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2017年9月 9日 (土)

神光院 弘法大師と蓮月

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

10年ぶりに西賀茂の神光院に行ってきました。五山送り火の「船形」の麓にある古刹です。

「神光院(じんこういん)」は、山号を放光山(ほうこうざん)という真言宗の単立寺院で、「西賀茂の弘法さん」、「上の弘法さん」、「厄除けお大師さん」などともいわれます。山門までの参道は桜並木になります。

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飛鳥時代の推古天皇(在位593-628)の代、上賀茂神社の社地だったこのあたりに瓦屋寺が建立されたといわれます。近くには西賀茂瓦窯があり、寺は御所に奉納する瓦職人の宿坊になっていました。(山門を入った右手の池の中には鎮守社。)

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平安時代初めの811年、42歳の空海がこの瓦屋寺で90日間厄除け修業を行いました。寺を去る時、愛染明王像、および、上賀茂神社の懇望により自像を刻み安置したといわれています。(池の周りは秋の気配を感じます。)

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鎌倉時代前期の1217年、上賀茂神社の神主・松下能久(よしひさ)が神託を受け、この地に堂宇を建てたのが、神光院の始まりとされます。寺号は「神の光が照らした地」にちなみ、開山には大和三輪の慶円(1140-1223)を招いたといいます。(庫裏の玄関)

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能久の子の氏久のとき、醍醐寺塔頭・金剛王院の覚済を院主に招き、以後醍醐寺の末寺になりました。

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境内の西にはもう一つの池があり、その畔の灯籠(上)には「弘法大師御前」と刻んでいます。

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池の向うに本堂があります。本尊の「弘法大師像」は、42歳の空海が刻んだものとされ、「厄除(やくよけ)大師」の名で知られています。東寺と仁和寺と並んで「京都三弘法」のひとつとして、21日の空海の縁日には多くの参詣者が集います。

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本堂には、他に「薬師如来立像」、「愛染明王坐像」、「不動明王」、「十一面観音立像」などを安置しています。厄除け、眼病封じのご利益があるとされています。

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本堂の裏に「中興堂」があり、本堂と回廊でつながっています。

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本堂の横に「きゅうり塚」があります。「きゅうり封じ」(土用丑の日)は、空海がきゅうりに病魔を封じ込め、五智不動尊に病魔平癒を祈願したことに始まります。当日きゅうりに氏名等を書いて祈祷を受け、身体の悪いところを撫でて庭などに埋めます。

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きゅうりが腐って大地に溶け込むと病が平癒するとされます。この塚は人から病魔を取り除き、自らは朽ちてゆくきゅうりを供養します。隣には弘法大師像があります。

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江戸時代の天保年間(1830-1843)の火災により神光院は焼失しました。(境内の南西の小高くなった場所には役行者像があり、大峰山先達が奉納した石碑が並んでいます。)

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明治初年(1868)の神仏分離令後の廃仏毀釈の際、上賀茂神社神宮寺の本尊を当院に遷したといわれています。(山門の左に手水舎があります。)

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その後の1871年には、廃寺になったといわれています。1878年に真言宗の僧・和田智満(月心)が、かっての神光寺という寺号で再興しました。「蓮月尼舊栖之茶所」の石碑があります。

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幕末の1866年、歌人・陶芸家の大田垣蓮月尼(1791-1875)が当院に移り住みました。蓮月は京都の遊郭三本木(河原町通丸太町東入ル)で生まれましたが、生後すぐに知恩院の寺侍大田垣家に養女に出されました。(蓮月が住んだ「蓮月庵」が残っています。)

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最初の結婚で生まれた1男2女は生後すぐに死亡し、夫とも離縁しました。2度目の結婚も夫を病気で失い、33歳のときに養父とともに出家、知恩院内の真葛庵に移りました。(蓮月庵の土間には大聖不動明王を祀っています。)

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不幸はさらに続き、42歳のときまでに残った1男1女と養父を亡くし、岡崎村に移りました。その後も北白川、聖護院などを転々として転居は30回以上といいます。美貌のため言い寄る男から、あるいは勤皇志士と交流があり幕吏から逃れるためといわれました。

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40歳を過ぎた頃から、自作の歌を陶器に刻んで焼いた「蓮月焼」が流行して、それなりの収入があり、飢饉に際しては募金し、丸太町橋を寄進したりしました。

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76歳からこの蓮月庵に移り住み、85歳で亡くなるまでの10年間を隠棲しました。辞世「ねがわくはのちの蓮の花の上にくもらぬ月をみるよしもがな」。墓は近くの西賀茂小谷墓地にあります。

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蓮月庵の横に富岡鉄斎が選んだ歌碑があります。 「ただならぬ枕の草に虫鳴ひて秋あはれなるわが庵かな」、「暮れぬとて帰る家路もそこはかと夏草しげし西賀茂の里」、時世の歌もあります。

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平成24年(2012)に「京の三弘法まいり」が復活しました。江戸時代中期から、京都では、四国八十八ヵ所巡礼の出発前に無事を祈って三弘法にお参りし、帰ったらお礼参りする習わしがありました。

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コメント

きゅうり塚?面白いよね。
京都は不思議な文化があって楽しいですよね。

投稿: munixyu | 2017年9月 9日 (土) 11:15

10年ぶりでしたか!オレはここ2~3年でなぜか3度も訪れてますwここのすぐ北のチーズケーキ屋さんが人気だとかで、友人を案内したり。。。
蓮月さんの話はいつも心を動かされます。幸せに見放されたような人生でも強く生きている姿が勇気を与えてもらえる気分なんです。自分用の棺桶を米櫃代わりにして、村人が亡くなると無償で与えていた話はいまでもジーンと来ます。西賀茂では英雄ですよね!
鎮守社の池は草ぼうぼうですが、蓮がありますよね。。。泥の中から生まれても月に輝く綺麗な花をつけるのを蓮月さんも見て、自分の人生を思っていたのかなぁ~

投稿: ばるさろ | 2017年9月10日 (日) 21:20

こんばんは。
蓮月尼の生涯は波乱万丈だったのですね。
醍醐寺の南門の真ん前に趣きのある茅葺屋根の美しい屋敷があり
「太田垣蓮月仮寓跡」の石碑が建っています。
蓮月が2年半ほど過ごしたとされる下村家だそうで
建物が史跡として保存されているだけかと思っていたら
実際に普通の住宅として住まわれていました。
もう少し秋が進むと 石碑が建つ白い塀の前は
秋明菊と 杜鵑の花が一面に咲き 風情があります。

投稿: カワセミ | 2017年9月11日 (月) 22:20

★ばるさろさん こんばんは♪
蓮月は、不幸な人生だったにも関わらず、85歳まで創作活動を続けてきたことがスゴイですね。歌や物を作ることが、自分自身への癒やしになっていたのでしょうね。

投稿: りせ | 2017年9月12日 (火) 00:50

★カワセミん こんばんは♪
蓮月は醍醐寺の前にも住んだことがあったのですか。あちこちに住まいの跡が残っているようで、その足跡をたどるのも面白いかも知れませんね。

投稿: りせ | 2017年9月12日 (火) 01:04

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