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2017年7月 5日 (水)

新熊野神社 後白河上皇と熊野信仰

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の今熊野観音寺を出て、東大路通にある新熊野神社を訪れました。

「新熊野(いまくまの)神社」は、熊野信仰が盛んだった平安時代末期の永暦元年(1160年)、後白河上皇によって創建されました。

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後白河天皇は1155年に即位、1158年に退位した後も引き続き院政を敷き、そのときの住まいが、現在三十三間堂の東側にある法住寺です。その鎮守社として上皇が深く帰依していた熊野三山の神を勧請して創建したのが新熊野神社です。

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上皇は平清盛に命じて、熊野から土砂材木等を運び社域を築き社殿を造営、神域に那智の浜の青白の小石を敷き霊地熊野を再現して、熊野の新宮・別宮としました。

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鳥居を入った左に、創建当時上皇が熊野から移植した、お手植えの大樟(京都市指定天然記念物)があります。この神社特有の神・大樟大権現(樟龍弁財天)のご神体になっています。

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上皇は一生のうちに34回も熊野に参詣しましたが、当時の都人が熊野に参詣することは容易ではなく、また世情が不安定な時期で参詣を断念せざるを得ないことも多かったと考えられています。

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以後、新熊野神社は長らく京の熊野信仰の中心地として栄えました。「新熊野」を「いまくまの」と読むのは、紀州の熊野に対して京の新しい熊野という当時の都人の認識が由来となっています。社務所

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本殿には熊野牟須美大神((くまのむすびのおおかみ、千手観音)を祀ります。以下では祭神の後のカッコに本地仏を示します。祭神が人々を救うために仏教の仏や菩薩の姿となったと考えたものが本地仏で、熊野信仰は古くから神仏習合の宗教でした。

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訪れたのは6月末だったので、本殿の前に茅の輪がありました。手前が拝殿、奥が本殿です。

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新熊野神社には熊野三山の全ての神々「熊野十二所権現」が祀られています。本殿の祭神はその一つで、他はその周囲の社に祀られています。

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本殿の左に、「京の熊野古道」の矢印があります。

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「上之社」 祭神は速玉之男大神(はやたまのおのおおかみ、薬師如来)と熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ、阿弥陀如来)で、本殿の左奥の一段高いところにあります。本殿の祭神と合わせた以上の神は、熊野三山の主祭神で、「熊野三所権現」と呼ばれます。

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「中之社」 祭神は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと、地蔵菩薩)、瓊々杵尊(ににぎのみこと、龍樹菩薩)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、如意輪観音)、鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと、聖観音)です。

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ここから熊野古道に上り、本殿の裏を通ります。ここには、「熊野九十九王子」と呼ばれる神々が祀られています。昨年の秋にはすべての神を見て回りましたので、今日は省略します。

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昨日の記事のように、後白河上皇は1160年に熊野権現が出現したとされる地に今熊野観音寺を建立しました。そして、観音寺大路(現在の泉涌寺道とほぼ同じ)を通しました。(本殿の裏が小高くなっていて、その尾根に祠があります。)

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観音堂近くに御潔斎場として御精進屋を設け、新熊野神社に参詣の折には御精進屋で参籠して、観音寺大路を往還したとされます。後白河上皇は1169年に出家して法皇となり、熊野古道の中頃に法衣姿の法皇像があります。

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熊野古道は本殿の左手に下ります。

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「若宮社」 祭神は天照大神( 十一面観音)。

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「下之社」 祭神は、稚産霊命(わくむすびのみこと、釈迦如来)、遇突智命(かぐつちのみこと、文殊菩薩、普賢菩薩)、埴山姫命(はにやまひめのみこと、毘沙門天)、弥都波能売命(みづはめのみこと、不動明王)。これで熊野十二所権現をすべて回りました。

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南北朝時代の1374年、観阿清次・藤若丸父子はこの地で、大和の猿楽結崎座の興行を行いました。観覧していた室町幕府将軍・足利義満は、その芸に感動して、それぞれ観阿弥、世阿弥と名乗らせました。

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この「今熊野勧進猿楽」が日本の能楽の起源で、新熊野神社が能楽発祥の地といわれます。上と下はその記念碑。

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新熊野神社は応仁の乱以降も度々の戦火に見舞われ、一時は廃絶同様の状態になりました。

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江戸時代初期、後水尾天皇の中宮東福門院(徳川家光の妹)が神社を再建し、現在の本殿は1663年聖護院宮道寛親王(後水尾上皇の皇子)が修復したものです。

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三本の足を持つ八咫烏(やたがらす)は熊野の神の化身(あるいは使い)で、太陽の使者として勝利・幸運に導く鳥と考えられています。神武東征の際に、熊野から大和に道案内をした鳥としても知られています。

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コメント

カラスのところですね。
絵馬で思い出しました。
昨日は大雨でしたが大丈夫でしたでしょうか。
台風到来。早いものですね。

投稿: munixyu | 2017年7月 5日 (水) 12:23

結構広々としてますね~。熊野とつく所は何か所もあって、いつもどれがどれだかわからなくなってますw実際に自分で行かないとなかなか覚えられませんね。。。泉涌寺同様この辺りは東福寺ぐらいしか訪れてないので、まとめて歩いてみようと思います~

投稿: ばるさろ | 2017年7月 5日 (水) 22:55

★ばるさろさん こんばんは♪
新熊野神社は写真で感じるほど広くはありません。ただし、熊野古道を行くと、ちょっとだけそれらしき雰囲気を味わえます。

投稿: りせ | 2017年7月 8日 (土) 22:25

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