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2017年8月11日 (金)

六波羅蜜寺 萬燈会

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の六道珍皇寺を後に、松原通を西に行くと「西国十七番 六波羅蜜寺」と「六道之辻」の石標があります。ここには西福寺があって、やはり六道まいりが行われていました。

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西福寺は弘法大師がこの地に地蔵堂を建て、自作の地蔵を安置したのが起源です。大師に深く帰依していた壇林皇后が皇子(後の仁明天皇)の病気平癒を地蔵に祈願したところ回復したため、この地蔵は“子育て地蔵”と呼ばれるようになりました。

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この寺の寺宝「壇林皇后九想図」はこの時期だけ公開されます。壇林皇后は美貌の持ち主でしたが、「風葬となし、その骸の変相を絵にせよ」という遺言を残しました。死骸が土に帰るまでを克明に描写した絵は、むごたらしさを通り越して世の無常を感じるそうです。

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左の道の先には六波羅蜜寺の灯りが見えます。「六波羅蜜寺」は山号を普陀落山(ふだらくさん)、院号を普門院という真言宗智山派の寺院で、毎年8月8~10日の期間、萬燈会が行われます。六波羅蜜寺の創建は平安時代中頃の951年にさかのぼります。

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当時京都に流行した悪疫退散のため、、空也上人は十一面観音像を刻み、車に乗せて市中を曵き回り、青竹の割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱え、ついに病魔を鎮められたといいます。この茶は、現在も皇服茶として伝わり、当寺で正月三日間授与しているそうです。

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963年、諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んとされます。これが六波羅蜜寺の前身となる西光寺です。

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972年に空也は亡くなりましたが、977年空也の弟子の2世・中信上人が寺を再興し、規模も増大して荘厳華麗な天台別院として栄えたました。その際、六原の地名と梵語の六波羅蜜から六波羅蜜寺と改名しました。(南門の正面に「弁天堂」があります。)

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弁天堂には、平安時代後期、崇徳天皇の夢告により禅海が造った弁財天が祀られています。1156年に天皇は保元の乱で皇位争いに敗れて、讃岐に流されて亡くなりました。

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その後、天皇が寵愛した阿波内侍は(現在の祇園歌舞練場付近にあった)屋敷を寺院に改め、弁財天を祀りました。明治時代の廃仏毀釈によりその寺院は廃寺となり、弁財天が当寺に遷されたといわれています。

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弁天堂の弁財天(六波羅弁財天)は、都七福神まいりの中の弁財天となっています。

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平安時代後期にはこのあたりは六波羅と呼ばれていました。平忠盛が六波羅の広大な土地を購入し、清盛、重盛の時代になると、平家一門の邸館・六波羅第や関係者の屋敷が建ち並び、その数5200余りに及びました。

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絶大な権勢を誇った平家の政治は長くは続かず、1183年に源氏が挙兵すると、平家は自ら六波羅第に火を放ち、西海に逃れ都落ちしました。この時、六波羅蜜寺は本堂を除いて焼失しました。

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源頼朝は京都守護を六波羅に置いて平氏の残党狩りと市中警護を行いました。後の1221年に後鳥羽上皇による承久の乱が鎮圧された後、京都守護は六波羅探題に改組されました。下の石標には「此附近 平氏六波羅第、六波羅探題址」とあります。

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六波羅蜜寺は源平両氏の興亡や北条、足利と続く時代の兵火の中心ともなりましたが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ、火災に遭うたびに修復されました。(本堂の横に平清盛の墓があります。)

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「阿古屋塚」 白拍子の阿古屋(あこや)は平家の落ち武者狩りの詮議に引き出され、源頼朝の命をつけ狙う平景清のいどころを白状しろと迫られます。阿古屋は、琴、三味線、胡弓をつづけて演奏させられ、その音色が乱れていなかったので潔白と認められました。

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豊臣秀吉も大仏建立の際に本堂を補修して現在の向拝を付設、寺領70石を安堵しました。徳川代々将軍も朱印を授け寺領を安堵しました。本堂は1363年の建造、明治以降荒廃していましたが、開創1,000年を記念して1969年に解体修理が行われました。

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「萬燈会」(万灯会)とは、多くの灯明をともして仏・菩薩(ぼさつ)を供養し、衆人の罪障を懺悔(さんげ)し、滅罪を祈願する法会です。当寺では、本堂内陣においてそれぞれの土器盃に灯心を五つの端に点火して「大」の字に入れ、その土器盃を4壇づつ、108献灯します。

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密教の五大思想である「地水火風空」の五大を表し、「すべての実相は五大より生じ五大に帰す。」というところから始まっているそうです。先祖の精霊を迎える追善回向の行事です。(写真はありません。)

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963年8月に開祖・空也上人によって初めて厳修されて以来、今日ではお盆の精霊の迎え火と送り火として親しまれており、京都の大文字の送り火の原形となったとされています。

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ここでも迎鐘を撞いて、六道まいりを行っています。

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「銭洗い弁財天」 柄杓の水で清めたお金を持ち帰って貯えておくと金運を授かるのだそうです。

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「水掛不動尊」 源義経がこの不動尊の横の松の木に兜をかけて戦いの勝利を祝い、勝運成就の功徳があるとされます。

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この迎鐘は日本で唯一地下にある大鐘だそうで、こちらには音がほとんど聞こえてきません。

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すっかり暗くなってしまいました。この後、午後8時から本堂で灯芯による大文字を灯して、七難即滅・七福即正の祈願が行われ、火の要心の護符が授けられます。

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先ほど通った「六道之辻」の前には、「幽霊子育飴」の「みなとや」さんがあります。創業450年だそうです。

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コメント

灯の感じが秋めいてきたような気がします。
暑いけど少し安心します。

投稿: munixyu | 2017年8月11日 (金) 09:48

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