« 青もみじの東福寺とストロベリームーン | トップページ | 飛行神社と二宮忠八 »

2017年6月11日 (日)

初夏の北嵯峨 広沢池

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Amt_3082a
※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の印空寺を後に、千代の古道(一条通)を西に500mほど行くと広沢池があります。「広沢池」は奈良時代の永祚元年(989)宇多天皇の孫、寛朝(かんちょう)僧正が、ここに遍照(へんじょう)寺を建立したときに造られたと伝わっています。

Amt_2959a

一方で、嵯峨野を開拓した渡来系の氏族・秦氏が、灌漑用として池を開削したという説もあります。池の東岸を少し歩きます。

Amt_2968a

平安時代になると、観月や花見の名所として貴族が訪れ、多くの歌が詠まれました。源三位頼政「いにしへの人は汀に影たえて 月のみ澄める広沢の池」。西の山には五山送り火の「鳥居形」が見えます。

Amt_2969a

北西の方角には「嵯峨天皇嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)」への参道石段が見えます。嵯峨天皇(786-842)は桓武天皇の第二皇子で、退位後も離宮・嵯峨院(のちの大覚寺)に住み、朝廷内で大きな力を持ち続けました。

Amt_2972a

多数の皇子皇女があり財政を圧迫したので、多くに姓を賜り臣籍降下させました(源氏もその一つ)。死刑を廃止、漢詩や書をよくし、空海、橘逸勢とともに三筆の一人に数えられ、華道嵯峨御流の開祖と伝わっています。

Amt_2993a

もう一度道に戻ると、池の東に「平安郷(へいあんきょう)」の門があります。宗教団体の施設ですが、敷地面積が3万坪もあり、平安時代を思わせる庭園には梅、桜、楓が植えられています。桜や名月の頃に特別公開があります。

Amt_2962a

「池の茶屋」、このあたりでは唯一の茶店です。

Amt_3018a

このあたりは「歴史的風土特別保存地区」です。建造物の新築・改造・増設、宅地の造成、木材の伐採、土砂の採取、建造物の色彩の変更、屋外広告物の表示などに、府県知事の許可が必要で、厳しい制約があります。

Amt_3031a

千代の古道は池の南を通って、さらに西に行きます。

Amt_3035a

広沢池は東西、南北ともに約300mで面積13ha、周囲12㎞あります。

Amt_3038a

北東に平安郷が見えます。平成27年に道路を挟んだ向かいに「岡田茂吉記念館」が開館しました。教祖の書画や平安郷の四季の写真などを展示しているそうです。

Amt_3043a

記念館を見た後入苑者証が渡されて、通常の日でも平安郷が見学できるようです。

Amt_3061a

池の南の湖畔にある「澤乃屋」、完全予約制の懐石料理の料亭です。こちらは離れの座敷で、母屋は向かいにあります。

Amt_3065a

池の北にあるのが、かっての寺院の名にもなった「遍照山」、嵯峨富士ともいわれています。後京極良経「広沢の池の水草吹きよせて風よりはるる波の月影」、松尾芭蕉「名月や池をめぐりて夜もすがら」。

Amt_3080a

池の南西にある「児(ちご)神社」 遍照寺を建立した寛朝が平安時代の998年に没すると、遺された侍児(じじ、小間使いの女児)は嘆いて広沢池に身を投げて寛朝の後を追ってしまいました。近所の人々は子供を哀れみ、社を建立し児神社と称したといわれています。

Amt_3113a

五山送り火と同時に行われるお盆の精霊送りの行事「広沢池灯籠流し」は、当日この神社で受付けます。

Amt_3133a

祭神として、遍照寺を建立した寛朝の侍児を祀り、安産や縁結びにご利益があるとか。

Amt_3137a

社殿の横に「石椅子」があります。寛朝が広沢池畔で座禅をしているときに、侍児がいつも腰掛けていたといわれています。この椅子に座ると、長命、安産、縁結びの願いがかなえられるとか。

Amt_3138a

池の西岸を北にいくと、遍照寺の跡地があります。かっての遍照寺には金色の観世音菩薩を祀る観音島があり、池畔には多宝塔、釣殿等、数々の堂宇が並ぶ広大な寺院だったそうです。

Amt_3187a

「観音石仏」 江戸時代前期の1641年、樋口平太夫により但称が造仏し、鳴滝五智山から遷されました。かって遍照山にあった蓮華寺の石仏ともいわれています。頭上に十一面の化仏、両脇に千手を持ちます。

Amt_3193a

観音島の壹美白弁財天社

Amt_3200a

寛朝僧正没後、遍照寺は次第に衰退し、鎌倉時代に後宇多天皇により復興されましたが、室町時代の応仁の乱で廃墟と化してしまいました。後宇多天皇「こころざし 深く汲みてし 広沢の 流れは末も 絶えじとぞ思ふ」。

Amt_3220a

奇跡的に難を逃れた赤不動明王(重文)と十一面観音(重文)は草堂に移され、江戸時代後期の文政13年(1830)舜乗(しゅんじょう)律師により、ここから南300mの場所に復興されました。

Amt_3221a

この赤不動は、千葉県にある成田山新勝寺の本尊・ 成田不動尊と同じ木から造られた
一木二体の霊像だそうです。成田不動尊は天慶2年(939年)に新皇を名乗って乱を起こした平将門を藤原秀郷に討たせ、乱を鎮めたといわれています。

Amt_3218a

遍照寺は『源氏物語』の「夕顔」の舞台だともいわれています。夕顔が六条御息所の生霊によって殺される場面は、村上天皇の皇子・具平(ともひら)親王と雑役の女性・大顔がお忍びで観月に出かけたとき、突然大顔が亡くなるという実話がモチーフだそうです。

Amt_3228a

最期に、五山送り火の鳥居形と灯篭流しを。

Dsj_3527b

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

  ★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Amt_3125b

|

« 青もみじの東福寺とストロベリームーン | トップページ | 飛行神社と二宮忠八 »

コメント

「池の茶屋」
どことなく感じる昭和の感じがいいですよね。
明るい日差しの中、そこだけが時間が止まっているようです。

投稿: munixyu | 2017年6月11日 (日) 10:21

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 青もみじの東福寺とストロベリームーン | トップページ | 飛行神社と二宮忠八 »