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2017年11月 3日 (金)

釜座通とこぬか薬師

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京都府庁旧本館を見た後、正面の釜座通を歩きました。「釜座通(かまんざどおり)」は府庁の前の下立売通から三条通までの南北1.2㎞の通りです。通りの北西の端には「上京消防署」があります。

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この通りは平安京には存在せず、豊臣秀吉の都市改造(天正の地割)後に造られた道です。府庁の前は欅並木になっていて、その東側には京都第二赤十字病院の建物が並んでいます。

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病院の向かいには薬局が点在しています。

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並木道の東南の隅に「梅屋小学校の碑」があります。明治2年に上京第20番組小学校として小川通竹屋町に設立され、明治6年にこの地に移転、126年後の平成7年に御所南小学校に統合されました。番組小学校は市民たちの手によって作られた小学校です。

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明治2年に住民自治組織の「番組」を単位として64の小学校が設立されました。明治5年の国による学校制度(学制)の小学校に先立つ、日本で最初の学区制小学校でした。府庁の前の並木道は丸太町通で行き止まりになっていて、釜座通は少し東にずれています。

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釜座通の名は、平安時代から現在の三条釜座近辺に、釜師(茶釜や梵鐘などの鋳物職人)が住む「釜座」(かまんざ)が集まっていたことに由来します。釜座は特権的な権利を認められた釡師の組合です。丸太町通から南は道幅が狭くなります。

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新旧様々な建物が並んでいますが、かっての釜座通を思わせるような老舗もあります。「今井燃料」、炭を販売しています。

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「松前屋」 創業は南北朝時代の1392年、宮内庁御用達の高級昆布店です。明治初めに天皇家が東京に移ってから、一般に向けても販売するようになりました。創業時に天皇から「松前屋」の屋号と「文右衛門」の名を賜り、諸役御免除・名字帯刀を許されたそうです。 

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「こぬか薬師」は、山号を医徳山(いとくさん)、正式名称を薬師院という黄檗宗の寺院です。

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奈良時代の782年、最澄が延暦寺草創の祈願のため、7体の薬師如来像を自ら刻んだといわれます。その後、美濃国横倉に医徳堂が建てられ、このうちの1体の薬師如来が安置されたといいます。

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鎌倉時代の1230年、全国に疫病がはやり多数の犠牲者がでました。院主の夢に薬師如来が現れ、自らの前に来れば諸病を治すと告げ「来ぬか、来ぬか」と告げました。以後、寺に参詣者が押し寄せ、諸病が平癒し、薬師如来はこぬか薬師と呼ばれました。

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その後、美濃の大名・斎藤道三よりこぬか薬師のことを聞いた織田信長(1534-1582)は、天下統一のために入洛した際に、こぬか薬師を美濃から京都の現在地に移したといわれます。

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こぬか薬師は秘仏のようで、薬師如来の御前立が安置してあります。

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江戸時代中頃の1702年、黄檗宗の鉄面寂錬が再興し、中興の祖とされます。その当時は京都七薬師の一つに数えられました。幕末の1864年に蛤御門の変で全焼、明治の1889年、三井家や近衛家の支援により縮小して再興されました。

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戦後になって荒廃しましたが、2000年に庫裏が再建され、2012年、平安時代に始まったという京都十二薬師霊場めぐりが第9番札所として復活しました。こぬか薬師は京の通称寺霊場14番でもあります。

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二条通で少し東にずれます。

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「La Soie 釜座」 賃貸マンションです。

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「東三条院址」 平安時代に興隆を極めた藤原氏の邸宅が、このあたりを中心に、二条通、御池通、新町通、西洞院通に囲まれた広大な土地を占めていました。藤原良房以来、この場所は皇妃、母后となった藤原氏の女性が住む屋敷が建てられました。

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釜座通は商店街ではないので、お店や飲食店はあまりありません。「いま屋」はホステルで1階がカフェになっています。

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御池通に来ました。この通りには南北の各通りの名を示す綺麗な標識が建っています。

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街路樹がところどころ色づいていました。

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御池通をはさんで、釜座通は続いています。

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御池通を過ぎると釜座通は三条通で行き止まりになっていて、正面に「ストークビル三条烏丸」が見えます。右は「京都信用金庫三条支店」。

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釜座通三条に「大西清右衛門美術館」があります。釜座通で唯一、釡師が継がれている場所でもあります。大西家は、山城の国・南山城広瀬村の出身で、当初は広瀬姓を名乗っていました。 現在府下で唯一の村で、滋賀、三重、奈良の三県との境に位置しています。

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江戸時代初めの1620年頃、初代浄林が二人の弟達と京へ上洛し、三条釜座の座人になったのが大西家の始まりだそうです。代々隠居すると名を変え、現在は16代目の清右衛門が当主です。美術館は代々の清右衛門の茶の湯釜の銘品を展示するだけでなく、

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茶の湯釜に関する研究と発表の場としても利用され、他の作者の展示会も行われます。9月16日(土)-12月16日(土)の期間、秋季企画展 として「燈火に親しむ茶の湯釜」を開催しています。

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織田信長の楽市・楽座に続いて、豊臣秀吉は商業を活性化するため諸座を廃止しましたが、この三条釜座だけは存続を許されたそうです。

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コメント

少し色づき始めましたか。
見頃は中旬から下旬でしょうか。
楽しみですね。

投稿: munixyu | 2017年11月 3日 (金) 09:53

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