« 寂光寺 囲碁本因坊の寺 | トップページ | 西寺町通の寺院たち »

2017年9月20日 (水)

もう一つの寺町通 東山二条から仁王門通へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jni_0850a
※写真は全てクリックで拡大します。

東山二条から東山仁王門にかけての東大路通の西側に、四つの寺院が並んでいます。ここに寺院が並んでいるのには理由があります。

一番北にある「大安寺」は、山号を日陽山という浄土宗の寺院で、浄土宗洛中四十八願所の第22番になっています。

Jni_0998a

安土桃山時代の1585年、豊臣秀吉が叔母・大恩院殿の菩提を弔うために、天阿岌向を開山に迎えて建立したのが始まりです。当初は二条室町西(現中京区大恩寺町)にありました。(本堂には阿弥陀如来を中心に左右に観音菩薩と勢至菩薩を祀っています。)

Jni_0999a

2年後の1587年、京極丸太町に移転しました。

Jni_1018a

江戸時代の1708年「宝永の大火」により焼失、その後、現在の東山二条に移りました。1711年には9世・源譽代により現在の本堂が再建されました。

Jni_1024a

明治時代には塔頭三院があったそうです。墓地には江戸時代後期の蘭学者・海上随鴎(うながみずいおう、稲村三伯)の墓があります。

Jni_1011a

ところで、「宝永の大火」は宝永5 年3月8日に油小路通姉小路通角より出火し、「四百九十七町、百余の寺社、一万四千軒余」を焼失したとされます。

Jni_1037a

大安寺の南隣に「西方寺」があります。山号を願海山、院号を法性覚院という浄土宗知恩院派の寺院です。先日紹介した西賀茂の西方寺とは関係がありません。

Jni_1137a

創建は古く、平安時代後期の1189年、左大臣・大炊御門経宗が没すると、一条町尻(一条新町)にあった屋敷に西方寺が開かれました。経宗は藤原経実(つねざね)の4男で1149年参議になり、二条天皇の伯父として天皇親政を推進しました。

Jni_1067a

1159年の平治の乱では、当初は藤原信頼につきましたが、後に信頼を討伐。1160年、後白河上皇により解官、阿波に流されました(後に左大臣に復帰)。有職故実に通じ和歌にも優れ、晩年は法然に帰依しました。(本堂には本尊・阿弥陀如来を祀ります。)

Jni_1081a

その後、西方寺は両替町竹屋町上ル西方寺町に移転、安土桃山時代には豊臣秀吉の命により、寺町椹木町東に移りました。

Jni_1083a

山門を入った右に地蔵堂があり「衣通姫(そとおりひめ)地蔵」が安置されています。古墳時代の允恭天皇(376 - 453)の后の妹・弟姫(おとひめ)が7歳で疫病で亡くなり、冥途で生身の地蔵を拝むと蘇生したといいます。

Jni_1125a

その恩に報いるために地蔵像が造られたといいます(現在の像は江戸時代作とか)。江戸時代の寛文年間(1661-1673)霊元天皇の命により洛陽四十八願所地蔵めぐりの第25番札所となり、疫病除け、安産守護の信仰を集めています。

Jni_1075a

1708年、宝永の大火後の都市計画で、禁裏周辺の防火性能を高めるための公家町の再編成が行われ、それまで千本通から鴨川西を占めていた市街地が、東西の両方向へと拡大されました。

Jni_1094a

内裏に近接した間之町通、堺町通、富小路通、今出川通の町家を移転し、それぞれ新間之町通、新堺町通、新冨小路通、新今出川通が鴨東に造られました。すなわち、都心部の街をそっくり鴨東に移し、以後この地域の歴史的景観が形成されることになりました。

Jni_1096a

さらに、大火後の再編成によって、寺町通筋に連なっていた寺院群も鴨川東に集団移転(引寺)させられました。

Jni_1103a

この寺町の移転によって、鴨川東の東寺町通、西寺町通および新高倉通に寺院が軒を連ねることになりました。東寺町通は近代の道路拡幅によって現在の東大路通となり、この西方寺は東寺町通に移転したのです。

