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2017年12月 4日 (月)

落柿舎と去来の墓

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の常寂光寺を出ると、すぐ落柿舎の前の広場に出ます。ここは風致地区(第一種)に指定され、昔ながらの景観を保存するため京都市が生産緑地として買い取り、周辺の電線類も地下に隠されている場所です。

以前は「小倉大納言 実験農場」という説明板があり、その後農家に委託して何かを栽培していたようですが、この日は何も植えられていないようでした。広場の向こうに落柿舎が見えます。

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「落柿舎」は江戸時代中期の俳人、向井去来(1651-1704)が営んだ草庵で俳諧道場でもありました。去来は、芭蕉門下第一の俳士といわれ、芭蕉が最も信頼した高弟でした。 芭蕉は「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」と称えました。

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向井家の先祖は南朝の征西将軍懐良(かねなが)親王に従って西下し、肥後国菊池向井里に住みましたが、去来は祖父の時に移った長崎で生まれました。(落柿舎と向き合う形でギャラリーを併設したカフェ「無動庵 Museum李朝」があります。)

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去来の青年時代は、武士として武芸に専心しその名声は西国に知られました。このような経歴から芭蕉は鎮西の俳諧奉行と称したのです。去来は父の死後上京し、軍学、有職故実、神道を学びました。(広場の西の道を北に行きます。)

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去来が武士の身分を捨て俳諧の道に入ったのは貞享初年(1684)のことで、落柿舎を営んだのは、 貞享4年(1687)以前と考えられています。(昨年は広場の向こう半分が畑となっていました。)

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芭蕉は元禄2年(1689)、およびその後2度訪れ、「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」の句を残しています。元禄4年には4月18日から5月4日まで滞在して、大堰川、臨川寺、小督局の塚などを訪れ『嵯峨日記』を著しました。(東には比叡山が見えます。)

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落柿舎の西隣に「嵯峨天皇皇女有智子(うちこ)内親王墓」があります。皇女は17歳の少女の時に当代第一の漢詩人と称えられ、初代の賀茂齋院となった女性です。、

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落柿舎の名の由来となった出来事とそれを詠んだ句「柿ぬしや木ずゑは近きあらしやま」にちなんで、柿の木が境内や門前にあります。この日は立ち寄らず、先を急ぎました。

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元禄17年/宝永元年(1704)に去来が亡くなり、庵は荒廃して場所も分からなくなりました。明和7年(1770)京都の俳人・井上重厚が天龍寺塔頭・弘源寺の跡地に庵を再建しました。その後、弘源寺の老僧の退隠所となって「捨庵(すてあん)」と呼ばれました。

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今の落柿舎は明治28年(1895)に弘源寺の旧捨庵が売却されようとしているのを地元の名士が買い受け再建した建物です。現在では、公益財団法人「落柿舎保存会」が維持・運営にあたっています。10月には「去来祭」が行われ、講演や直会、句会が催されます。

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しばらく行くと、右手に「去来先生墳」の石標があり、この小道に入ります。

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小道の左に弘源寺の境外墓地(小倉山墓地)があります。

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ここには去来の遺髪が埋葬されていて、実際の墓は左京区吉田山の真如堂にあります。周囲には奉納されたたくさんの句碑が建っています。ここを訪れた高浜虚子は「凡そ天下に去来程の小さき墓に詣りけり」と詠みました。

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墓地の隣に「西行井戸」があります。西行jは北面の武士でしたが、出家して諸国を巡り多くの歌を残しました。最初に嵯峨野に草庵を営み、そのとき使った井戸と伝わっています。石垣の前に設けられた井戸口は竹で作った蓋で覆われ中の様子は見えません。

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井戸の上に西行の歌碑「牝鹿なく 小倉の山の すそ近み ただ独りすむ わが心かな」

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もう一度嵯峨野の散策路に戻ります。この小道の石碑には「西行定家去来あはれあはれ侘(わび)のうた人はひとり住みたり」と刻んであります。

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散策路の左に「長神(ちょうじん)の社」があり、小倉百人一首のうち、新古今集、詞花集から選ばれた19首の歌碑があります。桜や紅葉の穴場ですが、既に閉まっていました。もうすぐ二尊院の山門です。

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コメント

落柿舎も紅葉が終わり、すっかり冬になっていますね。
紅葉は始まるまでは長いのに、始まると本当にあっという間に
終わり、寂しいものです。

投稿: munixyu | 2017年12月 4日 (月) 13:21

初めまして!1930年生のおbabaです
ブログ巡りで京都が目に留まりお邪魔しました
関西に姉がいましたので、戦後間もなくから姉妹で
よく歩きました。今千葉に住んでいます。
PCを始めたころから(17年前)カメラ散歩で
1年に1回春か秋に3泊程度で京都を歩いています
これから何日かかけてゆっくりとお写真を拝見
させて頂きます。何度訪れても飽きない京都です
ありがとうございました

投稿: けい | 2017年12月 4日 (月) 14:22

★けいさん 始めまして♪
コメントありがとうございます。私にとっては生まれ育った街ですが、いつも新鮮な気持ちで京都を歩いています。私のブログで京都を楽しんでいただけると嬉しいです。これからもよろしくお願いします。

投稿: りせ | 2017年12月 4日 (月) 23:20

★munixyuさん こんばんは♪
落柿舎は、柿がなっている時期がいちばん風景として映えますね。去来の時代、40本もあった柿の木から、一晩の大風で全ての実が落ちてしまったということです。季節外れの台風か木枯らし一号だと思いますが、季節は初冬ということでしょうか。

投稿: りせ | 2017年12月 5日 (火) 00:11

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