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2017年7月 9日 (日)

首途八幡宮 源義経旅立ちの社と桜井公園

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今出川通を堀川から西に行き、智恵光院通を上がるとすぐに首途(かどで)八幡宮の一の鳥居があります。この地は平安京の大内裏の北東に位置し、王城鎮護の神として鎮座してきました。

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平安時代の末、この地には商人・金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があったといわれています。

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1149年、吉次は宇佐八幡宮の神霊を勧請し、屋敷内に「内野八幡宮」を建てたのが当社の始まりです。

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1174年源義経は、鞍馬山を下りて奥州平泉の藤原秀衡を頼って京を出ます。その際、当社に立ち寄り、道中の安全と武勇上達を祈願して出立したとされます。以来、首途八幡宮と呼ばれ、首途とは「出発」の意味です。下は「源義経奥州首途之地の碑」。

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当時の東北地方は金を産出し、吉次はそれを京で取引することを生業としていました。(二の鳥居)

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実は、『平治物語』では「奥州の金商人吉次」、『平家物語』では「三条の橘次と云し金商人」、『源平盛衰記』では「五条の橘次末春と云金商人」、『義経記』では「三条の大福長者」で「吉次信高」というように、この金商人の名や出身には様々な記述があります。手水舎

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いずれにしても、金売吉次は金の産出国の領主・藤原秀衡と面識があったと考えられています。(八幡宮の使いである鳩があちこちに見られます。)

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吉次は、鞍馬寺を参詣したとき義経と出会い、義経とともに奥州へ向かいました。『平治物語』では義経に奥州への案内を依頼され、一方『義経記』では吉次から話を持ちかけたとされています。二の鳥居をくぐると、土手の上まで石段が続いています。

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吉次は下総国で義経と行動を別にしましたが、陸奥国で再会し、その取り計らいによって、義経は藤原秀衡と面会しました。(八幡宮の額がかかっている左の鳥居をくぐります。)、

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立派な社殿があります。

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祭神として、誉田別尊(ほんだわけのみこと、応神天皇)、比咩大神(ひめのおおかみ)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)を祀ります。

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誉田別尊(応神天皇)は八幡神、他の2柱と合わせて八幡三神と呼ばれています。古来から清和源氏、桓武平氏などを始め全国の武家から武運の神として崇められてきました。

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現在の首途八幡宮には、厄除、旅立、旅行安全、海外旅行安全などの信仰があり、ここが金売吉次の屋敷跡とされることから金運開運、開運招福、夜泣き、癇虫封などのご利益もあるとか。(隣に授与所があります。)

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その後の義経についてはよく知られていますが、『平治物語』によると義経の郎党の堀景光の前身が、この金売吉次であるとされています。

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吉次は行商の途中に強盗に襲われ殺害されたとされ、福島県白河市白坂皮籠の八幡神社に吉次兄弟のものと伝えられる墓があります。(中央の石段からも本殿に行けます。途中には小さな祠があり、寄進された石柱が並んでいます。)

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一方で、栃木県壬生町稲葉にも吉次の墓があり、吉次は義経が頼朝と不仲になり奥州に逃れる際にも同行して、当地で病死したとされています。(一番右の鳥居をくぐります。)

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ここには弁財天が祀られています。

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社務所では書道教室などの教室が開かれています。

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義経は3月3日に奥州に旅立ったとされ、この日に「義経首途祭」が行われます。また、参道や境内には様々な種類の桃が植えられています。

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首途八幡宮の隣の「桜井公園」 10年ほど前に造られた公園ですが、その名は「西陣五水」の一つといわれた「桜井」からつけられました。

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『雍州府志』によると、金売吉次の邸内には大きな井水があり、清冷な水が湧いていました。その後、首途八幡宮の社務所内の井戸「桜井」は、名水として知られるようになりましたが、現在は失われてしまいました。

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桜井公園は市の管理ですが、いつも地域のボランティアの方によって手入れされて、「京都景観まちづくり賞」も受賞したそうです。5月には上の池に綺麗な水仙や花ショウブが咲くそうです。

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花壇があって、いろいろな花が咲いていました。

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かっての桜井にあやかって、この公園に井戸が掘られ、小川や池の水源となっています。この公園も金売吉次の邸宅跡に含まれ、かっての井戸と同じ水脈なのかも知れません。

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ソメイヨシノなど桜の木も多く、花見の頃は近所の方で賑わうそうです。

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首途八幡宮の社務所の裏です。公園の前は西陣中央小学校もあり、子供たちの遊び場にもなっています。

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井戸、小川、池、藤棚、テラスがある公園は珍しく、四季折々に様々な花が咲き、京都で最も美しい公園だという方もいます。子供が水遊びができる公園として知られています。

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京都の他の地域から見ると、ちょっとうらやましい公園ですが、この地の歴史と西陣の人々の熱意のおかげかも知れません。

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コメント

義経は、歴史的に惜しい存在でしたよね。
坂本龍馬とかと被ります。
もう少しのところでやられるんですよね。

投稿: munixyu | 2017年7月 9日 (日) 12:49

★munixyuさん こんばんは♪
最近、立て続けに義経が死んでいなくて北に逃れたという番組を見ました。ジンギスカンになったというのはアレですが、北海道までの道のりに点々と義経の足跡が伝わっているそうて、つい信じてしまいました。

投稿: りせ | 2017年7月12日 (水) 00:13

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