今回も遠くからしか撮っていません(過去の記事には正面の写真があります)。

投稿: りせ | 2017年12月 4日 (月) 23:51

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 周山街道を栂尾へ 2017秋 | トップページ | 落柿舎と去来の墓 »