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2017年9月10日 (日)

大将軍神社 西賀茂の氏神と王城鎮護

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の神光院から歩いて数分のところに大将軍神社があります。大通りの交差点の角に大将軍社の石柱と説明版がありますが、神社の正面は反対側です。

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「大将軍神社」の詳しい創建や変遷の歴史は不明です。社伝によると推古天皇の時代の609年、瓦屋寺の鎮守として創建されたといいます。瓦屋寺は昨日の記事の神光院の前身とされる寺で、このあたりの瓦職人の宿坊になっていたといわれます。

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平安京遷都(794年)の際に、王城鎮護のために、都の四方にそれぞれ大将軍が祀られました。大将軍は、古代中国からもたらされ、陰陽道では方角を司る武神とされ、当社は北を守る大将軍社とみられています。(こちらが正面の鳥居です。)

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ちなみに他の方角は、東は大将軍神社(東山三条)、西は大将軍八神社、南は大将軍社(伏見にある藤森神社の境内摂社)といわれています。北については、今宮神社境内にある大将軍社(江戸時代以前は大徳寺門前)を守護神とする説もあります。

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現存する四方の大将軍社はいずれも正確には都の東西南北にはなく、既存の神社に大将軍を祀ったと考えられています。(左の玉垣の中は古い鳥居の根本でした。)

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鎌倉時代中期、この地(瓦屋)には二位禅尼によって建立(もしくは整備)された「正受寺」があり、当社はその鎮守となったといわれます。二位禅尼は賀茂社祠総官・森経久の娘で、宮中に上がり「備后」の位を授かり、後に退き剃髪して尼僧となりました。(手水舎)

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江戸時代前期の寛文年間(1661-1672)、正受寺は正伝寺境内に移転し、大将軍神社は正伝寺と関わりを持つことになりました。(授与所)

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一方で、創建当初から賀茂社(上賀茂神社)との関係があり、特に江戸時代に入ると密接な関係をうかがわせる記録が現れます。

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「小島家文書」によると、江戸時代初期の1628年、上賀茂神社の片岡社本殿が移され、当社の本殿になりました。以下の記録も同じ文書によります。拝殿

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小島家は西賀茂田尻町の庄屋で、検地帳、宗門人別改帳などの村の基本台帳をはじめとして、年貢や田畑山林の記録など、江戸時代の西賀茂の様子を知る貴重な資料が数多く伝えられています。(本殿の左手には末社が並んでいます。)

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かつてこの地にあった瓦窯から発見された石だそうです。

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享保年間(1716-1736)には貴船神社より打覆、上賀茂神社より鳥居木を譲られ、安永年間(1772-1781)には片岡社の古殿、打覆を譲られました。打覆は屋根で、貴船神社は明治以前は上賀茂神社の摂社でした。(こちらは西の鳥居)

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左から、山王神社、春日神社、八幡神社、松尾神社、愛宕神社が祀られています。これらは、庶民の間で信仰されてきた神々を祀っており、地域の住民が常に参拝できるように勧請したものと思われます。

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本殿には主祭神として磐長姫命(いわながひめのみこと)、ほかにその家族4神が祀られています。磐長姫命は神話に登場する女神で、寿命を司り不老長寿・延命長寿のご利益があるとされます。家族4神の名は不明だそうです。

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磐長姫命の妹の木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)は絶世の美女といわれていました。妹に一目惚れした邇邇芸命(ににぎのみこと)に、父の大山祇神(おおやまつみのかみ)は、姉の磐長姫命も一緒に貢ぎました。姉の行く末を心配した親心だったのでしょう。

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ところが、邇邇芸命は磐長姫命の岩のような顔があまりに醜かったので返してしまいました。大山祇神は「磐長姫命とも結婚していれば邇邇芸命の寿命は岩のように長く続くはずだったのに、彼らの子孫の命は限りあるものになるだろう」と述べたといいます。

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邇邇芸命と木花開耶姫命との間に子が生まれ、この夫婦神の子孫が天皇家となりました(孫が神武天皇)。邇邇芸命が磐長姫命を返してしまったことから、天皇と人の寿命が長くなくなったと、神話では伝えられています。

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覆屋の中にある本殿は、先ほど述べたようにかって賀茂社の摂社の社殿でした。一間社流造で、賀茂社最古の建物とされて。同じく片岡社の刻銘のある鉄燈籠とともに、昭和60年(1985)に京都市指定有形文化財に登録されています。

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本殿の右手にも末社が並んでいます。手前は角社(すみのやしろ)で、方違(かたたがえ)の神が鎮座していて、須美社(すみのやしろ)とも記されました。

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「すみ」の名は、上賀茂神社の祭神の祖父神・賀茂建津身命(かもたけずみのみこと、賀茂氏の祖神)から、あるいは都の北西の隅だったことからという説があります。現在では、大将軍と同一視される素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祭神とされています。

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残りは、左から片岡神社、貴船神社、稲荷神社です。片岡神社は上賀茂神社の片岡社を勧請したと考えられます。片岡社は上賀茂神社の楼門の前にあり一番の社格で、祭神は祭祀を司る巫女の玉衣日姫(上賀茂神社の祭神の母神)で、良縁祈願の神です。

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昭和60年(1985)、「境内に鎮座する建築物と、それを取り囲む樹木とが一体となって、鎮守の森としての境内景観を留めている」として、境内全域が京都市の「大将軍神社文化財環境保全地区」に指定されました。

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コメント

銀閣寺ほどではないけど、
大きな砂山。
上手く作ってありますよね。

投稿: munixyu | 2017年9月10日 (日) 09:51

★munixyuさん こんばんは♪
上賀茂神社と関係が深かったようで、立砂の形がよく似ています。

投稿: りせ | 2017年9月12日 (火) 01:07

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