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2017年7月27日 (木)

金戒光明寺 蓮池と西雲院

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

金戒光明寺の西雲院を訪れました。境内に並んでいる鉢植えの蓮が目当てですが、時期が悪いのかここ何年もまともに咲いているところを見たことがありません。山門の横の道を通り文殊塔(三重塔)へ向かうと、石段の手前に蓮池(上の写真)があります。

「兜之池」ともいい、一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち取ったことで知られる熊谷次郎直実が、殺生の無常を悟り、出家を決意して兜を置いた場所とされています。

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ちなみに出家してからの直実の法名は蓮生(れんせい)、池にはその名の通り蓮が咲いていました。

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文殊塔への石段の途中にある「会津墓地参道」と「円光大師御旧跡 志うん石」の石標が西雲院への道しるべです。

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しばらく金戒光明寺の墓地の中を歩くと西雲院の山門があります。「西雲院(さいうんいん)」は、江戸時代初めの元和2年(1616)、宗厳(そうごん)が金戒光明寺・住職から「紫雲石」を賜り、この地に草庵を結んだのが始まりとされます。

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平安時代の1175年法然上人がこの地にあった白河石に腰を掛け念仏を称えると、紫雲がたなびき芳香がたちこめたといわれます。法然はここが念仏道場に相応しいと悟り、草庵を結んだのが金戒光明寺の始まりとされます。

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その石は「紫雲石」と呼ばれ、金戒光明寺に伝えられてきました。山門を入った右手の祠に「紫雲石」の扁額がかかっています。

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宗厳が紫雲石を授かることになったいきさつを以下で簡単に。宗厳は朝鮮に生まれましたが、文禄・慶長の役の際に秀吉の家来小野木重勝に捕らえられて日本に渡ってきました。その後、北政所に献上された宗厳は、その命により滝川雄利の娘の使用人となりました。

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息女は大変器量がよく北政所のお気に入りでした。宗厳は息女に良く仕えたましたが、1605年僅か17歳で亡くなってしまいました。宗厳30歳の時です。(本堂の前に蓮の鉢が並んでいいます。)

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父の滝川雄利は娘の死を悼み、戒名の龍光院殿花顔芳春大禅定尼にちなんだ塔頭を金戒光明寺に建立してその菩提を弔いました。(蓮がいくつか咲いていました。下は「碧台蓮。)

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息女の死に人生の無常を感じた宗厳は、許しを得て出家しました。そして11年間諸国を巡り修行の後、1616年黒谷に帰って来ました。「神光院蓮」

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龍光院の墓前で一心に念仏を唱え続けている宗厳を見た金戒光明寺第27世了的は、感動して寺宝の紫雲石を与え、西雲院を開山させたのです。「金輪蓮」

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一心不乱に念仏修行をする宗厳の徳を慕って多くの僧侶が集い、西雲院は念仏道場として大いに栄えたといわれています。本堂には本尊として阿弥陀如来を祀っています。

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お庫裏さんが鉢の手入れをしていました。様々な種類の蓮があって、一度には咲かないようです。

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下は「雲南地湧金蓮(ウンナン・チユウ・キンレン)」 中国雲南省南西部・原産で、標高2500mの高山でも生育する最も耐寒性のあるバナナの一種だそうです。雲南省の仏教寺院の装飾にもなっているとか。

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宗厳は1628年に53歳で死去しましたが、没後も弟子たちによって万日念仏惣回向、3万日念仏惣回向、4万日念仏惣回向(100年)と続けられました。そのため、西雲寺は「万日寺」とよばれるようになりました。山門の手前に宗厳の墓があります。

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境内の西には江戸時代末から明治にかけての侠客「会津小鉄」の墓もあります(左は二代目の墓)。

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小鉄は、1862年会津藩主・松平容保の京都守護職赴任に同行して、黒谷本陣の京都会津部屋頭になりました。常に名刀・虎徹を携えていたことから「会津の小鉄」と呼ばれ、新選組の密偵もしていたそうです。庫裏

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鳥羽・伏見の戦いでは、恩義があった会津藩の藩士の遺体が400体も路上に放置されていたのを、子分200人によって黒谷墓地に葬りました。また、その遺品を新政府軍が包囲する会津若松の遺族に命がけで届けたといわれています。

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会津小鉄は、報復で自宅を焼かれりしましたが、生涯西雲院とともに会津藩士の墓地を守り整備したといいます。また、明治になってからは子分とともに架橋や河川整備など社会事業も行ったそうです。

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明治18年(1885年)下京区の病院で病死、本葬には大阪北区消防頭取の小林佐兵衛をはじめ1万3000余人もの会葬者が集まったそうです。

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金戒光明寺の御影堂の西の道を少し北門の方に行くと、滝川雄利の息女を弔った「龍光院」があります。中には入れませんが、山門からは綺麗に手入れされた境内が見えます。

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コメント

鉢植えの蓮は、池の蓮より育てるのが難しく、
大変そうですね。水の加減が少し違うだけで、
枯れてしまいそうです。

投稿: munixyu | 2017年7月27日 (木) 14:28

蓮と言えば法金剛院。。。というイメージですが
他にもいい所が沢山あるんだと、あちこち回って思いました。。。この西雲院も蓮をていねいにそだてていらっしゃる所ですよね!甕に一つ一つ名前が書かれているのをみると、育てている人の思いが感じられてほんわかします。神光院蓮というのがありましたが、これは西賀茂の。。。そういえば、弁天さんがまつられている池があったなぁ。。蓮月さんの所だもんね。むしろこの時期に行ってみたい!他にも真如寺の門の前の蓮池とか見てみたいなぁ。。

投稿: ばるさろ | 2017年7月27日 (木) 22:28

★ばるさろさん こんばんは♪
蓮は、鉢植えも含めてあちこちの寺院にあり、さすが仏教にゆかりのある花ですね。でも遅く行くと花が閉じてしまうので、遠くにある場所はちょっと困ります。

投稿: りせ | 2017年7月31日 (月) 07:41

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