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2017年9月19日 (火)

寂光寺 囲碁本因坊の寺

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東大路から仁王門通を西に入ったところに寂光寺があります。「寂光寺(じゃっこうじ)」は、山号を妙泉山という顕本法華宗の本山です。上の写真では右に「碁道名人第一世本因坊算砂之旧跡」の石標があります。

下の写真では、山門の左に「碁道 本因坊 元祖之道場」の看板がかかっています。

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安土桃山時代の1578年、妙満寺26世・久遠院日淵(にちえん、1529-1609)が室町近衛に久遠院(くおんいん)を創建したのが始まりです。

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翌1579年、日淵は浄土宗との安土宗論に敗れ、寺を弟子の日海(にっかい、1559-1623)に譲りました。以後は弟子の教育に力を注ぎ、日海は名僧として法華宗の発展に大きく寄与することとなります。(鐘楼と梵鐘の由来は分かりません。)

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安土宗論とは、1579年織田信長の命により、安土城下の浄厳院で行われた浄土宗と法華宗の各3名の僧による宗論です。法華宗は信長の意図的な介入によって敗れたとされ、処罰者を出し、以後他宗への法論を行わないことを誓わされました。(本堂)

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1590年豊臣秀吉の命により久遠院は京極二条に移転、翌年(松ヶ崎で衰微した)妙泉寺を寺内に移転合併し、寂光寺と改称しました。(本堂の前に仏足石)

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寂光寺2世となった日海は京都の舞楽宗家・加納與助の子として生まれ、8歳で叔父・日淵に師事して出家しました。囲碁を堺の仙也(せんや)という老人に習い、敵手がいない程強くなり、1578年織田信長に「名人」と称されました。

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1588年には豊臣秀吉が主催した全国大会で勝ち抜き20石20人扶持を与えられました。1592年後陽成天皇より権大僧都の位を授けられ昇殿を許されました。本堂には本尊・本門寿量(ほんもんじゅりょう)十界大曼荼羅を安置しています。

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1603年徳川家康が幕府を開くと、江戸に招かれました。将棋も強く、囲碁と将棋の総元締めの碁所・将棋所に任じられたました。後に将棋所は知友の大橋宗桂に譲ったとされます。(書院)

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江戸で囲碁の家元の始祖となり、本因坊算砂(さんしゃ)を名乗りました。「本因坊」は寂光寺の塔頭の名で、日海の京都の住まいでした。また、1611年に僧侶としての最高の「法印」の位を授かりました。1623年算砂は江戸で死去しました。

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辞世の歌は「碁なりせば 劫(コウ)なと打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」。劫とは交互に相手の石が取れる局面(規則で続けて石を取り返すことはできませんが)。石が半分死んだ(取られた)状態ですが、形勢を逆転するチャンスでもあります。

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かって日海(算砂)が住まいした本因坊があった場所(京極二条、現在の寺町竹屋町)に「本因坊 発祥の地」の看板と石の碁盤があります。

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行願寺(革堂)の向かいにあります。

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本因坊家3世までは江戸と京都の寂光寺を往復していましたが、4世・道策から江戸に移りました。算砂の弟子から井上家、安井家、林家が出て四家による家元制度が確立、本因坊家は常にその筆頭でした。境内の南に「本因坊歴代墓所」があります。

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初代・算砂、2世・算悦(さんえつ、1611-1658)、3世・道悦(どうえつ、1636-1727)、4世・道策(どうさく、1645-1702)、5世・道知(どうち、1690-1727)の供養塔があります。

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本因坊家からは、道策を始め、現在の棋士もその棋譜を研究するような卓越した名人を輩出しています。

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寂光寺は、1708年の宝永の大火により焼失してしまいました。その後、幕府に替地として現在地を与えられ移転して再興、現在に至ります。U井戸のポンプが花で覆われていました。)

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昭和13年(1938)21世秀哉が引退した際、本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、囲碁は家元制から実力制に移行しました。 そして、昭和16年(1941)第一期本因坊戦が開催され、本因坊はタイトルの名称となりました。

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現在日本の囲碁界には7つの主要なタイトルがありますが、本因坊は最も権威があるとされます。最近将棋界が話題になっていますが、関西の大山裕太がここ数年七大タイトルをほとんど独占して、数々の最年少記録を更新中だそうです。

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山門の内側に「第一世本因坊報恩塔」があり、日本棋院が建てたもののようです。

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コメント

さらに澄んでいく写真。
だんじりも終わり、どんどん秋が深まっていきますよね。

投稿: munixyu | 2017年9月19日 (火) 14:10

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