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2017年8月 1日 (火)

春光院と石塀小路の謎

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の高台寺御茶所を出て、再びねねの道に戻りました。高台寺駐車場から維新の道と並行に走る道は「高台寺南門通(参道)」と呼ばれ、その先に高台寺南門があります。その手前で右を向けばねねの道です。

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その交差点の南西に「高台寺塔頭・春光院」(非公開)があります。江戸時代初めの寛永4年(1627)木下勝俊が娘・春光院万花紹三(ばんかじょうざん)の菩提を弔うために建立しました。娘は17歳で早死にしてしまいました。

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木下勝俊は秀吉の妻・北政所ねねの兄・木下家定の嫡男です。関ヶ原の戦いでは東軍に属し伏見城の警護をしていましたが、西軍攻撃の直前に逃げ出し、ねねの懇願により責任を逃れたという経歴があります。長嘯子と号し和歌を詠む晩年を送りました。

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春光院はねねが建立したという説もあり、ねねは上の娘をそばに置いて可愛がったといわれています。幕末には尊攘派の僧・月照(げっしょう)が滞在しました。1858年、月照は薩摩藩の西郷隆盛らの倒幕の挙兵に加わり、幕府から追われに薩摩に逃亡しました。

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薩摩藩は幕府の追求を恐れ西郷と月照を追放、前途を悲観した二人は入水しましたが西郷だけが助かりました。春光院はねねの道と維新の道の交差点にあるだけあって、その両方にゆかりのある寺院でした。

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山門の左に摩利支天の「触れ仏」がいます。

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ねねの道を北に行くと、左に石塀小路の入口があります。

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「石塀小路」は、ねねの道と八坂神社南楼門前の下河原通を結ぶ石畳の小道で、両側が石塀で囲まれているのでその名があります。といっても、このあたりには石塀が見当たりません。

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このあたりは、かって高台寺塔頭の圓徳院の敷地でした。一方、八坂神社の南の下河原町のあたりは「祇園廻り」と呼ばれ、遊郭があったそうです。最初の曲がり角です。

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江戸時代初めの1605年に高台寺が創建され、徳川家康もねねの歓心をひくために財力を惜しまずに援助して、高台寺は壮麗な堂宇を完成させました。(右の板塀の下に石が敷いてありますが、これが下に行くと次第に高くなり石塀になります。)

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また、ねねを慰めるために舞芸に達者な女たちを集めて住まわせたのが、後に下河原遊郭になったとされます。

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江戸時代中期になると祇園廻りは遊興の地として栄え、お茶屋が50件以上立ち並んでいたといわれています。(このあたりになると石塀と呼べるくらいの高さになります。なぜ石塀の高さが上と下で違うのかが謎です。)

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明治初年に下河原遊郭は廃絶しますが、その後も下河原通り界隈には格子戸の旅館・料亭・御茶屋が並び、かっての面影を残していました。(右と左で石塀の高さが違います。斜面を宅地に造成するときに、土が崩れないように石垣で囲んだようです。)

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また、明治初年の神仏分離令の後、圓徳院はこのあたりの土地を手放し、下河原町とねねの道の間に通り抜けの道が造られました。その道が現在の石塀小路の始まりです。明治末期から大正初期にかけて道の周囲が高級貸家街として開発されました。

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高級感を出すために石垣で囲み、石畳が敷き詰められました。開発当初は資産家の別邸が並んでいたそうです。後に、それらの別邸のいくつかは限られた客を相手にする料理旅館となりました。この田舎亭もその一つです。

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その後、東山を舞台とした映画やテレビドラマのロケが盛んになり、それらの関係者を目当てとした旅館や飲食店などができてきました。「京都迷宮案内」では事件記者・橋爪功が田舎亭の2階に下宿していました。

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昭和50年頃に京都の市電が廃止され、その敷石を石畳として敷いたことから、現在の石塀小路の姿になりました。下は「ギャルリー石塀小路 和田」 陶磁器、漆器、絵画などの展覧会をしています。

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向かいは「夢珈琲」、ちょっと入りにくい雰囲気ですが、中にモダンンな建物があり、ケーキやランチもあります。

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このあたりは、石塀の上にさらに石を積み上げて建物が隠れるほどです。突き当りで左に曲がれば最後の坂です。

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石塀の高さが変化している理由が気になります。斜面を宅地にしたときの事情や後から道の高さを変えたのではないと考えたりもします。この石の門は、下河原町の町屋との境界のようです。

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下河原通に出ました。

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コメント

坂道に同じ高さの線を引くから、下に行くほど、
石堀が高くなっていくのですね。
坂道を感じるように作ってあるのかもしれません。

投稿: munixyu | 2017年8月 1日 (火) 12:40

★munixyuさん こんばんは♪
私も、塀の一番上が坂の上と下で同じ高さになっているのではと思いました。確かに一ブロックだけ見るとそうなっているのですが、全体の坂の標高差は塀の高さの何倍もあります。それでも、munixyuさんがおっしゃるように、わざとブロック毎に高さを変えて、坂道を強調しているのかも知れませんね。

投稿: りせ | 2017年8月 1日 (火) 21:36

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