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2017年7月13日 (木)

智恵光院 鷹司兼平と六臂地蔵尊

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

智恵光院通は、大宮通の一筋西にあり、二条城北門から大徳寺に至る南北の通りです。今日はその通りの名の由来となった智恵光院を訪れます。

「智恵光院」は正式名称を称念山平等寺という浄土宗の寺院です。(左の牡丹紋は智恵光院の寺紋、右の月影杏葉紋はは浄土宗の宗紋)

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鎌倉時代後期の1294年、五摂家の一つ鷹司(たかつかさ)家の始祖・鷹司兼平が知恩院8世如空(如一国師)を開基に、自らの菩提寺を建立したのが始まりです。当初は岡崎にあったとされ、記録が焼失したためその後の変遷の詳細は不明です。

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鷹司兼平(1228-1294)は、関白・近衛家実の四男として生まれ、1237年に元服すると右近衛少将に任官されました。その後若くして、権大納言、内大臣、右大臣などを歴任、1252年摂政となり、23年にわたり摂政・関白を務めました。(獅子頭守護石)

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1290年に出家して、4年後に智恵光院を開山しました。能書家としても知られ、後深草院二条が綴った日記『とはずがたり』の近衛大殿のモデルといわれています。(下の本堂は幕末の1855年に再建されたものです。)

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本堂に安置されている本尊「阿弥陀如来像」は鎌倉時代の仏師・安阿弥(快慶)作といわれています。

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智恵光院は、後に聞益(もんえき)上人によって諸堂や要終院、芳秀院、智福院、吟松院の塔頭4院が整えられ、京師(けいし)七光院の一つとして隆盛を極めました。京師とは当時の京都のことです。

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しかしながら、江戸時代の1730年に西陣を襲った大火「西陣焼け」、および1788年の「天明の大火」によって全焼してしまいました。(左が本堂、正面は玄関、右は庫裏)

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その後、徐々に再建されましたが、第二次世界大戦中の強制疎開により、塔頭4院は廃止され、現在の規模に縮小されてしまいました。

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庫裏の前にある「吉之助の庭」、吉之助が誰のことか分かりません。

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智恵光院は縮小されたとはいえ、このあたりでは大きな寺域をもっています。

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「知恵姫稲荷大明神」 現在の智恵光院は拝観寺院ではなく、檀信徒のための寺院となっています。そのため、境内の遺物、祠やお堂について説明がないので、「知恵姫」が分かりません。
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本堂の左手にある「喜八の塔」、喜八も誰だか分からずすみません。

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さらに左に石仏が集められています。その後ろは墓地です。

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広い境内の南隅に「鐘楼」、「弁天堂」、「地蔵堂」が並んでいます。

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「智恵弁財天」

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その前にある変わった形の石は「金ぎょく龍王神」

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「地蔵堂」 平安時代の849年、小野篁は亡くなりましたが、あの世で出会った生身の地蔵菩薩の教えに従って蘇生しました。そこで、木幡山の1本の桜の木から死後の6つの世界「六道」で救いを施す6体の地蔵を彫り、852年に六地蔵の大善寺に安置しました。

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それから300年ほどの後、後白河法皇の時代に京都に疫病が流行しました。法皇は平清盛に命じて、京都の出入り口6か所に六角堂を造って篁の地蔵を安置し、西光法師に供養させたといわれます。これが六地蔵巡りの始まりとされます。

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その後、小野篁は7日間精進潔斎をして像を彫り始め、一彫りごとに三回の礼をする「一刀三礼」しで、思いを込めて6本の腕を持つ像を彫りあげました。6体分の力を込めて彫れば、より大きな功徳があると考えたのです。

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この六臂地蔵像は、百万遍の知恩寺に安置されていましたが、知恩寺の僧だった如一国師が智恵光院を創建した縁で、南北朝時代にここに移されました。この地蔵尊は「六地蔵巡り」の番外ですが、全ての六地蔵に参拝したのと同じご利益があるとされています。

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毎年8月22、23日に京都周辺の六ヶ所の地蔵菩薩を巡って、無病息災や家内安全等の祈願をこめてお参りする「六地蔵巡り」が行われますが、智恵光院の地蔵堂は8月23日の夕方だけ御開帳されるそうです。

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境内のあちこちに枝垂れ梅が植えられています(2013年3月の写真です)。

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コメント

自然に燃えることもありますが、
全焼って怪しいやつが多いですよね。
ごたごたすると全焼。
人為的?っぽいやつもありそうですよね。

投稿: munixyu | 2017年7月13日 (木) 09:33

★munixyuさん こんばんは♪
現在の火事では、火災保険の関係でなまじっかの半焼よりは全焼の方がましだという話を聞きますね。昔はポンプがなかったので、火事の消火というより周辺の家を壊して類焼をくい止めたそうです。一方、応仁の乱などの戦火による火災では、兵が寺社に火を付けてまわったこともあったようです。

投稿: りせ | 2017年7月14日 (金) 00:37

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