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2017年8月 7日 (月)

閑院宮邸跡 唯一の公家住宅

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

暑い日でしたが、京都御苑にある閑院宮邸跡に行ってきました。御苑の南西にある「間の町口」から入ると、左手に東門があります。

閑院宮家は伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、東山天皇の皇子直仁(なおひと)親王を始祖として1710年に創立され、公家町南西部のこの場所に屋敷を構えました。

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当時の朝廷では、皇位継承予定者以外の親王は出家して法親王となるのが慣例でした。ところが、1654年後光明天皇が22歳の若さで崩御したときに近親の皇族男子は殆ど出家していて、その後継問題で紛糾しました。(門の正面の建物が主屋で拝観無料です。)

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主屋は中庭を囲む木造平屋建の四棟からなり、それぞれが回廊で連絡されています。北側(写真の右)は「国民公園協会京都御苑」の事務所です。

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皇統の断絶を危惧した新井白石が徳川将軍家に御三家があるように、朝廷にもそれを補完する新たな宮家が必要との建言を将軍徳川家宣に出したことが閑院宮家創設の契機でした。

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御門と塀以外の建物は東山院旧殿を移築して、L字型の屋敷地は498坪に及ぶ広大なものでした。当時の建物は天明の大火(1788)で焼失し、その後再建されました。(南東の角から、展示室になっている南東に入ります。)

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公家町や閑院宮家の歴史、京都御苑の動植物などの自然や変遷の歴史、最近の発掘調査による遺物などが展示されています。

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明治2年の東京遷都に伴って、京都御所の周りにあった宮家や公家は東京に移転し、ほとんどの建物や庭園などは撤去されました。(南東の外縁に出ました。)

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その中で、閑院宮邸、九條邸、桂宮邸、中山邸および近衛邸の一部が残されており、今では貴重な遺構となっています。(外縁を通って南棟の西の小部屋に行きます。)

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閑院宮が東京に移られてからは、その屋敷は華族会館や裁判所として一時使用されました。

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そして、御苑の整備が一段落した明治16年に宮内省京都支庁の建物が設置され、現在この主屋として残っています。(この小部屋ではちょっとした床緑が見えます。)

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その建物の構造や部材のほとんどは、江戸時代の閑院宮邸のものを利用しており、旧閑院宮邸の主屋を改修した建物だったと推定されています。(もう一度中庭の廊下に出ました。左は西棟。)

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南北が長い(47m)建物で、屋根には下にそる千鳥破風と上にそる起(むくり)破風があり、全体として寝殿造りと書院造が混在していることが特徴だそうです。

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終戦後の昭和24年、京都御苑が国民公園となってからは、厚生省、後に環境庁の京都御苑管理事務所などに使用されていました。

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環境庁は平成15年に閑院宮邸跡の保存修復に着手し、長屋門などの構造物の他、築地塀、池などの復元・整備を行いました。(庭に出ました。北には「長屋門」があります。)

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復元・整備時の調査において、南東にある園池に州浜状の石敷などが確認され、宮家や公家が好む庭園様式を取り入れていることが分かりました。

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現在では、遺構を遺したままその上に緩やかな州浜を復元して、当寺の雰囲気を再現するようにしたとのことです。そのため、池の面積は当時の2/3程度になっています。

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南棟は書院造で屋根が千鳥破風になっています。

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主屋の西にある土蔵の前を通ります。

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明治16年に設置された宮内省京都支庁に付随して、明治25年に所長官舎が建てられました。現在は撤去されていますが、歴史ある関連施設として間取りが再現されています。

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正面中央に玄関棟、左右に来客棟と私室棟をコの字型に配置した左右対称になっていて、当時の所長官舎の典型的な間取りでした。中央が中庭です。

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それぞれの間取りは木枠で縁取りをして、部屋の名のプレートが埋め込まれています。

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前述の調査では、官舎の南にも園池と鑓水が確認され、こちらも復元されています。

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ところで、幕末に当主となった第5代愛仁(なるひと)親王は25歳の若さで亡くなり、後嗣が無かったため、その生母の鷹司吉子が当主格とされ、明治時代に入って1871年(明治5年)に伏見宮邦家親王の王子・載仁(ことひと)親王を当主として迎えます。

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載仁親王は、フランスの陸軍士官学校、騎兵学校、陸軍大学に留学・卒業し帰国、騎兵旅団長、日露戦争では満州軍総司令部付きの武官として従軍、後に陸軍大将となり、元帥の称号を賜わります。1945年(昭和20年)81歳で死去、稀に見る美男子とか。

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1902年(明治35年)に春仁(はるひと)王が第7代当主となり、陸軍大学校兵学教官などを経て、終戦時は陸軍少将として戦争継続を主張しました。戦後の皇籍離脱の論議には反対の論陣を張りますが、1947年(昭和22年)に皇籍離脱して宮家ではなくなります。

 

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閑院氏を名乗り、純仁(すみひと)と改名、実業家としては成功を収めたものの私生活は波乱に満ちたものでした。昭和63年(1988)81歳で亡くなり、実子がなかったので閑院家は断絶しました。

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コメント

昔の学校の廊下みたいなところが、
いいですね。
木造の温かみを感じます。

投稿: munixyu | 2017年8月 7日 (月) 10:05

中庭などの緑は芝生!?鮮やかですねぇ
有栖川の邸宅は平安女学院のとこのでしたっけ。。。
九条家の建物の平屋の大きな建物が京都御所から東京の九条邸に移築され、現在は上野の国立博物館の裏の庭園にあります。長い縁側がちょっとここの建物と似てますが、規模はこっちのほうが大きいですね。公家一同が東京に移動したあとも、これだけの規模とよい状態を保っているのはそれなりに使用されていたのもあったかもですね。床の部屋が床みどりっぽくてイイ!
今週、久々に上洛します!陶器祭りと堀川のライトアップに行くつもり!

投稿: ばるさろ | 2017年8月 7日 (月) 22:46

★ばるさろさん こんばんは♪
公家住宅は、華美ではないにしても造りがしっかりしていて、ある意味贅沢ですね。
京の七夕(堀川会場)、私の方が一足先に訪れたのかもしれませんね。鴨川会場と比べて、手作り感があって庶民的な感じがしました。二条城のライトアップもあったのですが、堀川の遊歩道の会場が意外に長く、出たときには二条城から離れてしまい行きそびれました。

投稿: りせ | 2017年8月 9日 (水) 23:53

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