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2017年6月12日 (月)

飛行神社と二宮忠八

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

八幡市にある飛行神社に行ってきました。京阪八幡市から東に歩いて数分のところに、神社とは思えない近代的な建物があります。

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「飛行神社」は大正4年(1915)、航空界のパイオニア・二宮忠八(1866-1936)が八幡市八幡土井の自宅邸内に創建したのが始まりです。(正面の鳥居は航空機の材料であるジュラルミン製。)

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忠八は、幕末の慶應2年(1866)愛媛県八幡浜の海産物商の四男に生まれました。幼くして父を亡くし叔父の薬種商などを手伝を傍ら、物理や化学に興味をもち、測量技師の手伝いをするなど様々な経験や知識を得ました。

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その頃、独学で独創的かつ奇抜な立体凧を作って人々の感心を集め、その凧は「忠八凧」と呼ばれました。

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明治20年(1887)丸亀歩兵連隊に入隊。四国山岳地帯で演習中に見た、烏が残飯を求め滑空する姿にヒントを得て、空を飛ぶ機械の発明を目指しました。(ギリシャ神殿風の拝殿です。)

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以後、研究を重ねて明治24年(1891)日本人初のゴム動力による「カラス型飛行器」の飛行に成功しました。下はパンフレットから。

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次に人の乗れる「玉虫型飛行器」の考案に着手。明治26年(1893)に設計を完了して、軍で研究開発してもらおうと願い出たが却下されてしまいました。(トビウオのステンドグラス)

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忠八は独力で完成を決意して、資金を貯えて自力で飛行機開発の条件が整い、明治33年(1900)京都府八幡町に土地を求めました。

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開発に努力していたところ、明治36年(1903)ライト兄弟が飛行機を完成させ、飛行に成功したとの報を聞くことになりました。忠八は無念の涙を流し、「飛行機を作ったとしても真似という評価しか受けない」と製作を断念したといいます。(社務所と二宮忠八資料館。)

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その後の大正4年(1915)、忠八は私財を投じて自宅に社殿を造り、磐船社(交野市私市)より饒速日命にぎはやひのみこと)の分霊を勧請しました。さらに、世界の航空殉職者の霊を合祀して、自ら神職となって仕えました。

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平成元年(1989) 飛行原理発見100周年を記念して、次男の二宮顕次郎により本殿、拝殿、二宮忠八資料館が改修・再建されました。(奥が本殿)

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中央の饒速日命は天照大神の孫神で、その詔を受け十種神寶(とくさのかんだから)を授かり、高天原から豊葦原の中津国に降臨しました。その際に、天の磐船に32神を伴って、最初に河内国河上哮ヶ峯に天降りました。旅の安全祈願をします。

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右の「祖霊社」は、航空殉職者(航空事故で亡くなった方)や、航空先覚者(航空業界の技術革新に貢献した方)を祀っています。開発・発明、学業成就、合格祈願などを祈願します。

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左の「薬光神社」には、日本の近代薬学の祖・長井長義(1845-1929)、薬学者・下山順一郎(1853-1912)、と忠八がともに働いた、武田長兵衛、田辺五兵衛、塩野義三郎など製薬会社の創業者の霊を祀っています。健康長寿・病気平癒を祈願します。

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大正11年(1922)には軍部が二宮忠八の研究を再評価して表彰し、以後航空機の先駆者として名声が高まりました。晩年は、空や飛行機を絵に描き、多くの詩を書き残しています。本当に飛行機が好きだったようです。

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二宮忠八は、昭和11年(1936)に亡くなり、檀家となっている男山の神應寺の墓地に葬られました。墓地は見晴らしのよい場所です。

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資料館は撮影できませんが、忠八や彼の飛行機の資料だけでなく、様々な航空機、ロケット、人工衛星などの資料や模型、書籍があり、興味がある方は楽しめます。航空自衛隊、航空機やロケットの関連業界、衛星通信会社などからの奉納もあります。

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ボールがよく飛ぶように?

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飛行神社は忠八の死によって一時廃絶しましたが、昭和30年(1955)二宮顕次郎によって再建されました。拝殿の横に、かっての石標や顕彰碑があります。

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「常盤稲荷神社」 

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零戦の機首部分、昭和58年(1983)に大阪湾岸和田沖で漁網によって回収されたものです。

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F-104J戦闘機 (栄光)のターボジェットエンジンだそうです。

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忠八の動力飛行機が飛んだ4月29日は年次祭で、航空殉職者と航空先覚者の霊を祖霊社に祀ります。9月28日の「空の日」には、空の安全や航空業界の発展を祈願して、業界の方々がお参りします。

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コメント

みんな同じ様なことを考えていたのですね。
でも、早いもん勝ち。
発明の世界は本当に大変ですね。

投稿: munixyu | 2017年6月12日 (月) 10:36

こんにちは。
飛行機神社の二宮忠八氏については、中学生の頃ですから約62年前に知ることが出来ましたが、こんなに詳しい内容ではなかったです。その頃日本でも飛行機の先駆者がいて世界と並ぶ発明家だったんだと感動したkとを覚えています。今日は、私にとって嬉しいブログ内容です。
ありがとうございました。
二宮忠八氏、懐かしい響きでした。

投稿: さゆうさん | 2017年6月12日 (月) 17:32

★munixyuさん こんばんは♪
この記事では紹介できませんでしたが、ライト兄弟の2年前に有人の動力飛行機で初飛行した人がいたようです。1901年にコネチカット州で、ドイツ出身の技術者・グスタフ・ホワイトヘッドが250mも飛行したという話です。当時の地元の新聞にも出ていて、その後この出来事を追跡した方が、立ち会った人々(10人くらい)に宣誓書付きの証言を集めています。また、彼はエンジンの技術者で実際に動力を設計する能力があったことが分かっています。
この出来事はときどき思い返されて(蒸し返されて?)きましたが、テレビのドキュメンタリーで放映されたのを契機に、コネチカット州議会で、こちらが最初の有人動力飛行機だという決議案が採択されたそうです。
ライト兄弟が最初であるという認識が定着したのは、当時のアメリカ社会の問題と、ライト兄弟の政治的な力があったといわれています。例えば、そのドキュメンタリーでは、スミソニアン博物館がライト兄弟と交わした契約書(ライト兄弟が最初と認めるという内容)が紹介されていました。

投稿: りせ | 2017年6月13日 (火) 00:52

★さゆうさん こんばんは♪
二宮忠八さんのことを、学校でお知りになったとは驚きです。成功したとはいえないまでも、このような先覚者にもっと光を当てて欲しいと思います。また、新しい発明が実用化されるためには、周囲がその価値を認めることが大事だということを教えてくれる出来事ですね。

投稿: りせ | 2017年6月13日 (火) 01:09

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