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2017年8月 2日 (水)

渉成園  二階建て茶室特別公開

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

「京の夏の旅」として特別公開されている渉成園の二階建て茶室を見学してきました。上は拝観入り口となっている西門。下は入り口正面の「高石垣」、石橋、礎石、石臼など様々な石を積み重ねています。

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「渉成園」は東本願寺(真宗本廟)の飛地境内で歴代門主の隠居所として使われてきました。周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから、「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれます。(高石垣の左を回っ庭園北口に向かいます。)

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江戸時代前期の寛永18年(1641)三代将軍家光から約一万坪の土地を寄進され、石川丈山の趣向を入れて、池泉回遊式庭園が造営されました。

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北口を入って左側に小池に面して「臨池亭(りんちてい)」(左)と「滴翠軒(てきすいけん)」(正面)があります。滴翠軒の名は池に落ちる小滝からつけられ、その右の「檜垣の燈籠」の名の由来は不明とのことです。

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小池の水は鑓水を通って南に流れていきます。

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池の東に生垣で囲まれた煎茶席の「代笠席(だいりつせき)」があります。ちなみに、代笠席とは、人里離れた地を訪れた旅人が「笠代わり」に雨宿りする席という意味だそうです。

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代笠席の生垣の前にある「亀の甲の井戸」、上から見ると亀の形に石が組んであり、中央に井筒が埋められています。

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さらに東に行くと、池泉回遊式庭園の中心となる「印月池(いんげつち)」があり、中の島の北大島(右)に渡る橋「回棹廊(かいとうろう)」が見えます。もう一つの石橋が工事中で、池の水がほとんどありません。

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印月池の北畔を通ります。左が北大島で向うに工事中の石橋が見えます。手前は作業用の仮橋のようです。このあたりは「丹楓渓(たんぷうけい)」と呼ばれ、園路の両側に楓が植えられ紅葉が美しいところです。丹とは朱色のことです。

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回棹廊を渡ります。左に「紫藤岸(しとうがん)」という藤棚が池にせり出しています。かっては野生の藤だったそうです。

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北大島の上には茶室「縮遠亭」(左)があり抹茶席(右)と廊下でつながっています。その名のとおり、かっては東山三十六峰の一つ阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のように見渡せたそうです。

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下りの石段の横にある「塩釜の手水鉢」 全国の庭園にあるこの形式の手水鉢のルーツで、渉成園の最も重要な景物です。石造宝塔の塔身を転用したもので鎌倉時代の作。

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印月地の南側は広く、睡蓮の葉で覆われています。

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池の中に「源融(みなもとのとおる)ゆかりの塔」があります。源融は、嵯峨天皇の皇子でしたが源の姓をたまわり臣籍に下り、「光源氏」のモデルの一人ともいわれています。九重の石塔は彼の供養塔と考えられ、鎌倉時代中期の作とされます。

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もう一度、鑓水の方に戻ると、「傍花閣(ぼうかかく)」があります。楼門作りで左右に山廊とよばれる階段の入り口があり、面白い形をしています。春にはこのあたりは桜並木となり、建物の名にふさわしい景色となります。傍花閣と向き合って、その西側に

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持仏堂の「園林堂(おんりんどう)」があります。内部は棟方志功による42面の襖絵で飾られているそうです。「園林」とはもともとは中国宮殿の大規模庭園のことで、仏典では浄土を表わす言葉だそうです。

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園林堂の前の池は、背の高い蓮で覆われています。午後になっていたので、花はほとんど閉じていました。

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園林堂の南隣が、今回特別公開されている二階建て茶室の「魯庵(ろあん)」です。幕末に14代将軍・家茂や15代将軍・慶喜も訪れており、「大政奉還150年記念」として、今回初めて公開されたそうです。

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階下は七畳で左側に床を構え、2方に縁が付いています。向うに前庭の中門が見え、屋根が珍しい形をしています。階下と階上に京の夏の旅のガイドさんがいます。

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階上は主室4畳半と台目3畳の次の間からなる煎茶席です。主室の北側(左)は板敷ですが、東と南の2面には肘掛窓が付いていて眺望を楽しむことができます。

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北面の一部に丸窓が開けられています。

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東の窓からは、先ほど通った傍花閣の二階が見えます。桜や紅葉の頃には見事な眺望だと思われます。

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南の窓からは、隣の建物や市街地も見えます。

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江戸時代の文献では「露庵」と書かれていましたが、いつのまにか違う字を用いるようになったとか。南のもう一つの窓から。

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「閬風亭(そうふうてい)」 幕末に再建された書院造の室内からは前庭を通して東山・阿弥陀ヶ峰借景とした雄大な印月池を眺められます。閬風は中国崑崙山脈の頂部にあるといわれる山の名で、仙人が住むといわれています。

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印月池の名は東山から登る月影を水面に移すと美しいという意味だそうです。こちらの中の島は南大島あるいは「臥龍堂」と呼ばれています。この名はかって島に建てられていた小さな鐘楼堂のことでしたが、安政の大火(1858年)で焼失して以来再建されていません。

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「漱枕居(そうちんきょ)」 印月池に乗り出すように建てられてた茶室です。その名は、旅路にあることを意味する「漱流沈石」からとられています。臥龍堂の鐘は、漱枕居に集まった茶会の客人に、北大島の縮遠亭へと船で向かう刻限を告げたそうです。

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ところで、漱流沈石とは流れで口をすすぎ石に枕するという意味だそうです。夏目漱石の名もこの言葉に由来すると思っていたのですが、「漱石枕流」からでした。中国の晋の時代、頭はいいが出世できない孫楚という人物がいました。

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あるとき酒を飲んで、友人に自分は(漱流沈石というべきところを)漱石枕流だと愚痴をこぼしました。友人に間違いを指摘されると、耳を洗うために流れに枕し、葉を磨くために石で口を漱(すす)ぎ、俗世で汚れた体をさっぱり奇麗にしたいのだ、とこじつけました。

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上の故事から、漱石枕流は負け惜しみ、屁理屈、頑固者という意味になったそうです。夏目漱石は自分が漱石枕流だと自覚していたようです。このあと、東本願寺に向かいました。

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コメント

蓮の葉が凄い群生していますね。
池がどこにあるのかわからないぐらいです。
百日紅も満開で、今、まさに真夏ですよね。

投稿: munixyu | 2017年8月 2日 (水) 12:20

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