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2017年9月11日 (月)

西方寺 西賀茂の古刹と船形

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の(西賀茂)大将軍神社を出て、山の方に向かって歩いて数分のところに西方寺があります。「西方寺」は山号を来迎山という浄土宗の寺です。

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その創建は古く、平安時代の承和年間(834-848)に第3代天台座主・慈覚大師円仁(794 -864)が建立したといわれています。当初は天台宗山門派に属していました。(山門から本堂、玄関、庫裏へそれぞれ石畳が続いています。)

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鎌倉時代の正和年間(1312-1316)に干菜寺(ほしなでら)の道空(?-1315)が中興し、その際に浄土宗に改められ、以後六斎念仏弘通の寺として知られるようになりました。弘通(ぐつう)とは、仏教や経典などを広めることです。

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干菜寺は正式名称を光福寺といい、出町柳の東にある六歳念仏総本山です。(玄関)

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本堂

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本堂には、本尊として阿弥陀如来を祀っています。

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寺紋は菊と葉?

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「本尊美君碑」 リチャード・ポンソンビー・フェーン(1878-1937)はイギリス人の日本学者です。香港総督の秘書になり、昭和天皇が皇太子時代に渡欧の途中で香港に立ち寄った際には通訳を勤めました。(山門を入った左にあります。)

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1919年に来日して成蹊学園で教鞭をとり、1924年から京都府立第一中学で英語を教える傍ら、神道・神社の研究をしました。上賀茂神社の社家町に和風の家を建て、服装・食事などすべてを和風で通し、みずから「本尊美利茶道」と名乗りました。

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「故蓮月尼紀念碑」 一昨日の記事で紹介したように、幕末から明治にかけて活躍した歌人・陶芸家の大田垣蓮月は、出家して晩年を近くの神光院の蓮月庵で過ごしました。西方寺とも縁があったようで、墓はこの寺の西の小谷墓地にあります。

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小谷墓地には、上賀茂神社の賀茂県主累代、「鉄道唱歌」の作曲者・多梅雄、美食家・陶芸家の北大路魯山人などの墓もあります。境内の西に、石碑や石仏が並んでいます。

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西方寺では、毎年8月16日夜、船形万燈籠(京都市登録無形民俗文化財)が点火されまする。五山送り火の「船形」として知られています。

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西方寺を開いた慈覚大師円仁が、847年唐に留学への帰路暴風雨に合い、南無阿弥陀仏と名号を紙(船板という説も)に書いて、海中に投げて「四海泰平」と祈念すると、たちまち雨風が静まって無事帰国することができたといいます。

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この故事にちなんで、本尊に船形光背を持つ阿弥陀如来を迎え、裏山にその光背になぞらえた船を形どって万燈籠送り火をはじめたと伝えられています。

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8月16日朝早くから、山の麓の3町、55軒の旧家から年寄・中老・若中ら約50人が西方寺に集り、割木などが山上に運ばれ点火準備が行われます。

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やがて鐘を合図に火床に点火されます。古くは「鐘打山」から鐘が打たれたと伝わっていますが、現在ではその所在地が不明で、西方寺の北で鐘が打たれています。送り火終了後、西方寺において住職の読経と六斎念仏が行われます。

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この六斎念仏は、鉦や太鼓を使って念仏を唱える極めて古風なもので、六斎念仏の古い形態を今に伝えているそうです。

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コメント

石碑や石仏は、
秋によく映えますよね。

投稿: munixyu | 2017年9月11日 (月) 15:13

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