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2017年9月 6日 (水)

涌泉寺 その歴史と送り火

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の松ヶ崎大黒天(妙円寺)を出て、少し西に行くと涌泉寺に向かう道があります。左はこの寺の歴史と関係がある松ヶ崎小学校です。

「涌泉寺」は大正7年(1918)、松ヶ崎集落にあった妙泉寺と本涌寺が合併して、両者の寺名をとって名づけられた日蓮宗の寺院です。かっての妙泉寺は松ヶ崎小学校の場所にありました。

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坂道の途中の石碑には「眼病救護七面大天女道」とあります。ここは、松ヶ崎小学校の裏山(松ヶ崎林山)で、七面宮が祀られています。ここも旧妙泉寺の境内でした。

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平安時代中頃の正暦3年(992)公家の中納言・源保光は円明寺(松ヶ崎寺)を建立、その後歓喜寺と改称されました。2004年には松ヶ崎小学校の敷地で発掘調査が行われ、松ヶ崎寺の建物や庭園の遺構が発見されました。

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歓喜寺は比叡山(天台宗)の末寺でしたが、鎌倉時代後期の徳治2年(1307)住職の実眼が日蓮宗に改宗し妙泉寺と改称しました。これには逸話があります。実眼は、夢に現れた狐から都に行って日輪の像を拝むようにいわれました。

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実眼は京の町に出かけ、辻説法をしていた僧に出会います。僧の名は「日像」だったことから、狐のお告げはこのことに違いないと、僧の話を熱心に聞きました。やがて心服した実眼は日蓮宗に改宗したといわれています。(「日輪の滝」)

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実眼は村民に布教しましたが、宗旨替えは容易ではありませんでした。そこで日像上人に講話をしてもらうと、村民全員が日蓮宗に改宗を決意したといわれています。その後、比叡山の焼き討ちで村が全焼しましたが、村民の結束は固く信仰が続けられました。

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七面宮の拝殿と本殿があります。時代は安土桃山時代に下り、天正4年(1576)日諦僧正が、この地で「日輪の滝」、「月輪の滝」を見て、七面大明神(七面大天女)を勧請したと伝えられています。

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こちらが「月輪の滝」ですが、地下鉄工事の影響で水が枯れて、ほとんど水が流れていません。かっては滝つぼに「至宝池」があったそうです。

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ここに祀られている七面(大)天女が、法華経の守護神とされるようになった逸話は、先日の宝塔寺の記事で紹介しました。灯籠には松崎山、妙泉寺と刻まれています。

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こちらのご神体は眼病に霊験があるとされてきましたが、10月19日の「しちめんさんのおんまつり」、12月19日の「お火焚祭り」以外は涌泉寺本堂に安置されているそうです。

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「松ヶ崎檀林」は、天正2年(1574)教蔵院日生上人が当地で講座を開いたことにはじまります。檀林とは、日蓮宗教団が宗内僧侶の養成のために設けた学問所のことです。

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日生上人は当時の日蓮教団きっての博学で、各地の檀林で講義をして天正8年(1580)再びこの松ヶ崎に帰ってきました。その後立本寺や岡山蓮昌寺の住持となりましたが、晩年三たび松ヶ崎檀林に帰って、文禄4年(1595)この地で亡くなりました。

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上の写真は山門前の斜面にある「生師廟(しょうしびょう)」 日生上人の廟で地元では「教蔵院さん」とよんでいるそうです。下は涌泉寺の山門

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松ヶ崎壇林は、明治初年にいたるまで全国から能化(教官)や所化(学生)がこの地に集まり、近世の日蓮宗教学のメッカとして栄えました。

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明治5年(1872)の学制発布により、明治9年(1876)に松ヶ崎檀林は廃檀、その後本涌寺と改称されました。

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同年、松ヶ崎小学校の設置のため寺域を割譲しました。境内の下は、松ヶ崎小学校の運動場となっています。

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大正7年(1918)松ヶ崎小学校の拡張のため、妙泉寺は立ち退き、この地で本涌寺と合併して涌泉寺と改称しました。

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「鐘楼」と「水場」


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松ヶ崎壇林の伝統は、尼僧の学校「日蓮宗尼宗学林」として現在に引き継がれています。山門を入って右の坂道を下っても行けます。

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松ヶ崎檀林の講堂・学室・食堂などの建物が完備されたのは江戸時代前期のころで、記録によれば、当時東福門院女院御所の建造の残木を賜り、諸堂が整備されたといいます。「庫裏」には庭園があるそうですが入ったことはありません。

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二つの寺の唯一の現存する建物が本堂で、本堂前の広場は「松ヶ崎保育園」の運動場(遊び場?)となっています。まだ保育時間内だったので遠慮して、お墓(東墓地)に上りました。

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この墓地には歴代住持の墓があり、市内の見晴らしがよい場所があります。大文字は、妙円寺で見たよりも少し見やすくなっています。

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京都タワーははっきり見えますが、その後ろの伏見方面の山がかすんでいます。もっと空気が澄んでいたら、大阪のビル街が見える場所です。

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そうこうしていると、お母さんたちが迎えにくる時間になりました。

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本堂は往時の松ヶ崎檀林の講堂でした。この建物は、江戸時代前期の承応3年(1654)に建設され、禅宗本堂と同じ六つの間取りで、日蓮宗檀林では唯一のものだそうです。右に菩提樹があります。

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ところで、日像上人によって松ヶ崎の村民が法華信者となったとき、喜んだ実眼が題目を唱えると、村人達が踊りながらそれに和したそうです。これが、これが日本最古の盆踊りといわれる「題目踊り」(京都市登録無形民族文化財)の始まりといわれます。

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また、日像上人も喜んで、松ヶ崎西山の南面に踊りながら杖で「妙」の字を書いたそうです。村民たちは周りの木を伐り、松明を灯したのが送り火の「妙」の始まりといわれています。

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現在では、財団法人立正会(涌泉寺・妙円寺の檀家で構成)が中心となって、8月15、16日に本堂前で題目踊りを行い、16日に「妙法」に点火します。題目踊りの後に一般の方も参加できる「さし踊り「」が行われます。

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コメント

秋の静けさが一段と深まってきましたよね。
もうすぐ秋の味覚が出てきそうな、
そんないい秋の日を感じます。

投稿: munixyu | 2017年9月 6日 (水) 11:19

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