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2017年9月 8日 (金)

八坂庚申堂 くくり猿と浄蔵貴所

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

久しぶりに八坂庚申堂を訪れました。山門の工事が終わって、鮮やかな色に塗り替えられてからは初めてです。この日は下河原通を通って八坂通に向かいました。

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「八坂庚申堂」は、山号を大黒山、院号を延命院(えんみょういん)、正式名称を金剛寺という天台宗の寺院で、日本三庚申の一つとされます。庚申堂の前まで来ると、大変な混雑でした。

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八坂通は東大路から庚申堂、八坂の塔を通って清水寺に至る道ですが、夢見坂ともよばれます。聖徳太子が夢のお告げによって法観寺(八坂の塔)を建立したことにちなんで名づけられました。

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八坂庚申堂の本尊「青面(しょうめん)金剛」は飛鳥時代に中国大陸より渡来して帰化した秦河勝が持参した仏像で、秦氏の守り本尊でした。山門の上の猿は青面金剛の使いで、「不見(みざる)」「不言(いわざる)」「不聞(きかざる)」を表しています。

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秦河勝は聖徳太子に仕え、太秦に広隆寺を建立したことでも知られています。

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平安時代になると秦氏は松尾大社や伏見稲荷大社を創建し、桂川中流や鴨川下流を開墾して平安京の発展に寄与しました。一方で、日本に溶け込んで様々な家系に分かれ、全国に広がっていきました。

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そのような状況の中で、法観寺の住職だった浄蔵貴所(じょうぞうきしょ、887-946)により金剛寺が建立され、秦氏がもたらした青面金剛を祀りました。正面に「賓頭盧尊者(びんづるそんじ)」の木像が祀られています。

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賓頭盧尊者は、お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人で、神通力第一とされました。しかし、神通力を無駄に使ったとして釈迦に叱責され、人々に直接接して救済するように命じられました。体が悪いときはその部分を、縁結びには手をなでて拝むと願いがかなうとか。

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祠の周囲には奉納された「くくり猿」がつるされています。この寺に三猿やくくり猿がまつられているのは、渡来した秦氏が信仰していた「庚申信仰」によるものです。

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庚申は干支の「かのえ」と「さる」を表します。60日に一度の庚申の日の夜に眠ると、三尸(さんし)の虫が体から抜け出し、天帝にその宿主の罪悪を告げて、寿命を縮めるとのいい伝えがありました。

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そこで、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が始まり、一人で徹夜することは難しいので庚申待(こうしんまち)という行事が行われるようになりました。そのような信仰は、平安時代に貴族の間で始まり、江戸時代に入って民間にも広まりました。

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青面金剛は、釈迦、阿弥陀、薬師の相談によって夜叉となってこの世に現れ、三尸の虫を喰うとされます。そこで、青面金剛を「庚申さん」とよんで、本尊として拝むようになったのです。

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その庚申さんの使いが三体の猿です。自ら悪事を見聞きせず、話さない猿は、天帝に宿主の悪事を監視・報告する三尸の虫を封じるとされます。香炉の前には「不言」。

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くくり猿は、中の白い部分が頭で、外側の手足が一つにくくられています。庚申さんによって人間の欲望が動かないようにくくられています。

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また、天帝が遣わした鬼は猿が苦手である、あるいは、鬼の災いを避けるために身代わりになるともいわれています。

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ところで、八坂庚申堂を創建した浄蔵貴所は、博学で大変な霊力をもつ僧/祈祷師だったといわれています。諌議太夫殿中監、文章博士を務めた三善清行の第8子で、母は嵯峨天皇の孫でした。

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4歳で千字文を読み、7歳で出家を望み、12歳で比叡山に登り受戒、密教 顕密、悉曇、天文、医法、弦歌、文章、技芸などにも通じたといいます。各所で呪力を発揮し、予言と奇跡を起こしたので、天皇から庶民にいたるまで、神人、生き仏として尊んだといわれました。

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909年には、菅原道真の霊のおかげで病の床に伏せてしまった藤原時平が、浄蔵に祈祷を頼みました。浄蔵が祈祷すると、時平の両方の耳から青龍が頭を出し、無実の罪に陥し入れた者を懲らしめようとしたが、貴方の法力で抑えられてしまった。

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願わくば、時平を懲らしめるために協力してくれと言います。同意した浄蔵が屋敷を立ちさると、時平はたちまち死んでしまったといいます。

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父の三善清行が亡くなったときは、紀州・熊野から急遽戻り一条戻橋で死後5日たった父を一時蘇生させたといわれています。戻橋の名もこの逸話からとされます。青面(しょうめん)金剛童子の石碑。

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956年八坂の塔が西に傾いた際には、人々はその方向に凶事があると噂しました。天皇の勅命を受けた浄蔵貴所でしたが、すでに妻帯の身なので霊力があるか確かめるとして大勢の前で鴨川の水を止めたといいます。

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八坂の塔に祈念する日は町中の人に知れ渡り、大勢の見物人が詰めかけました。その前で浄蔵貴所が塔に向かって祈ると、西の方から微風が吹き、塔は揺れて震動、吊された宝鈴が鳴り、たちまち傾いた塔は元に戻ったといわれています。

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江戸時代には庶民の間に流行した庚申信仰でしたが、明治から大正にかけて急激に衰退しました。それでも、八坂庚申堂を中心とした地域で信仰は続いています。

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現在「八坂の塔下商店街」では、街のシンボルとして奥様方が手作りのくくり猿を各家に配っています。五匹の猿がくくられているのは、上から父母と子供たちを表しているそうです。

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コメント

くくり猿がたくさん。
カラフルでいいですね。
1つ持って帰って飾りたいぐらいですよね。

投稿: munixyu | 2017年9月 8日 (金) 12:42

★munixyuさん こんばんは♪
くくり猿がびっしりつるされている風景は珍しいようで、ほとんどの観光客が一緒に写真を撮っていました。

投稿: りせ | 2017年9月12日 (火) 00:41

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