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2017年10月10日 (火)

大将軍神社(東山三条) 2017

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日西賀茂の大将軍神社を記事にしましたが、今日は東山三条(東大路通三条)にある大将軍神社です。東山三条の交差点から、西に2筋目の南に正面の鳥居があります。

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延暦13年(794)の平安京遷都の際、桓武天皇は大内裏鎮護のために都の四方に「大将軍」を祭神とする大将軍神社を置き、この神社は東の方角を守っています。

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特にこの地は、平安京に入る七口の一つ、三条口の要地に当るため、邪霊の侵入を防ぐのに重要視されてきたといわれます。

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ちなみに、西の守護神は大将軍八神社、南は藤森神社(境内大将軍社)、北は西賀茂の大将軍神社とされます。ただし、それぞれに異説があり、東は八坂神社の大将軍社という説もあります。下は境内の西にある「荒熊稲荷社」

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社殿はたびたびの戦火によって廃絶し、江戸時代の文政12年(1829)朝議大夫(ちょうぎたいふ)陸奥守千葉正胤(ちばまさたね)がこの地に再興しました。下は祭器庫とその右に神馬舎。5月15日に大祭が行われます。

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ところで、「大将軍」は中国からもたらされた陰陽道の方位の神で、疫病神として知られる牛頭天王(ごずてんのう)の息子とされます。(可愛い神馬像が祀られていました。)

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大将軍は金星に関連する星神で、金気(ごんき)は刃物に通じ、暦や方位の面で恐れられた荒ぶる神です。3年ごとに居を変え、その方角は万事に凶とされ、特に土を動かすことが良くないと考えられてきました。本殿

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すなわち、凶をもたらすとして恐れられた方位神をもって、邪気が都に入り込むのを防ごうとしたのです。同じように、祇園社(現八坂神社)は疫病などの災厄を防ぐために、それらをもたらすとして恐れられた牛頭天王を祀っていました。、

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時代とともに、仏教の神の牛頭天王は日本神話の素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一視され、神仏習合が行われるようになりました。しかしながら明治政府の神仏分離令によって、全国の牛頭天王を祀っていた神社は、祭神を素戔嗚尊としました。

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一方、牛頭天王の子供の八将神(大将軍はその一神)は、素戔嗚尊の子供の8神と同一視されることもありましたが、大将軍は素戔嗚尊自身であるともみなされてもきました。

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現在の本殿には、祭神として素盞嗚尊を祀り、相殿には関白・藤原兼家を祀っています。藤原兼家を祀っている理由は、かってこの地に屋敷があったからです。

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本殿の右奥にある「隼社」

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平安時代中期、釜座(かまんざ)三条あたりに藤原兼家・道長の大邸宅があり、東三條殿(ひがしさんじょうでん)と呼ばれていました。このあたり一帯が「東三条」とも呼ばれるのはその名残りだそうです。(絵馬舎)

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藤原兼家(929-990)は989年に太政大臣、990年に関白になり。藤原氏の摂関政治の基礎を築き、その子の道長のときに藤原氏の全盛期を迎えます。(東の鳥居)

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関白太政大臣・藤原道長(996-1027)は、父兼家の神像画を合祀して東三條殿の鎮守としました。現在その鎮守社の跡に「天満宮」が建てられていて、「東三條社」の社標石が残されています。

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東三條殿は1156年の保元の乱、応仁の乱(1467-1477)で火災に遭い失われました。

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天満宮の右隣には「白龍弁財天」が祀られています。白龍は弁財天の化身で、人間を改心に導き、自然界の神と崇められたといわれています。

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かつてこのあたり一帯は「鵺(ぬえ)の森」とよばれ、本殿の左にその名残とされる樹齢800年といわれる銀杏があります。(社務所)

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平安時代末、近衛天皇は、毎夜清涼殿に現れ不気味な鳴き声を上げるもののけに怯え、病いになってしまいました。武勇の誉れが高かった源頼政(1104-1180)がもののけ退治に選ばれます。

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夜を待って鵺の森に出かけると、夜更けになって月夜を黒雲が覆い、その中から頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇という「鵺」と呼ばれる怪物が現れました。頼政は南無八幡大菩薩と祈り鵺を射落とし、家来の猪早太(いのはやた)が太刀でとどめを刺しました。

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「獅子王(ししおう)」という号がある平安期の太刀が現存し、鵺退治の功により朝廷より頼政に下賜されたものとの伝承があります。『平家物語』には、太刀を授ける左大臣と賴政の間で交わされた連歌が記されています。

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「ほととぎす名をも雲井にあぐるかな」、「弓はり月のいるにまかせて」 「空高く鳴き声を立てるほととぎのように、 そなたも宮中に武名をあげたことよ」と褒めると、「三日月のように弓を張って射ただけです」と謙遜したそうです。

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コメント

狛犬は秋になると表情が変わりますよね。
不思議です。

投稿: munixyu | 2017年10月10日 (火) 09:56

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