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2017年7月 6日 (木)

白峯神宮 御霊社と蹴鞠

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

台風が通り過ぎて雨が止んだ昨日の午後、今出川堀川の近くにある白峯神宮を訪れました。

「白峯(しらみね)神宮」は、明治天皇が崇徳、淳仁天皇の御霊を祀るために創建した神社です。

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幕末の風雲急を告げる中、孝明天皇は、保元の乱(1156)によって非業の死をとげた崇徳天皇の御霊を慰めて、未曾有の国難に加護を祈ろうとしました。しかしながら、叶わぬまま崩御して、明治の時代を迎えました。

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明治元年(1868)、父の遺志を継いだ明治天皇は、公卿の「飛鳥井家」の邸宅地跡に社殿を建造して、四国・坂出の「白峰山陵」から崇徳天皇の御霊を遷して祀りました。これが白峯神宮の創建です。

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明治6年には淳仁(じゅんにん)天皇の御霊を淡路島南端の御陵から遷して合わせ祀りました。本殿には、主祭神として両天皇を祀ります。

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奈良時代中期の758年孝謙天皇が譲位すると、藤原仲麻呂の推挙で淳仁天皇が即位しましたが、道鏡の処遇をめぐり孝謙上皇と対立しました。764年仲麻呂は乱を起こすも敗死、淳仁天皇も廃帝となり淡路に流されて幽閉、765年逃走が失敗して亡くなりました。

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明治2年には東京に遷都されましたが、帰京が叶わず非業の死を遂げた両天皇の霊を京都に迎えることは天皇家の懸案でした。白峯神宮の建立によって、崇徳、淳仁天皇の霊はそれぞれ、1100年、700年ぶりに京都に戻りました。

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「飛鳥井家」は平安時代末の藤原氏北家の流れをくむ難波家の忠教(1076-1141)に始まります。その子・頼輔は蹴鞠の祖といわれ、孫の参議・雅経(1170‐1221)も蹴鞠に長じ、藤原俊成に歌道も学びました。

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室町時代の権中納言雅世、権大納言・雅親父子も歌道の発展に尽くしました。以後、飛鳥井家は代々蹴鞠と和歌の師範として名声を築きました。

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近代以降、蹴鞠は衰退しましたが、1907年に明治天皇の勅命で華族らにより蹴鞠保存会が結成されました。さらに、鞠庭が設けられ、神が降り立つとされる式木(松、桜、柳、楓)が四隅に植えられています。

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毎年4月と7月に蹴鞠保存会により蹴鞠が奉納されます。

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境内の西の社務所・授与所の前に三葉の松(三鈷の松)があります。葉の形が、弘法大師が高野山を開くきっかけとなった密教法具の三鈷に似ているとされます。

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落葉すると黄金色に変わるため、金運をもたらす金銭松ともいわれています。

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境内の東南に手水舎があり、その後ろに小賀玉木(オガタマノキ)(京都市指定天然記念物)があります。

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樹齢が数百年とされ飛鳥井家邸宅に植えられていたものと考えられています。神霊を招く「招霊(おきたま)」が語源という説もあり、寺社の境内に植えられることが多く、高さ15.7mは京都市最大とされます。

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その横に西村尚の歌碑があります。「小賀玉のしじ葉が もとの 飛鳥井の井筒 むかしの物語せよ」 舞鶴市出身の西村尚は、中央歌壇で活躍する一方、白峯神宮や朝代神社の宮司、京都創成大学(現・成美大)の教授などを務めました。

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「蹴鞠の碑」、2000年に建立されました。境内の東にある石碑や摂社を順に見て歩きます。

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「地主社」 かって飛鳥井家に祀られていた氏神でで、右から、柊大明神(厄除、長寿)、糸元大明神(織物業繁栄)、精大明神(スポーツ競技上達、技能・芸能上達)、白峯天神(学業成就)、今宮大神(家内安全、無病息災)を祀ります。

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精大明神は飛鳥井家にあった守護神で、蹴鞠の神です。7月7日の精大明神例祭「七夕祭」では、山城舞楽、蹴鞠、小町をどりの奉納などがあります。

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「崇徳天皇欽仰之碑」 欽仰(きんぎょう)とは、崇拝し慕うことだそうです。平安時代後期の1156年、崇徳天皇は子の皇位継承が阻まれたため挙兵するも敗れ(保元の乱)、讃岐国に流されてその地で亡くなりました。右に崇徳天皇の歌碑があります。

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最初は歌の出だしが「いきわかれ」で始まる激しい恋の歌でしたが、後に「瀬をはやみ」に直したそうです。「逆らい難い流れ」という意味から、後の崇徳天皇の運命を暗示している歌とも考えられています(保元の乱の16年前に詠んだ歌です)。

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「伴緒社(とものおしゃ)」 祭神として、保元の乱で崇徳天皇に付いた父・源為義と、敵対する後白河天皇に付いた子・為朝が祀られています。二人とも弓の名手とされ、武道・弓道上達の神として崇められています。

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「潜龍社」、昭和30年11月23日に行われた火焚祭の最中に炎の中から出現した潜龍大明神(水神)を祀ります。 普段は潜龍井に鎮まっているこの神には、諸々の悪縁を水に流して良縁に変え、病気平癒、事業隆昌など寿福長命にご利益があるとされます。

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昭和30年の火焚祭でどのようなことが起こったのか気になりますが、以来この日に新嘗祭・火焚祭とともに、潜龍大明神祭も行われます。下の「笑い龍」は「笑いは心の常備薬」を表現しているそうです。

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最後になってしまいましたが、「神宮」は皇室とつながりが深い神社、または、天皇を祭神とする神社のことだそうです。

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コメント

鞠庭、けまり用の庭があるのですね。
笑い龍、かわいい龍ですね。
ゲームのキャラクターみたいです。

投稿: munixyu | 2017年7月 6日 (木) 10:55

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