Jni_1118a

寺町の移転は宗派ごとにも計画性があり、浄土宗の寺院は西寺町通と東寺町通の西側に移転しました。東寺町通の東側には妙伝寺や本妙寺などの日蓮宗寺院や、時宗の聞名寺が移転しました。

Jni_1112a

南隣にある教安寺はいつも山門が閉じています。

Jni_1136a

「教安寺」は山号を瑞応山という浄土宗の寺院です。詳しい情報はありませんが、やはり宝永の大火で寺町から移転してきたと思われます。

Jni_1127a

東山仁王門のバス停

Jni_1366a

仁王門通との交差点の北西に信行寺があります。「信行寺(しんぎょうじ)」は山号を道源山という浄土宗知恩院派の寺院です。この寺も山門が閉じていました(時々開いているときもあります)。

Jni_1369a

信行寺の創建時期は不詳ですが、かつて摂津の西宮にあったといわれます。その後、三条東洞院に移り、安土桃山時代に豊臣秀吉の命により、寺町丸太町に移りました。やはり、宝永の大火の後にこの地に移転してきました。

Jni_1511a

本堂には、本尊・阿弥陀如来を祀っています。本堂の前に大きな岩がありますが、その由緒は分かりません。(以下は過去の写真です。)

Imk_9918z

明治初めの廃仏毀釈によって伊藤若冲が最晩年に描いた石峰寺・観音堂の天井画が破却され、当寺に寄贈され本堂に飾られています。

Imk_9920z

本堂の横に毘沙門堂があります。南門から入ると御朱印が頂け、「阿弥陀如来」、「阿弥陀三尊」、「毘沙門天」に加えて、「若冲降臨」というのもあるそうです。

Imk_9917z

東大路通(旧東寺町通)の二条から仁王門にかけて寺院が建ち並び、寺町通以上に寺町らしい風景を見ることができます。

Imk_9925z

Jni_1501a

お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をお願いします。

  ★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jni_1120a

|

« 寂光寺 囲碁本因坊の寺 | トップページ | 西寺町通の寺院たち »

コメント

秋の植物は、心に響きますよね。
季節のせいか、なんのせいか、不思議ですよね。

投稿: munixyu | 2017年9月20日 (水) 11:11

こんばんは。
一昨年の秋 初めて聞名寺さんに行った時 向かいの
信行寺に 門前のバス停を越えて大行列ができていました。
これは何?!? ちょうど非公開文化財特別公開で
本堂の若冲の天井画の公開でした。 これはぜひ見たい!と
聞名寺さんのあと 若冲の天井画 拝見してきました。

今日は 丹波橋の勝念寺さんで
「萩振る舞い」で境内を埋め尽くす満開の萩を
堪能してきました。
初めて行ったのですが 圧巻でした!

投稿: カワセミ | 2017年9月20日 (水) 21:19

★カワセミさん こんばんは♪
信行寺さんの門がときどき開いているのは、若冲の天井画が公開されているのかも知れませんね。12月に公開されるそうで、今度は行こうかなと思います。
勝念寺さんは10月中頃に行ったと思いますが、そのときはススキがいっぱいでした。現在は萩が満開なのですね。できれば、見てみたいと思います。情報ありがとうございました。

投稿: りせ | 2017年9月21日 (木) 23:14

★ばるさろさん こんばんは♪
西寺町通の雰囲気は本当の寺町なのですが、ブログの記事にするときはお寺の情報が乏しくて困りました。近所もみんなお寺だと、檀家も限られていて経営がどうなっているか気になりました。

投稿: りせ | 2017年9月21日 (木) 23:35

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 寂光寺 囲碁本因坊の寺 | トップページ | 西寺町通の寺院たち »