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2017年6月14日 (水)

初夏の北嵯峨 大覚寺の伽藍

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の広沢の池を後に大覚寺に向かいました。。

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田園風景の中を「千代の古道」に沿って西に行くと、大沢の池を囲む森が見えてきます。

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こちらは、嵯峨富士ともいわれる遍照山。

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野菜の無人販売所。

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ゆっくり歩いて約30分で大覚寺に着きます。

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「大覚寺」は、弘法大師空海を宗祖とする真言宗大覚寺派の本山で、正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれています。

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平安時代の初期、嵯峨天皇と檀林皇后が造営した新居、離宮嵯峨院が大覚寺の前身です。嵯峨天皇が帰依していた空海が、離宮内に五大明王を安置するお堂を建てました。下は「玄関門」。

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嵯峨天皇が崩御して30数年後の貞観18年(876)、嵯峨天皇皇女の正子(せいし)内親王が離宮を寺に改め、清和天皇から寺号を贈られて大覚寺としました。庫裏の玄関が拝観入り口です。

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庫裏は「明智陣屋」と呼ばれます。江戸時代初期に建立された建物で、亀山城から明治時代初めの1871年に移築されました。亀山城はかって明智光秀が城主だったのでこの名で呼ばれ、玄関門の左には明智門もあります。下は「式台玄関」。

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式台玄関は、江戸時代初めの後水尾天皇の中宮・東福門院(徳川2代将軍秀忠の娘)(1607-1678)の女御御所、長局(ながつぼね)の一部が移築されたといわれています。

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正子内親王以後、大覚寺は歴代の天皇や皇族が住持をつとめる門跡寺院となり、嵯峨御所とよばれました。最初に宸殿に向かいます。

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「宸殿」(重文)は、寝殿造りの建物で、東福門院和子の女御御殿の宸殿として使用され、後に明正天皇の仮御御所になり、その後、江戸時代の17世紀後半に移築されたといわれています。旧御所の名残で、前庭には左近の梅、右近の橘が配置されています。

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廊下や広縁は鴬張りで、妻飾り、破風板、天井などに装飾がこらされています。

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宸殿の各間には、狩野山楽筆の牡丹図・紅白梅図(重文)などがあります。

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各伽藍を結ぶ回廊は、柱をにわか雨に、直角に折れ曲がる回廊を稲光にたとえて「村雨の廊下」と呼ばれています。床は鴬張りで、低い天井は刀や槍を振り回せないようにするためとか。最初に、回廊に沿って北に行きます。

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「正寝殿(しょうしんでん)」(重文) 書院造りの客殿で12の部屋があります。宸殿との間に苔庭があります。

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「上段の間」は後宇多法皇が院政を執った部屋で、執務の際は冠を傍らに置いたことから、「御冠(おかんむり)の間」とも呼ばれています。南北朝の媾和会議がここで行われたそうです。

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北に向かう回廊沿いの部屋

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右に「勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)」が見えます。大正14年に法隆寺の夢殿を模して再建されたもので、嵯峨天皇をはじめ、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の勅封心経を納め、薬師如来像が祀られています。工事中でした。

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回廊の北に「霊明殿」があります。綺麗な朱塗の建物で江戸時代末期の建立。1958年に東京の寺から移築したそうです。

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ここには、嵯峨御流関係者の位牌が安置されています。

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外縁を一周します。

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ちょっとした床緑でした。

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正寝殿まで戻ります。

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今度は回廊を東に行くと御影堂があります。

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「御影堂」 大正14年の建造。大正天皇の即位に際して建てられた饗宴殿を、式後に賜って移築したもの。前庭は白川砂により大海を表し、中央に舞楽台、奥に勅使門が見えます。

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御影堂には、嵯峨天皇、秘鍵大師(弘法大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王など大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた人々の尊像を安置しています。

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正面の「安井堂」は、江戸時代中期建立の安井門跡蓮華光院の御影堂が、近代、1871年に移築されたものです。僧形の後水尾天皇の像が安置されています。その右に五大堂があります。

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「五大堂」 江戸時代中期の天明年間に創建され、現在の大覚寺の本堂です。不動明王を中心とする五大明王を祀っています。正面には吹き抜けの広縁があります。

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大沢池に面する東側には、池に張り出すように広いぬれ縁(観月台)があり、ときどきお茶席や催し物が行われます。嵯峨天皇は、嵯峨院を造営した際に作庭した現存する日本最古の庭池「大沢池」の菊ヶ島に咲く野菊を手折り、器にいけました。

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そして、「後世、花を賞づるもの、宜しく之をもって範とすべし」と述べたといわれます。このため、大覚寺は、いけばな発祥の花の寺であり「嵯峨御流」の総司所(家元)となっています。庫裏の玄関まで戻ります。

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コメント

大覚寺ってなかなか他のお寺と合わせにくくて、行けてないんです(;´д` ) トホホ
でもこの前の印空寺も面白そうだったので、「千代の古道」を楽しむという感覚で考えるといいかな~
何となく、近畿三十六不動巡りを始めたのですが、たしか大覚寺のお不動さんも入っていたはず!
まだ4か所しか行けてないんですけどねw

投稿: ばるさろ | 2017年6月14日 (水) 21:07

★ばるさろさん こんばんは♪
広沢池から大覚寺にかけては、私の家からもちょっと不便です。昨年は嵯峨野には何度も行ったのに、こちらは行けませんでした。田園風景に彼岸花が咲く頃がいちばん華やかなのですが、時期が難しいですね。
近畿三十六不動巡りは、範囲が広くて時間がかかりそうですね。それだけに結願するとご利益があり、感動するでしょうね、

投稿: りせ | 2017年6月16日 (金) 00:24

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