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2017年7月11日 (火)

雨宝院 西陣の花の寺と庶民信仰

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の本隆寺の北に雨宝院があります。下は本隆寺の北の瓦土塀、左の一角が雨宝院で、下の通りに面して南門(上の写真)があります。*最後にお知らせがあります。

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「雨宝院(うほういん)」は、山号を北向山という高野山真言宗の寺院で、西陣聖天宮とも呼ばれています。こちらの西門から入ります。

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寺伝によると、平安時代前期の821年、弘法大師・空海が建立して、嵯峨天皇の病気平癒のために、歓喜天像を刻んで祀ったことに始まります。当初は、千本五辻にあり大聖歓喜寺(だいしょうかんきじ)という大寺院だったといわれています。

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室町時代の応仁の乱(1467)により焼失、安土桃山時代の天正年間(1573-1592)に、この地で再興されたとされます。一説には、雨宝院は当初の大聖歓喜寺の一院だったともいわれています。

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本堂に安置されている本尊の歓喜天(聖天)像は、象頭(ぞうとう)人身六臂の等身像で、空海が嵯峨天皇の御病平癒を祈願して一刀三礼して造られたものと伝えられ、西陣聖天十一面観世音菩薩ともいわれています。

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本尊は秘仏のため「歓喜童子像」が御前立となり、本尊脇に聖天尊の化現とされる「雨宝童子」が祀られ、雨宝院の名の由来になりました。「雨宝」とは法雨が宝のように降るという意味だそうです。下は本堂左で、日輪大師とは弘法大師のことです。

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本堂の左に接して「庚申堂」があり、「聖観世音菩薩」、「大黒天・虚空蔵菩薩」、「大青面金剛」、「釈迦如来・地蔵菩薩」が安置されています。青面金剛を本尊とする「庚申信仰」は平安時代の貴族に始まり、室町時代に全国に広がり、江戸時代には最盛期を迎えました。

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左の「大師堂」には弘法大師像が安置されています。空海42歳の姿で、南を向いて口を開く「阿吽あせかき弘法大師像」とよばれています。東寺には口を閉じて北を向いた大師像が安置され、「阿吽」の対になっているとされています。

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「汗かき」とは、汗をかくような辛いことでも弘法大師が救済してくれるという意味だそうです。

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弘法大師は真言宗の祖ですが、各宗派の祖や高僧などの個人を崇拝するのが「大師信仰」です。特に、弘法大師の修行時代には不明なことが多く、各地で奇跡をおこなったという伝説が生まれて、大師信仰の中心となりました。

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大師信仰も室町時代に庶民の間に広がったとされています。雨宝院に祀られている仏像は撮影できませんので、あしからず。

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正面の参道右に「観音堂」があり、平安時代の貞観年間(859-877)作の「千手観音菩薩立像」(重文)を安置しています。旧大聖歓喜寺の遺仏ともいわれ、他に准胝(じゅんてい)観世音菩薩、弥勒菩薩を安置しています。

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観音菩薩があらゆる人間の苦悩を救ってくれるという「観音信仰」が平安時代中期から始まり、それまでの修行の場から現世利益を求めて参詣する寺院が栄えるようになりました。西国三十三所観音霊場巡りは昨年草創1300年を迎えました。

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観音堂の前から南門の方に行くと、

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右手に鳥居があり、「疱神」、「鎮宅方除神」、「弁財天」が祀られています。疱神は日本古来の神で、平安時代には中国から伝わった疫病神とも結びついて、祇園祭や夏越の祓などが生まれました。鎮宅は家宅、方除(かたよけ)は方角の災厄を鎮めることで、

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鎮宅方除神は独自の神と思われます。弁財天(弁才天)を信仰する弁才天信仰は古く、奈良時代に始まり、宗像三女神とも神仏習合して音楽や学芸、福徳の神として信仰されてきました。

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近世には七福神の一つとして、財宝神の性格を持つようになりました。反対側の手水舎にも弁財天が祀られています。この手水舎に井戸があります。

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「染殿井」 「西陣五水」の一つで、飢饉の際にも水が涸れたことはなく、染色に適していたことから染殿井と呼ばれました。昨日と一昨日の記事に出てきた千代の井、桜井も西陣五水に含まれ、南北に一直線に並んでいるので、同じ水脈かも知れません。

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その奥に「寶稲荷大明神」、「陀枳尼天」、「鬼子母神」、「金毘羅大権現」が祀られています。稲荷明神は食物や桑葉(織物)の神で、弘法大師が東寺の鎮守として勧請したのに始まり、平安時代の京都では朝廷から民間に至るまで信仰されました。

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地方には田の神として広がり、近世以降は一家の守り神、商売繁盛の神として信仰され現在の「稲荷信仰」となりました。稲荷明神は他の神と合わせて「XX稲荷大明神」と呼ばれることも多くあります。本堂と同じ並びにあります。

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左隣りの「不動堂」には、右から「愛染明王」、「大聖不動明王「」、「役行者」が祀られています(本堂の右隣りです)。不動明王は大日如来の化身とされ、すべての悪と煩悩を抑え、生あるものすべてを救うという強烈な神で、平安時代初めから広く信仰されてきました。

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愛染明王も平安時代から信仰され、こちらは愛によって悪を鎮めるとされ、後に恋愛成就、美貌の神としても信仰されるようになりました。役行者は7世紀後半(飛鳥時代)に山岳信仰に密教や陰陽道を取り入れて修験道を開き、数々の伝説を残した行者です。

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雨宝院の境内にはソメイヨシノや歓喜桜(御室桜)が所狭しと植えられ、桜の名所として知られています(2010年の写真です)。今回すべてのお堂を回って、人々に信仰されてきた様々な神仏が祀られていて、庶民信仰の聖地でもあることが分かりました。

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最後にお知らせがあります。本日(7月11日)21時からBS朝日で放映される「京都ぶらり歴史探訪 スペシャル」で私が撮った写真が出てきます。お時間があればご覧ください。

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コメント

ロウソクの灯って不思議。
火は熱いのに灯は涼しい。
不思議だけどいいものですよね。

投稿: munixyu | 2017年7月11日 (火) 11:20

写真採用おめでとうです~~。もう京都の写真資料としての認知度はかなり上がってますね!BSが見れないのがザンネンです(;´д` ) トホホ
さて、雨宝院ですが、異形の神様のテーマパークのような所ですね~。見た目のインパクトが神性を表象的に感じられるってとこなんでしょうかね。。。
いろんな神様が混ざり合っているのも、日々の辛さや苦悩に満ちた庶民の救ってほしいという心の求めに応えたものなんでしょう。上からこうしなさいというよりも、苦しみに寄り添って親しみやすい神が日本人の宗教観に合致するところがあるのかも。。

投稿: ばるさろ | 2017年7月11日 (火) 23:46

★munixyuさん こんばんは♪
ロウソクの灯りは好きな被写体の一つです。でも、撮った後で見ると満足な写真は多くありません。炎が明るすぎて周りとの明暗の差が大きすぎるのです。

投稿: りせ | 2017年7月12日 (水) 00:31

★ばるさろさん こんばんは♪
今回写真を撮っていて、様々な神仏が本尊と同じように祀られていることに驚きました。それぞれの神仏が人々に信仰されてきたことは分かりましたが、このような光景は他には見られません。雨宝院の歴史と関係があるかも知れませんが、私には謎です。

投稿: りせ | 2017年7月12日 (水) 00:50

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