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2017年7月20日 (木)

浄福寺 赤門と最古の違法建築

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

西陣の浄福寺を訪れました。この寺は浄福寺通一条にありその通りの名の起源となった大寺院です。

「浄福寺」は山号を恵照山という浄土宗の寺院です。浄福寺通に面して朱塗りの東門があることから赤門寺とも呼ばれています。門は17世紀前半の再建。

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1788年の天明の大火では京都中が炎に包まれ、寺にも火が迫りましたがこの門の前で止まったといわれます。鞍馬から天狗がこの赤門の上に下りてきて、巨大なうちわで火を防いだという伝承が残っています。

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赤門を入って右手にある「護法堂」には、火災から寺を守ってくれた天狗を「護法大権現」として祀っています。

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お堂の裏に樹齢300年以上というクロガネモチの大木があります。

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大木の前に諸天善神を祀るお堂があり、その中に天狗がそこから飛んできたとされる鞍馬山への遥拝所があります。

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「浄福寺」の創建は古く、奈良時代から平安時代にかけての延暦年間(782-806)に奈良・興福寺の学僧・賢憬が葛野郡村雲に堂宇を建立したのが始まりです。(赤門から本堂まで長い参道が続いています。両側にも寺の建物があり、広大な寺域を持っています。)

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創建当初は二十五大寺あるいは平安京七大寺といわれ、天台宗でした。たびたび火災にあい、鎌倉時代の建治2年(1276)後宇多天皇の命によって一条村雲(京都御苑西)に再建されたという記録があります。「宝蔵」

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室町時代の1344年、元暁の請願により室町幕府の祈願寺となり、初代将軍・足利尊氏の代わりに幕府の実務を担っていた弟・直義が300貫文を寄進しました。(参道右手に「千体薬師堂」)

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中央に薬師三尊(月光菩薩、薬師如来、日光菩薩)が祀られ、ここにお参りすると、健康や安楽など12の福があるとされます。

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「釈迦堂」(1756年再建)インド・中国・日本の三国伝来の清凉寺釈迦像は人気を呼び、全国にコピーが造られました。ここには、鎌倉時代作の、京都で唯一残っている清凉寺式釈迦如来立像を安置しています。この像は2013年に百年ぶりに公開され、その後は毎月25日に釈迦堂の拝観とご住職の法話があります。

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室町時代には知恩院・超誉存牛に帰依した後柏原天皇の勅許によって三昧堂が建立されて浄土宗との兼学となり、1571年に崇林(そうりん)が入寺して浄土宗に改められ、翌年知恩院末寺となりました。(1734年に再建された「玄関」、後ろは同年再建された「書院」。)

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安土桃山時代の1587年には相国寺門前北に移転しました。

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江戸時代初めの1615年に現在地に移りました。その際には、京都所司代・板倉勝重が援助したといわれています。

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書院には上がれませんが、内部が少し見える場所があります。

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「鐘楼」は1628年の再建。

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「本堂」には阿弥陀如来像を安置しています。建物は1731年-1733年の再建。

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「南門」は1657年の再建。

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玄関を含む現在の堂宇8棟はいずれも江戸時代前期から中期に再建されたもので、それらは江戸時代中期の浄土宗寺院の伽藍配置様式を伝え、京都府指定文化財となっています。「方丈」は外から見えませんが、1764年の再建です。

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本堂の左手に「引摂(いんじょう)地蔵堂」があります。引摂とは仏や菩薩が衆生を救い、悟りに導びくことです。

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寛文年間(1661-1673)に引接地蔵は洛陽四十八願所の霊場のひとつになりました。洛陽四十八願所は、霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだものです。

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境内の西には墓地があり、光格天皇皇女霊妙心院(1811-1811)、江戸時代の医師・名古屋玄医(1628-1696)、室町から安土桃山時代の商人・川端道喜(?-1592)、江戸時代-近代の日本画家・山田文厚(1846-1902) などの墓があります。

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南門を入った左に「弁財天社」と「稲荷社」があります。

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ところで、1666年に幕府は建物の上屋の梁間を3間(5.9m)内に制限するとの御触書を発し、全国の寺院に適用されました。ところが、桁行の規制はありませんでした。桁行とは梁に直角に渡す水平材(桁)の長さのことです。

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浄福寺は南の礼堂と北の仏殿の間を繋いで本堂とし、外観は二つの建物、内部は一続きの奥行き9間の大広間を造りました。役人は違法ともいえず黙認したとされ、「日本最古の違法建築」として建築家や研究者の間では知られてきました。(東参道から本堂の二つの屋根が見えます。)

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幕末には、西郷隆盛が薩摩藩士700名を伴って上洛し、錦小路の京都藩邸や相国寺西の二本松藩邸に宿泊しました。それでも収容できずに、浄福寺の客殿や本堂などが薩摩藩下級武士の宿所となりました。彼らは「浄福寺党」と呼ばれたそうです。

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明治時代の1887年、境内に浄福寺、建仁寺、本圀寺、妙覚寺による共済学校が開校し、その後現在の「浄福寺幼稚園」に発展しました。東参道の途中にあり、全面砂場の500坪、全面草原の200坪の二つの運動場があるなど広々としています。

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2011年の「第47回京都非公開文化財特別公開」で、「日本最古の違法建築」として浄福寺の本堂が初めて公開されました。今後いつ公開されるか分かりませんが、ぜひ見たいとおもっています。

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コメント

蓮の花の静寂は、
夏の静寂の中でも特別で、格別ですよね。

投稿: munixyu | 2017年7月20日 (木) 13:50

★munixyuさん こんばんは♪
お返事が滞りすみませんでした。
蓮の花は好きなのですが、遅くなると閉じてしまうので大変です。

投稿: りせ | 2017年7月25日 (火) 21:30

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