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2017年10月 3日 (火)

月読神社 壱岐の月神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

松尾大社を後に、山沿いの道を南にしばらく行くと「月読(つくよみ)神社」があります。松尾大社の摂社となったのは明治時代になってからで、創建は松尾大社よりも古く、独自の歴史をたどった神社です。

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月読尊(つきよみのみこと)は、『古事記』や『日本書紀』の神話で、天照大神の兄弟神で、夜を司る神として登場します。しかしながら、この神社の祭神はそれとは別の神と考えられています。

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『日本書紀』によれば、第23代顕宗(けんぞう)天皇3年に大陸への使者の阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に月神から神託がありました。(手前は拝殿)

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それは、「私は月神で、祖先は天地を熔造(ようぞう)した功績がある高皇産霊(たかみむすび)である。もし土地を用意して自分を奉(たてまつ)れば、福慶(ふくけい)があるだろう。」というものでした。

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事代は都に還り、このことを朝廷に奏上すると、月神の要求にしたがい山背国葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地が用意されました。 そして月神の末裔と称する壱岐の押見宿祢(おしみのすくね)が神社を造営し、祠官として奉仕しました。

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日本書紀に記されたこの神社が月読神社の始まりであると考えられています。押見宿祢の子孫は世襲祠官として永く神社に仕え、出身地の壱岐(伊岐)を氏の名としました。(本殿は流造です。)

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この伊岐氏は、後に壱岐国の県主(島造)となった氏族で、押見はその祖に当たる人物です。壱岐は地理的に大陸に近いので、壱岐氏は早くから中国の亀卜(きぼく)の術を我が国に伝え、神祇官として卜占(ぼくせん)に関与して卜部(うらべ)氏を名乗っていました。

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祭神の月読尊は、元来は天文・暦数・卜占・航海の神でした。時代とともに疱瘡の神として崇められることもあり、近世以降はむしろ農耕の神として地元農民の崇敬を受けて今日に至っています。

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壱岐島にはもともと「月読神社」があり、日本書紀の記述はその神を山城国に勧請したものと考えられています。壱岐氏が中央の祭祀に関わる時期を考慮すると、この月読神社の創建は6世紀中頃から後半と推測されています(顕宗天皇の在位年は不明ですが)。

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当初の鎮座地の歌荒樔田については、現在も月読の地名が残っている桂川左岸、あるいは、右岸の桂上野のあたりともいわれていますが確定していません。

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文徳天皇の斉衝3年(856)に現在地に移った理由は、度重なる桂川の氾濫を避けて安全地帯の松尾山麓を選んだからとされています。以後この地も、祠官の家名も松室(まつむろ)と呼ばれるようになりました。 「穢解(かいわい)の水 」、手水鉢です。

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延長5年(927)の『延喜式』では、名神大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で朝廷からの供物に預かったと記載されています。同じ神名帳で小川月神社(京都府亀岡市)の記載があり、大堰川流域における月神信仰が広がっていたことが指摘されています。「穢解の池」

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名神大社は明神(みょうじん)を祀る大社です。明神は特に霊験があらたかと認められる神の称号で、国家的事変の解決を祈願する臨時の祭が明神祭です。

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「御船社」は天鳥舟命(あまのとりふねのみこと)を祀り、松尾大社の末社でもあります。松尾大社神幸祭の際には、御船社で渡御の安全祈願祭が行われます。この神は天上界「高天原」と地上界とを丈夫な船で通ったとされ、航海や航空の守護神とされます。

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この葛野郡一帯は早くから、帰化族の秦氏の勢力圏で、当神社や松室氏も秦氏の庇護を受け親密な関係にあったようです。世襲祠官の松室氏は、秦氏が管理する松尾大社にも代々奉仕していました。「腰掛け陰陽石」

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中世には周辺に「禰宜田」と称する田畑のほか若干の社領がありましたが、松尾大社の勢力に押されたと見られています。これらの社領は織田信長の入京後も安堵されています。「聖徳太子社」は月読尊を崇敬した聖徳太子の霊を祀ったものといわれます。

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「月延石(つきのべいし)」は「安産石」とも呼ばれ、安産・子授かりの神として信仰されています。

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『雍州府志』に記載の伝説では、この石は元は筑紫にあり、神功皇后が応神天皇を産む際にこの石で腹を撫でて安産し、後の舒明天皇の時に月読神社に奉納されたといわれます。安産祈願の小石を月延石にお供えします。

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「むすびの木」、根本が一つになっています。

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江戸時代には、月読神社は完全に松尾大社に従属化していて、社領として松尾神社神供料1,000余石のうちから月読禰宜分100石1斗、月読祝分16石が配分される立場でした。

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明治維新後の明治10年(1877)に月読神社は公式に松尾大社の摂社となり、現在に至ります。

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安産祈願で参拝できない方は「郵送」での「祈祷」も受けられるそうです。必要事項を記入した申込書と祈祷料を「現金書留」で送ると、「戌の日」に祈祷をした後、撤下品として「安産守・お洗米・岩田帯・安産梅」が送られてきます。祈願石は神社がお供えするそうです。

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神社の前は「月読公園」で子どもたちが遊んでいました。

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コメント

石を供えるのですね。
面白いですね。
薄紅葉、いい色になってきましたね。
大紅葉、楽しみにしています。

投稿: munixyu | 2017年10月 3日 (火) 10:52

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