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2017年8月 6日 (日)

風俗博物館 源氏物語・歳暮の衣配り

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

風俗博物館についてもう一日お付き合いください。後編は源氏物語の一場面と平安時代の女性たちの生活です。

光源氏35歳の秋に落成した六條院は、平安京の六条京極付近の4町を占める広大な邸宅で、そこに主だった夫人と子女たちを住まわせました。それぞれ四季を象徴し、春の町には源氏と紫の上、明石の姫君が住みました。

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紫の上は源氏最愛の女性である一方、源氏の子を生んだ明石の御方にはしばしば嫉妬し、他の女性と源氏のうわさには動揺しました。しかし、六條院に移ってからは、正夫人としての誇りと落ち着きを取り戻します。(奥に源氏と紫の上、手前は上臈の女房。)

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その年の暮れ、各町に住まわせている女君たちに相応しい正月用の晴れ装束を、春の御殿で源氏と紫の上が調(ととの)えているのが、この場面です。職人たちが技巧を凝らして仕立て、紫の上の指示のもとで染め上げた装束を源氏が見比べています。、

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紫の上は、どの女君たちにも、その年齢、容貌、性格に相応しい衣装を見立て、元旦にお召しになるように手紙を添えて歳暮とすることを源氏に勧めたのですが、

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源氏自らが選んでいくきらびやかな衣装を目のあたりにして、また見ぬ女君たちの器量を想像する紫の上の心中はすこし複雑なものになっていきます。

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明石の御方は源氏の明石時代の愛人で、源氏の一人娘・明石の姫君を生みます。明石の御方は身分が低い出だったので、行く末を心配した源氏は娘を紫の上の養女として引き取りました。六條院ができてからは明石の御方は冬の町の主に迎えられました。

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源氏物語の『玉鬘(たまかずら)』の巻に記された衣装が登場します。紫の上は、紫草の根を多く使った葡萄(えび)染めに春の御方に相応しく紅梅の文様を織り出し、流行色の紅花色を加えた小袿(こうちき)、最も高価な気品高い装束です。

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明石の御方は、異国風の織文様に純白と紫の高貴な配色に気品の高さを思わせる衣装で、その高雅な装束に紫の上がちょっと不快な気持ちになります。左は二條東院に住まう出家した空蝉、喪に服しているような色合いの中にも聴(ゆるし)色を加えて華やかさを加えた衣装です。

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夏の御殿に住まう「花散里」は控えめな性格で、夏に相応しく涼しげな浅縹(はなだ)の色に州浜の文様を織り出した装束です。後ろは同じ御殿の「玉鬘(たまかずら)」で、華やかで美しいが、優美という感じはしない人だと、紫の上が想像した上の衣装です。

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こちらは、各姫君への使いのものに指示をしています。以下では、他のコーナーの内容を少し。

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「四季のかさね色目に見る平安王朝の美意識」 平安時代には、四季の彩りを衣装の色目に表現する技巧が登場します。染色、織色に加えてかさね色目が用いられました。そのうちの「布」は布地の表裏の色を使い、裏地の赤が表に透けてでる「桜重ね」などです。

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一方「衣」は何枚も重ね着した袖口や襟口にみられる色の変化を利用します。上の写真の「梅かさね」は白と紅のグラデーション、下の「紅・紅葉かさね」は青葉から紅葉までの様々な色で秋を表現します。

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「局(つぼね)、女房の日常」 局とは渡殿にある上臈の女房に与えられた部屋です。紫式部は源氏物語執筆の後援者の藤原道長の屋敷・土御門(つちみかど)殿に局を与えられていました。平安時代には豊かで長い髪が容姿の美しさの大きな比重を占めていました。

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この局は格子や妻戸がある独立した部屋になっていて、『紫式部日記』には道長が訪れて来ても紫式部は開かなかったとに書いてあります。下は「臥籠」で、自分の好みに調合した香りを衣装に焚き染めます。

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「双六」は、上代に中国から伝来した遊戯で、二人が12枠の陣を示した双六盤に白黒の石を置いて向かい合います。2個の賽を振って自分の石を動かし、全部を敵陣に送り終えたら勝ちとなるそうです。

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「偏つぎ」 主として女性や子供が漢字の知識を競い合った遊びで、偏と旁(つくり)に分かれた札を使って様々な遊び方があるそうです。偏や旁を先に示して相手に漢字を作らせ、出来なかった方や読めなかった方が負けとなるなどです。

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「貝合せ」は、さまざまな「物合せ」の一つで、二方のそれぞれが珍しい貝を持ち寄って優劣を決める遊びでした。そのうち、貝を飾った州浜に風流を凝らしたり、歌を添えたりもしました。

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現在貝合せと呼ばれる神経衰弱のような遊びは、平安時代末から行われた「貝覆(おお)い」が、後に貝合せと混同されたものだそうです。御簾の向こうに、昨日の藤原道長の春日詣の場面が見えます。

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コメント

こういう時代の暮らしの中に、
一度タイムマシーンでいって、暮してみたいものですよね。
楽しそう。

投稿: munixyu | 2017年8月 6日 (日) 12:18

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